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Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

「安土往還記」

2020年06月13日 15時04分00秒 | 読書

 「安土往還記」を読みました。

 この「安土往還記」につきましては、或る方のブログの中で、その存在を知りました。

 私は、最近、織田信長や本能寺の変について興味を持ち、織田信長や本能寺の変について書かれた歴史小説を図書館から借りてきて好んで読んでいましたが、なにせ、田舎の小さな図書館なものですから、蔵書数も少なく、その図書館にある織田信長や本能寺の変に関する歴史小説の類をほとんど読んでしまっていました。

 それで、何か、織田信長や本能寺の変に関する歴史小説の類がないかなと思っていた矢先でしたので、さっそく、それを読んでみようと思い、そのいつも行っている図書館の蔵書をネットで検索してみました。

 まっ、ないんだろうなと思いましたら、意外や意外、あったんです!

 それは、この「安土往還記」は、もともとは、昭和43年(1968)に著者43歳の時に筑摩書房から単行本で刊行されたようですが、今では、昭和文学全集に所収されていたからです。単行本で探しても見つからないわけですよね。

 それで、久しぶりに織田信長に関するものが読めると喜んだものの、今度は、例のコロナ騒ぎで、図書館が休館となってしまいました。

 やっと図書館が開館となり、読めることとなったわけです(^-^;

 重複しますが、そんなこんなで、ようやくのことで、「安土往還記」(辻 邦生著)(昭和文学全集第24巻所収)(小学館 昭和63年8月1日初版第1刷発行)を読めたわけです。

 この「安土往還記」は、著者辻 邦生が初めて書いた歴史小説だとのことです。

 

 前置きが長くなりましたが、それでは、いよいよ、この「安土往還記」の内容を紹介したいと思います。

 ところで、この本の書き出しというか構成が、ちょっと変わっています。

 

 Aという人物が、南仏ロデス市の著名な蔵書家C・ルジュース氏の蔵書の中の日本関係古写本の最後に別紙として綴り込まれていた、Bという16世紀に活躍した航海冒険家がその友人に宛てて書いた長文の書簡断片を発見します。AはBに興味を抱き、Aは、その長文の書簡断簡を日本語に翻訳することを思い立ちます。

 そのようにして、Aによって日本語に翻訳されたBの長文の書簡断簡が「安土往還記」ということになっています。したがって、この本の主人公はBということになります。

 またまた、前置きが長くなりましたが、いよいよ内容の紹介です。

 

 Bは、ジェノヴァの生れで、故郷の港町の裏通りで、妻と情夫を殺害してしまいます。官憲の手から逃れるためにリスボアに逃れ、辛酸を舐めますが、新大陸探検のための航海者の募集に応募し航海者となります。

 紆余曲折を経て、1570年の初夏、日本の九州に上陸します。目的は、宣教師のカブラル師とオルガンティノ師を日本に送り届けることでした。

 1572年、カブラル師とオルガンティノ師が上京することになりましたが、Bは、病弱なオルガンティノ師が心配で一緒に京まで行くことにします。

 京に到着後、既に京にいたフロイス師に伴われ、カブラル師、オルガンティノ師等とともに信長の居城の岐阜に赴きます。

 そこで、信長と対面しますが、信長は、Bの所持していた短銃に興味を示し、Bを軍事顧問とします。そこからが、Bと信長との交流の出発となります。

 その後、Bは、短銃隊を編成して隊員の訓練をしたり、伊勢に行って九鬼水軍の巨大鉄板張り船造りに従事したりと縦横の働きを示します。

 信長による比叡山焼き討ちは1571年ですから、Bは、信長と、その直後に対面しているわけですね。

 その後も、長島討伐、石山城攻め等々にも、常にではないですが、関わってきているんですね。また、信長は、その間に、岐阜城から安土城に移っています。そして、最後には、信長が本能寺で亡くなったことを知るわけですね。

 Bは、そうした信長との関わりの中で、信長に自分と類似した姿を感じ、一個の人間として深い敬意を払ってその書簡を書いています。

 歴史ストーリーとしては、特筆すべきものはありませんが、信長は、異国の航海冒険者からみれば、単なる暴君ではなく、敏感で、知的で、内省的な人物であり、そこには一片の残忍さ、粗雑さ、平俗さも混じっていない人物であったとしています。

 

 以上が、この「安土往還記」の概要ですが、私的に残念だったことは、本能寺の変についてほとんど書かれていなかったことです。

 なお、この「安土往還記」では、Bは、信長の死を知った1年後に日本を離れ、その後ゴアで無為に十数年を過ごしながらこの書簡を書いているというところで終わっています。