湯治庵の日々

癌・頑強・爺・自律・自由・自在

三好心 写真展 OVER THE DOOR~父へ捧げる詩~

2011年10月06日 | 生きる

テリー様 写真展を開催する事にしました。

授かった魂は絶える事無く熱く熱く燃えています!

三好 心 写真展2011『OVER THE DOOR~父へ捧げる詩~』

会期:2011年10月8日土曜日~16日日曜日

11:00 ~ 20:00 (三好は会期中終日在廊致します)

会場:元麻布ギャラリー

〒106-0046 

東京都港区元麻布3丁目12番地3号B1ギャラリー

TEL03-3796-5567

都営 大江戸線 『麻布十番駅』7番出口より徒歩4分




より大きな地図で 元麻布ギャラリー を表示

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誕生日おめでとう

2011年05月05日 | 生きる
テリー様
誕生日おめでとうございます!
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誕生日おめでとう

2010年05月05日 | 生きる
テリー様
誕生日おめでとうございます!
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ご冥福をお祈り申し上げます。

2010年02月21日 | 生きる
おばあちゃんありがとう。

テリー様
ご存知かと思いますが、本日おばあちゃんが胃がんの為、亡くなりました。

天国でゆっくり親孝行をして下さい。

おばあちゃん
安らかにお眠り下さい。
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命日

2010年02月17日 | 生きる
テリー様 もう一年ですね
先日、藤岡の家族のみでひっそりと一周忌を行いました。
これもテリー様の遺言通りですね。
家族にはテリー様の存在が大きすぎて、なんとも言えない気持ちです。
私もそんな人にならないといけませんね。未だに教えられる事ばかりです。
正直もっと話したかった、親孝行したかった。
もらうだけもらった恩をどう返せば良いのか。
そう思いますが、テリー様からの答えは直ぐにわかります。

『生きろ』

きっと厳しく優しい笑顔でそう言うのでしょうね。
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2010年

2010年01月01日 | 生きる
テリー様
2010年になりました。
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誕生日おめでとう

2009年05月05日 | 湯治庵の日々
テリー様 誕生日おめでとうございます。
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お墓へ

2009年04月06日 | 湯治庵の日々
テリー様

2009年4月4日(土)四十九日

テリー様がご自分で造られたお墓に納骨を致しました。
http://www.tetsuaki.net/bohyou/bohyou.html

遺言通り、先に亡くなったテリー様の娘、私の姉ユミちゃんと一緒にお骨を納めてきました。

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テリー様が亡くなってから今日はじめてメーラーを起動しました。
ビックリしました。
私以外にも多くの方が今でも亡くなったテリー様と対話をされていることに。。。

本日はテリー様の命の恩人Sドクターからのメールをお伝え致します。

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2009年2月22日


永遠の宇宙に戻られた三好さんへ
日本人男性の平均寿命は79歳、66歳9ヶ月で旅立たれ、まだまだ本当はお元気でいて欲しかったのですが、しかし少し短い人生ではありましたが、その人生の濃さ、密度を考えれば、普通の人の100年にも120年にも匹敵するので、短くも美しく燃え、の言葉の如くの人生を歩まれたのだと思っています。微動だにしない全くぶれることのない信念と、また強い精神力に裏打ちされた行動力は、私の、そして全ての人々のお手本です。700KMを泳ぎ抜いたように夢とロマンの追求、藤岡市政の汚れた事件で、一人立ち向かっての出馬、10年間の戦いは、正義の味方が、まだこの世に存在することを内外に示しました。
限られた資源の地球で人類が平和で暮らし続けるためには、人類の持つ自分が良ければ良いと言う欲望を徹底的に自制し、環境と資源を守らなくてはなりません。その観点で見れば、今地球に溢れている、金銭欲、権力欲、利権欲、名誉欲は、今の自分、今の自分の勢力、自分に都合の良い利権構造を守ろうとするもので、これは近い将来に人類が滅びる原因となる、極めて有害な欲望なのです。ここで三好さんが生涯をかけて取り組んだ、自立と共生の理念が生まれたのです。YahooでもGoogleでも検索のtopに出てくるのも驚きなのですが、人類がこの地球で長く生きていくために必要な、必須な概念を早くから持たれ、行動してきたことが、如何に先を読む洞察力があったかを示しているのです。
病気になられ、その洞察力と行動力は、更に加速され、研ぎ澄まされ、文字通り、生きるとは何かを行動を持って示されました。この20ヶ月の間に、何度も何度もお話をする機会を得ました。価値観を共有することの楽しさを経験し、何度も勇気を与えて頂きました。そして、生きることのお手本であると尊敬して来ました。病魔が進み、身体の自由が次第に制限されていく中でも、その精神は益々研ぎ澄まされていき、人は最期の最期まで進歩し、輝き続けることができることも、身を持って私たちに教えて下さいました。今その肉体は宇宙に戻りました、もう二度とこの世で楽しい話をすることができないことが残念ですが、その精神はしっかりと私の心の中に存在し、生き続けています。人は誰にも肉体の終りは来るものです。多少早いか遅いかの違いです。
私もまた近い将来、黄泉に参ります。そこでまた楽しい永遠の時を一緒に過ごさせてください。
今地球に一つの彗星が近づいております。Lulin彗星です。今朝未明に撮影しました。地球に生命をもたらした天体でもあります。三好さんの肉体が宇宙に戻られるときに合わせてその神秘な光芒を私達の地球にもたらしているようにも感じます。
駆け抜けた人生、しばらくはゆっくりお休み下さい。言い忘れましたが、息を引きとられる時、信頼する奥様、二人の子ども様に手を握られておりました。これはとてもとても幸せな人生であったことを、形で表した映像として私の脳裡に焼きつきました。
最後に、本当に有難うございました。心から感謝申し上げます
N.S

