今回は、「色絵 菊花波兎文 碍子」の紹介です。
これは、平成11年に(今から22年前に)、東京の骨董市で買ったものです。
時代の若いのも承知で、また、産地が不明なのも承知の上で、気に入ってしまい、ついつい買ってしまったものです。
その頃は、骨董市場にも古いものが枯渇してきたのか、明治や大正の頃のものも多く登場するようになっていました。それらの中にはなかなか良い物もあったように記憶しています。染付や色絵の便器なんか出色のものだったと思います(笑)。さすがに便器まではいくら良く出来ていても買う気にはなりませんでしたが、そうした中にあって、「碍子」もけっこう登場するようになっていました。多くは白磁でしたが、たまに染付のものもありましたけれど、色絵のものは珍しかったので飛びついてしまったわけです(~_~;)
というのも、この「色絵 菊花波兎文 碍子」を見ていますと、これは、もしかして「鹿鳴館」で使われていたのかな~、等との妄想は尽きることがなくエスカレートし、そういう妄想のエスカレートの結果、何のためらいもなく、購入することにしてしまったわけですね(~_~;)
もっとも、本気で「鹿鳴館」で使われていたとまでは思いませんでしたが、それにしても相当の豪邸で使われていたのだろうな~とは思って購入したわけです。
菊花の面(ソケットを付けた状態)
菊花の面から右に120度回転させた波兎の面(ソケットを付けた状態)
菊花の面から左に120度回転させた波兎の面(ソケットを付けた状態)
菊花の面(ソケットを外した状態)
菊花の面から右に120度回転させた波兎の面(ソケットを外した状態)
菊花の面から左に120度回転させた波兎の面(ソケットを外した状態)
ソケットを付けた状態の側面
ソケットを外したところ
ソケットを外し、それぞれを裏返したところ
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 大正~昭和初期
サ イ ズ : 総高6.3cm 底口径;6.7cm
なお、この「色絵 菊花波兎文 碍子」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で、既に紹介しているところです。
そこで、次に、そこでの紹介文を再度掲載し、この「色絵 菊花波兎文 碍子」の紹介とさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー156 有田焼色絵菊花波兎文碍子 (平成23年3月1日登載)
これは、昔は「碍子(ガイシ)」と言ったと思うけど、現在では「碍子」とは言わないようだ。
最近では、もうこのような物は一般家庭では使われなくなってきたからであろう。これに相当するような器具は、今では「碍子」とは言わず、「ローゼット」と言うようである。
もっとも、広義では「碍子」の仲間なのだろうから、ここでは「碍子」と言うことにする。
もともと「碍子」は絶縁物であるから、電気を安全に送り届ける役目があればいいわけで、工業製品であり、何の装飾もない白磁がほとんどである。
そういう先入観があるので、この「碍子」を目にしたときは驚きであった。
こんな普通目にしないような物をどうしてこれほどまでに華やかに作る必要があるのか! と。
見えないところにコダワリを持つのが「粋」であり、「粋人」が着物の裏地にまで凝るようなものである。
江戸時代の長い時の経過の中で、見えないところへのコダワリや派手すぎない贅沢が、通好みな美意識として定着していったという。
この「碍子」には、まだそうした美意識の残像が見られるのではなかろうか・・・・・。
大正~昭和初期 総高:6.3cm 底口径:6.7cm
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*古伊万里バカ日誌88 古伊万里との対話(色絵の碍子)(平成23年3月1日登載)(平成23年2月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
碍 子 (有田焼色絵菊花波兎文碍子)
・・・・・プロローグ・・・・・
今年はウサギ年である。古伊万里にはウサギを描いたものが多いし、また、それらは人気も高い。
主人は、「そういえば、今年はウサギ年なのに、まだウサギを描いた古伊万里とは対話をしていないな~」と気付き、ウサギを描いた古伊万里を捜すべく、押入れ内をひっくり返しはじめた。
ところが、世の中にはウサギを描いた古伊万里は多く存在するものの、主人の所は貧庫ゆえ、なかなか目当ての物が見つからない。それでも、なんとかウサギを描いた物を見つけ出しきて対話をはじめたにははじめたのだが・・・・・。
主人: 今年はウサギ年なんだけれど、まだウサギを描いた古伊万里との対話をしていないことに気付いたので、お前を押入れから見つけ出して出てもらった。
でもね~、見つけたには見つけたんだが、お前は到底「古伊万里」とは言えそうもないし、別なものと交代してもらおうかなと思ったんだが、我が家には、おいそれとそれに代わるような「古伊万里」は見つかりそうもないので、お前と対話をしようと思う。
しかし、「古伊万里」と対話をするわけではないから、「古伊万里との対話」というタイトルの中に入れるには「看板に偽りあり!」になってしまうけれども、そこはご容赦いただこう(~_~;)
碍子: 何時頃のものまでを古伊万里というんですか?
