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小判の番野さん

2006-09-29 22:41:15 | 収集
 私が、番野さんと知り合ったのは、中学生の時だ。即売会で買った切手を、喫茶店で見せ合って、そこに番野さんがいた。自分のストックブックを持ち出して、私の持っている切手と「交換しないか?」と言う。いい大人が中学生相手にである。後から思えば、つきなみな挨拶をするよりも、商売人が商売をするように、板前が魚をさばくように、切手蒐集家は、お互いの収集品を見せ合うものだ、という哲学であったかもしれない。
 なぜなら、切手を交換すれば、他人ではなく、仲間になれるからである。そこで、「欲しいのなら買ってください。」と言った私も、ませた中学生だったが、なぜかその一言が気に入られたらしい。
 そのころ、切手蒐集家は、重品を交換会の盆回しに出すことはあっても、金欲しさに売る、という行為は卑しいものとされていた。値段があえば、売って、その金でまた別の欲しい切手を買う、という発想を持っていたコレクターは、その頃、ドクター市田と番野さんしか知らない。もっとも、私が中学生の時の話しである。
 「よーし、俺の持っている切手も、欲しい物があったら金で売ってやるから、お金を稼げ!」と言われた。32才の番野さんが、15才の私に言った言葉である。


郵便消印百科事典

2006-09-16 18:11:19 | 収集


 『郵便消印百科事典』を編集中。
 台湾の部のデータの確認のために、孔繁謀著『台湾日拠初期之軍事郵便』を捜しに台湾に出かけた。郵政博物館の周りの切手店を訪ね歩き、孔太太(孔さんの奥さんという意味。孔さんは亡くなられたので、未亡人だ)という店を見つけた。岩崎さんに教えて貰った。
 たった20局の野戦郵便局の本だから、薄い本だろうと思っていたら、A4版上製本で厚さ4cmもある立派な本なので、吃驚した。中を見るとカラーコピーを製本したものだったが、内容は期待しただけのものだった。
 ところで、結局この本のために台湾往復、までは覚悟の上だから良かったが、帰りの飛行機のゲートで不覚にも居眠りをしていて携帯電話を取られた。飛行機待ちをしていて携帯電話を取られたのは、これで2度目だ。皆さんも飛行機の待ち時間には注意を。
 とんだところで高くついた台湾出張だった。


フレーム切手

2006-09-02 18:43:59 | 写真付き切手


 フレーム切手は、9月1日から通信販売の受付開始。通信でのみ販売の筈だったが、報道発表の記者会見の席上で「デモンストレーション販売をしたら?」という意見がでたそうで、急遽機器を設置して販売することになった。
 発表は8月29日。発売は9月1日と4~8日に日本橋局で。活字の雑誌はすべて初日には間に合わず、毎日、郵政の報道発表を見ている人だけが気が付いた。
 当日、郵便局側は150人分の整理券を用意した。整理券を2枚下さいと言うと、「お一人一枚に限らせて頂きます。」ということであったが、お客さんが少なかったために、それでもお願いすると、また1枚くれた。
 結局、整理券は65枚程度の配布で、午前中で終了。午後からは、パラパラと来客有っただけで待たずに撮影できた。65枚のうち、約35枚は鳴美、スタマテ、エース、JPSといった業者なので、コレクターは正味30人程度しか来なかったことになる。お昼のニュースでテレビ放送されたらしく、午後になると一般の家族連れが数組訪れたという。
 初日押印は、報道発表では行わないと書かれたが、80円切手である以上は、記念押印には応じるだろう。鳴美は、念のためにポストイットに住所を書き、取り戻し請求書を用意して出向いた。JPSは、宛名を印刷して引受消印の準備をしてきた。
 結局、当日の朝になって日本橋郵便局の職員と東京支社とで、コレクターを前にして電話で相談。和文印と風景印の記念押印には応じるが、和文ハト(ふるさと切手の発行日)の記念押印には応じない。和文ハトも引受消印ならば応じるという苦し紛れの決着。