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2009年3月14日

もうすぐ一月が過ぎようとしています。あまりにも忙しい日々をおくられて来ましたから、まだしばらくはゆっくりお休みください。地上は明るく春の兆しがする今日この頃です。夕方の空にオリオン座の足元から立ち上るISSIを撮影しました。地上の雑音とは無縁の静かな美しい飛行です。人は全ての雑念を捨て去れば、また生命の源の宇宙に還ることができるのだと、思い、何時だったかそんな話に同感、共鳴したことを昨日のことのように思っております

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テリー様
テリー様は本当にご友人に恵まれましたね。
死後にテリー様のメールアドレスに送られてくる多くの会話に驚いております。
同期生の「ななかまどの会」の皆さんをはじめ、多くご友人の皆様が天国のテリー様とお話されています。
まさに「死してもなお」です。
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ご友人の皆様
誠に感謝申し上げます。
父が残したメッセージが、父のパソコン等に多く残っております。
少しずつ、皆様にお伝えできるようもろもろの準備をはじめていこう思います。
自宅には記録が残っていない皆様の記録、記憶の中の父の姿も何かの方法でお話いただけるような手法も考えております。

死してもなお、『三好徹明』は生き続けます。

これも生前、皆様の支えがあっての事と感謝申し上げます。
父が亡くなる直前に口にした言葉をお伝えします。

「ありがとう。ありがとう。」
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死しても尚

2009年02月20日 | 湯治庵の日々
テリー様、
テリー様はすべてわかっていたのですね。
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テリー様の遺言に従い、葬儀が終わる迄、死を伏せました。
ただ、下界の手続きで僅かな漏れはしかた有りません。
残された我々はテリー様のお言葉を忠実に守り、すべての贈りものと、参列をお断り致しました。

葬儀はお言葉に従い、藤岡の家族のみで行いました。
実のご兄弟の参列まで御遠慮頂く徹底ぶりには、ナタリーもナターシャも戸惑っておりましたが
私(シンナー)は、心を鬼にしてに従いました。
なぜなら、生を授かり今迄、テリー様の言葉が理解出来ない事が有っても、結果はすべてテリー様の予言通りだったからです。

テリー様は御自身の余命を悟られてから、未来が見えるとおっしゃっていましたね。
最後に来て、非常に貴重な体験をしたと。。

テリー様を失ったナタリーのボロボロの心と自宅での二年間の看病の心労と疲労。
また、悲しむ間もない程の数々の下界の手続き。。

『死しても尚(ナタリー)』を気遣う夫婦愛、また、すべての父を愛する人への公平、配慮、遠方のご兄弟への更なる配慮、すべて考えぬかれたベストの解答であったと思います。