主人: そうね~、私が古伊万里の蒐集をはじめた頃は、元禄・享保ぐらいまでのものを古伊万里と言っていたかな~。それ以降のものは、すべて、「幕末物」とされて、骨董の世界では相手にされなかったな~。でも、その後、骨董ブームが起きてくると、市場に元禄・享保くらいまでのものは不足してきたので、だんだんと時代区分が甘くなり、「江戸後期までは古伊万里にするか」ということになってきた。でも、それでも不足してきて、「幕末あれば古伊万里と認めるか」とか、「ギリギリ江戸時代あれば古伊万里とするか」ということになった。最近では、明治の初めの頃まであれば「古伊万里」にするのかな~?
碍子: 私は明治の初めもないんですか・・・・・。
主人: それはそうだ。明治になって、長い鎖国の時代が明け、文明開化の時代を迎え、街にはモダンな西洋文化があふれた。その象徴の一つが電灯照明だが、日本初の電灯(アーク灯)は東京・銀座で1882年(明治15年)に灯されたという。
お前はどう見たってその頃に使用されたものではないだろう。電灯照明がかなり普及した頃に作られたにちがいない。早くみても、大正~昭和の初め頃に作られたのではないかな~と思っている。
碍子: 私はそんなに新しいんですか(涙)。
主人: 残念ながらそう見ざるをえないな。
お前が「碍子(ガイシ)」という形をしているから、そう断ぜざるをえないわけだ。電灯照明という歴史上のまぎれもない事実に照らせば、そう断ぜざるをえまい。仮にお前が碍子ではなく、皿や鉢の形をしていたとしたら、あるいは「幕末~明治初め」と言ってもそれで通るかもしれないね。お前を作った人は、「いい仕事してるね~」と言われてもいいと思うもの(*^_^*) まっ、それだけに、陶磁器の時代判定というものはむずかしいということだね。
それに、お前の産地が「古伊万里」の産地の「有田」なのかどうかもはっきりしないな。その頃になると磁器は各地で作られるようになったし、「碍子(ガイシ)」は瀬戸でも大量に作られているから、あるいは「瀬戸」なのかな~とも思えるので・・・・・。
碍子: 私にはマークが付いていますから、メーカーの「製造製品資料室」とか、各地の「歴史民俗資料館」のような所で調べれば、何時頃、何処で作られたのかが判るんじゃないですか。
主人: そうだね。お前には、産地と時代を判別するための強力な動かぬ証拠が残されているものね。それを調べれば判るよね・・・・・。
ただ、残念ながら、今の私にはそれを調べるだけの情熱がないんだ。許してくれ。お前をアップすることによって、それを見た方から何らかのヒントが寄せられるかもしれないね。それに期待しよう(^_^)
まっ、今のところ、私のこれまでの経験から、お前の磁肌等から判断して、「古伊万里」の産地の「有田」で作られたものではないかと思っているので、お前は「有田焼」に属するのではないかと考えている。もっとも、私の判断など当てにはならないけどね・・・・・(>_<)
碍子: それにしましても、「古伊万里コレクター」を自認しているご主人が、どうして「古伊万里」にも属さないようなものを買ったんですか?
