私が、番野さんと知り合ったのは、中学生の時だ。即売会で買った切手を、喫茶店で見せ合って、そこに番野さんがいた。自分のストックブックを持ち出して、私の持っている切手と「交換しないか?」と言う。いい大人が中学生相手にである。後から思えば、つきなみな挨拶をするよりも、商売人が商売をするように、板前が魚をさばくように、切手蒐集家は、お互いの収集品を見せ合うものだ、という哲学であったかもしれない。
なぜなら、切手を交換すれば、他人ではなく、仲間になれるからである。そこで、「欲しいのなら買ってください。」と言った私も、ませた中学生だったが、なぜかその一言が気に入られたらしい。
そのころ、切手蒐集家は、重品を交換会の盆回しに出すことはあっても、金欲しさに売る、という行為は卑しいものとされていた。値段があえば、売って、その金でまた別の欲しい切手を買う、という発想を持っていたコレクターは、その頃、ドクター市田と番野さんしか知らない。もっとも、私が中学生の時の話しである。
「よーし、俺の持っている切手も、欲しい物があったら金で売ってやるから、お金を稼げ!」と言われた。32才の番野さんが、15才の私に言った言葉である。
なぜなら、切手を交換すれば、他人ではなく、仲間になれるからである。そこで、「欲しいのなら買ってください。」と言った私も、ませた中学生だったが、なぜかその一言が気に入られたらしい。
そのころ、切手蒐集家は、重品を交換会の盆回しに出すことはあっても、金欲しさに売る、という行為は卑しいものとされていた。値段があえば、売って、その金でまた別の欲しい切手を買う、という発想を持っていたコレクターは、その頃、ドクター市田と番野さんしか知らない。もっとも、私が中学生の時の話しである。
「よーし、俺の持っている切手も、欲しい物があったら金で売ってやるから、お金を稼げ!」と言われた。32才の番野さんが、15才の私に言った言葉である。