流石です。

ただ、その陰には『駆けつけたい気持ちを必死に押し殺して』テリー様の最後の言葉に賛同して頂いた多くの家族、友の愛がございます。

テリー様へのご報告の場をお借りし、皆様に心より厚く御礼を申し上げます。

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有言実行

2009年02月18日 | 湯治庵の日々
テリー様、
テリー様の残した言葉をお伝えします。

※写真 三好徹明(51歳)
※文 三好徹明(53歳)
1995・9・6
「ななかまどの会」便りより  
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「有言実行」について
 私は小学校1年から中学、高校と室蘭市小橋内町に住んでいました。
当時夏休みになると夕方から隣の空き地に、キリスト教会の天幕伝導集会が、
決まって毎年やって来ました。
マンガ〔手塚治虫〕が大好きで、外の遊びから帰ってきて夕方、少年クラブ、冒険王、など仲間と貸し借りの回し読みをしていると、決まって隣から賛美歌が聞こえてきます。子供ながら何となく厳粛な響きと未知の関心に引かれ、なんとなく、テントの中に自然に入っていきました。
一度集会で牧師の話を聞いてからは、集会に行かないで家にいるのが、
悪いことをしているように思え、又次の日にも通うのでした。
私は神の存在を子供の認識の仕方で、信じるようになってしまったのです。信じるというより、人間を越えた絶対的存在として私たちを支配している存在があるのだと、畏怖の念を心深く刻んでしまいました。オ-ム真理教の信徒が地獄におちるぞと、マインドコントロ-ルされたように、子供の私は悪いことをすると、天から神様が心のそこまで全てを見ていて、人を憎んだり、意地悪すると最後の審判の日に裁かれてしまうのだと悩みました。
後にどうして私が子供ながらに神の存在に怯え、自己発現を素直に出来なかったか、遠い昔の出来事が深く係わっていたことを思い出しました。
それは今日まで決定的に私自身を自縛してきた原体験に行き当たるのです。
 私の父は19年前に亡くなりましたが、戦前から昭和石油〔現在の昭和シエル〕に勤務、戦後すぐに、会社の命により、物資窮乏のおり石油精製所建設に必要な耐火煉瓦生産のため、責任者として福島県なこその煉瓦工場を買収し、家族全員で移住しまた。
3年間試行錯誤を繰り返し実験、試作を繰り返しましたが、結局土そのものが適さなかったため、所定の耐火性能の煉瓦の生産は無理であるとわかり、昭和23年夏、父と姉と兄二人は一足先に横浜に出発しました。
母と、3歳下の妹と6歳になった私の3人が、横浜の家がかたずき、
父の迎えにくるまで1週間ばかり、なこその家で待つことになりました。
なこその思い出は、炭鉱の子供たちと小川や、沼でザリガニを捕ったり、竹の子、いちじゅく、バッタ、イナゴを追いかけ、一日中野山を駆け回っておりました。
なこその海岸に家族や会社の職員の人と塩造り〔海水を汲んでは足し、汲んでは足し、ドラム缶を薪で焚きながら煮詰める〕や、上の兄二人〔長男は高校生、次男は中学生〕が遊びに行くのについていきたくて、うるさがられ逃げられた、悔しい思い出など今まだに鮮明に瞼の奥に刻まれております。
座敷に丸太のように太い青大将がのっそりと入ってきて、母が慌ててお乳を呑む妹を置き去りに、縁側から飛び出てしまい、あわてて連れに入った話など、昨日のように蘇ります。
秋になると刈り取った稲わらの天火干しの中に入って、かくれんぼ、
兄たちの出かける後ろを、泣きながら追いかけて、澄みきった川の橋の上から
小石を投げながら一人で待っていた記憶・・・兄弟そろった懐かしい記憶が
強く残っております。
父や上の姉、兄達がいないで、母と3人で過ごしたのは始めてでした。
3人暮らしの3日目の夕方から、激しい雨風が強くなり嵐がが襲ってきました。
私の家は丘の端に有り、南の掃きだし窓からの見晴らしは素晴らしく、
見渡すかぎり田んぼが眼下に広がっていて、秋になると黄金色の海が波打ちます。
見晴らしも良い代わりに、風当たりも良くその夜は雷がなかなか止まず、
叩きつけるような横なぐりの大粒の雨が滝のように降り注いでいました。
電柱に落雷でもあったのでしょうか、停電で真っ暗になった部屋に轟く雷鳴と、畳を稲妻がなめてゆくたびに、運悪く夕方からお腹が渋る母の枕元で、私は怖がりしがみつく幼い妹を、必死で抱え恐怖に震えておりました。
先に旅立った兄たちに、日頃、夜になると狐や狼の怖い作り話を聞かされていました。
私は、真っ暗な台所の奥に、きっと狐やお化けが息をひそめて、こちらを伺って
いるかもしれないと思うと、身動きもできません。
母の容態は次第に悪くなり、大量の汗をかき高熱の為苦しいうめき声を吐いています。
後で判ったことですが、腸ねんてんだったのです。
同じ煉瓦工場の職員として母の実弟家族も来ており、500メ-トルほど離れた
職員宿舎にまだ居りました。
 