主人: うん、魔がさしたのかな~(笑)。
それは冗談だけれど、時代の若いのも承知で、産地が不明なのも承知の上で、気に入って買ったんだ。平成11年のことで、東京の骨董市でのことだったな。
その頃になると、骨董市場にも古いものが枯渇してきたのか、明治や大正の頃のものも多く登場するようになった。それらの中にはなかなか良い物もあったよ。染付や色絵の便器なんか出色のものだったね。さすがに便器まではいくら良く出来ていても買う気にはならなかったけどね。そうした中にあって、「碍子」もけっこう登場するようになった。多くは白磁だったけれど、たまに染付のものもあったね。しかし、お前のように色絵のものは珍しかったので飛びついたというわけさ。
碍子: それほどの魅力があったんですか。
主人: そうだね。魅力たっぷりだった。
普通、我々が見ている「碍子」は白磁ばかりだから、染付のものにも新鮮さを感じたけれど、色絵の「碍子」を見た時にはビックリしたね。「碍子」にこんな素晴らしいものがあったのか! と!
ちょっと見には時代もありそうに見えたので、「幕末はあるのかな~」などと一瞬鑑識眼が曇ったが、「碍子なんだからね。江戸はないんだよ。明治以降であることは確実なんだよ!」と自分自身に言い聞かせた。
でもね~、お前のその華やかさを見ていると、どんどんと夢はふくらむ一方だった! 明治以降に作られた物だとしても、相当の邸宅に使われたに違いない! もしかして「鹿鳴館」で使われていたのかな~、等との妄想は尽きることがなく、エスカレートしていく一方だった。
そういう妄想のエスカレートの結果、何のためらいもなく、お前を購入することにしたんだ。骨董では、そういうロマンを駆り立てる物に魅せられるんだよね。
冷静になった今、まさか「鹿鳴館」で使われていたなどとは思ってもいないが、それにしても相当の豪邸で使われていたのだろうな~とは思っている。そして、その豪邸はどのような方が建てたのだろうか、その方は何をやっていた方なのだろうか、等々、またまた想いの夢は尽きないんだよね。つまり、お前にはロマンがあるんだ!
「古伊万里」には、いや、「古伊万里」とまではいえないものにも、我々をロマンの世界に誘ってくれるものがある。製作年代の新古を問わず、そういう物は人に感動を与えるのであり、そういう物は真の美術品の仲間入りが出来るのではないだろうか。
碍子: 「碍子」風情を美術品の仲間に入れてくださりありがとうございます(感涙)。
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実は、故玩館をリフォームする時、このような碍子で配線を統一しようと思ったのですが、色絵の良い物が揃わなかったので、あきらめました。それまで使っていた大量の白碍子と一緒に、ネットオークションで売りました(^^;
こんな古九谷もどきの碍子があったら、一個でも使っていたでしょう(^.^)
ところで、碍子さんの読みは、「がいこ」でよいでしょうか(^.^)
確か、日本初の碍子(ガイシ)メーカーは香蘭社だったことを思うと
やはりその技術と伝統がこのような立派な実用品を生み出したんでしょうか。
ワタシはこのような立派な碍子は見たことがありません。
さすがですね(^_^)
このような物を使った配線を見たら、ビックリしますよね。
ただ、なかなか手に入りませんものね。これも、後で気が付いたのですが、ニューがあります(><)
ニューがあっては、実用にはならないのでしょうね。電気保安上の問題もあるでしょうから、、、。
「碍子」は、「がいこ」ではなく、「ガイシ」と読むようです。
今でも、香蘭社製のコーヒーカップなどには魅せられますよね(^_^)
香蘭社には、それだけの技術と伝統が蓄積されていますよね(^_^)
すると、ガイシさんではチョッと思ってお尋ねしました(^^;
でも、平安時代、紫式部が使えた中宮彰子は、「あきこ」ではなく、「しょうし」だそうですから、「碍子」さんも「がいし」さんでいいと思いました(^.^)
それからいくと、今回の「碍子」も、「ガイシ」ではなく「がいし」のほうが良いということですね(^-^*)
なるほど、文学性のない無骨な発想しかかびませんでした(~_~;)
登場人物としての「碍子」は「がいし」と呼ぶことにします(^-^*)
そうすると、高貴な女性になりますものね(^-^*)