 「てつあき・・・五郎叔父さんのところへ行って知らせてきて・・・」

私は玄関を開けて出ようとするのですが、耳をつんざく雷鳴と丘の上をなめ尽くす白い稲妻に、どうしても足が出ません。
母は、痛みの発作が少し収まったのを見計らい、自分で叔父のところまで助けを求めに行きました。
叔父は丘の下の炭鉱の車を手配し、町の病院に母を運んで九死に一生をえたのです。
その後、横浜で小学校え入学し、父の転勤〔室蘭油漕所建設の責任者として〕
の為3学期には、冬の北海道室蘭に移住し絵鞆小に転入したのです。
母や姉は時折、思い出話で福島なこそでの嵐の夜の話をするのでした。
 「徹明はその話のときは何時も耳をふさいでいたね」
私はあの嵐の夜の事を今も忘れません。子供のころから自分の勇気の欠如を、子供ながら、かなりの年月の間、思い出しては勇気のない自分を責めました。
 
「自分は2度とあの時のような、勇気のない情けない行動はしないと何時も
  心の何処かで叫んでいました」

だから母や姉の思い出話に〔小学校5年ごろまで〕耳を両手で覆ったのだと思います。
私の有言実行のスタイルはこの幼児原体験の恐怖と、自己嫌怨が現在までの
行動パタ-ンを形成しているようです。
先に書いたように、室蘭小橋内でキリスト教会に出入りしたことも、おそらく心の何処かに過去の自分の行動を懺悔する、子供ながらの潜在意識が作用したものかもしれません。
私が、これらの自縛の意識から開放されたのは、大学2年の時でした。
それまではスポ-ツ万能運動少年だった私は、普通の青年らしい人生の懐疑などに悩むことはほとんどありませんでした。中学はバスケット、高校は柔道、大学1年間はボクシングと殆ど書物とは縁のない生活でした。1年の終わりにふとこのまま
では、何かが足りないと思いはじめ、本を読みはじめました。
読書の系統だった読み方も、周囲には当然の如くアドバイサ-も、読書家もおりません。〔白鳥湾物語の登場人物をみていただければ理解できると思います〕
そんな訳で、とにかく日本か、外国の古典を読めと何かで読んだのを思い出し
さそく外国の文学作品からてを付けたのです。
ヘッセ、ゲ-テ、フロ-ベル、マ-クト-エン、スタインベック、ジイド、・・・
手当たり次第わかっても判らなくても読みました。
ある時スタンダ-ルの「赤と黒」を読んで文末の解説にドストエフスキ-の
本が紹介されていました。これが私とドストエフスキ-の出会いでした。
カラマゾフ兄弟の3男のアリョ-シャが、ゾシマ長老の遺言で教会を出て
一般社会に出てゆく所で長編物語は終わっていました。
気がついてみると、私も長らく覆いかぶさっていたキリスト教的戒律から
開放されていました。
孫悟空が、お釈迦様の手のひらの宇宙で、何の疑問もなく暮らしていた
ことと、自分の認識していた世界が実はお釈迦様の手のひらの世界であったことを、目の当たりに知ったことと似ているかもしれません。何処かで通じているようです。
私は教会から出た、アリョ-シャと共に最初から出直すことにしました。
頭で理解しようとした観念的世界からは、私の求める真理は導き出されない・・
身体を現実世界に浸し洗礼を受けてみようと考えました。
キリスト教的倫理観が、現実を支配しているものならば、身体を通して悟りに
至に違いないと・・・
その後、ドストエフスキ-の全作品からロシア文学全体に触れ、ニ-チエ、カミユ、キルケゴ-ル、カフカ、ベルジャ-エフ、サルトル、などで学生時代が終わりました。
そんな有り様でしたので、大学は5年かかってしまいました。当時の写真を見ますと、これが自分かと思うほど痩せこけて、柔道で北海道大会へ出場したなど誰も信じてくれませんでした。
53歳の今日まで、散り散りに身も心も変遷をしてまいりましたが、先に書いたキリスト的世界観を否定も肯定もこだわらなくなりました。
禅宗で言う、
  
  「今日一日、悔い少なく生活し
   何ごとにも執着しない、自在な自己であり、
   これからも自分に正直に忠実に生きていきたいと念じています」

とは言うものの、日々に細かい事に心乱されて、悩み多い生活を過ごしております。
せめて、こうして独白などして日々の憂さを晴らしつつ、情けない自分を今日もまた慰めているような有り様です。
                       1995・9・6


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入院3日目

2009年02月16日 | 湯治庵の日々

テリー様、

余命の足音が耳に聞こえてくるようになりました。
息子が休みをとりいイアクセスに加入し、最高速度無線でインターネト環境が整いました。

病室の末期の私の顔です。

自立と共生 http://tetsuaki.net/

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急速に体力の低下

2009年02月13日 | 湯治庵の日々

テリー様、
体力の休力の低下が続いています。
不思議なことですが、何時も早めに体から微弱の信号が出てきて知らせてくれます。

今日来た車椅子でパソコンに向かって打ちこんできます。
車椅子のことを、昨日地元の禅の研究で友人の0さんに相談したとおろ、たちどころに希望した車椅子が、お昼に届きました。今日から使っております。
廊下に3か所の段差は、建具屋さんが、すぐ作っているとのことで、大丈夫です。

昔から、スロープに1か所ドアーを作る予定でしたが、目の黒いうちにデザインを決めて、建具やさんと看板屋さん(数十年の付き合い)の最後の仕事を頼みんました。
デザインは戸井田のをパクリ」楽しみにしていてください。

私が10年前造った、サンルームと屋根が対応年数が来たので、大工さんにお願いしはりかえと取り替えます。}ついでに茶室の2畳前失室も簡単につくりかえて。完了です。

これで前世に思い残すこともなく、長谷川君指導の自宅サーバが完成すれば、すべての撮りためた記録を公開することで終了トンります。
どこまで整理できるかが余命です。

余命カレンダーの3月末日はもう少しです。
毎朝赤い×でつぶし、1日を送っております。

3月31日のあさは、新緑の眼が吹いているだろうか思い浮かべながら・・・・。

「自立と共生」 http://tetsuaki.net/

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千葉から・・

2009年02月11日 | 湯治庵の日々

テリー様、
千葉から8日に来た3人です。
左から長谷川君(現役監査)、小林君(現役社長)、私、佐藤君(直腸癌ジャンボジエット機整備士引退)みんな元気です。

私が幹事のとき時、富士山へ登りました。最後は私はバテバテで,

小林君にリユックを背負ってもらう有様でした。
ありがとう。

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風邪にダウン

2009年02月10日 | 

           k・nobukoさん

テリー様、
3人を見送り、ついでにお墓に立ち寄りました。
外へは何日も出ておりません。日曜日は特にこの地方特有の空っ風吹いており、うっかりしました。

夕方から寝込んでしまい全身が痛み、2時間おきに睡眠です。立って歩くのがやっとです。
いつでも入院できる体制でいます。食欲もなく口内炎で口が切れ物も入りません。明日には少し改善に向かう兆候が出ていあますが・・・・。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
「ななかまど会 同期生
http://www.httt.jp/shimizu/
K.nobukoさんからの便り。

「わざわざメールを有難うございました。
毎日、あなたのブログを読ませてもらっています。
一日を30時間にしているのを驚きをもって読みました。私は、ぐうだらと一日を12時間くらいで過ごしています。
せめて、24時間を目指しますね。
13日はホスピスのお話し会で、今月は「鶴女房」を語ります。山形県の昔話で、一般に知られている「鶴の恩返し」とは違い最後に若者が鶴の織った布を身体に巻きつけ、

「どうぞして、
おらも鶴こになりてや、神さま!」と願うと若者も鶴になり天に昇り鶴のお方と仲良く暮らすという話です。
私はこの話が好きで、心を込めて、この季節には語っています。
今日は、暖かく、良い天気です。手紙はお邪魔になると思いやめました。時々メールをさせてください。
くれぐれも返信は不要に願います。

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自由とは?

2009年02月07日 | 生きる

 テリー様、
やっと1日を30時に膨らませることに、成功しつつあるようです。
圧倒的に自分の自由の時間が広がりました。

自由とは何か?

まず、物理的制約からの解放・・
しかし、肉体的存在の上に命が乗っかっているので限界があります。当り前のことですよね。
難病になって、それを体で改めて理解しました。

自由とは「自らの心の解放」のことを言うのですね。
これが何とも厄介なのです。

多くの人は、一生かかっても、手にすることなく終えます。
また考えることなく疑問も持たずに人生をあわただしく終わる。周囲を見ているとわかります。


「自立と共生」 http://tetsuaki.net/

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