湯治庵の日々

癌・頑強・爺・自律・自由・自在

垣見一雅(OKバジ)-④

2008年07月30日 | 垣見一雅(OKバジ)

5年前に来日赤城山で・・・

 ネパールの田舎で15000人が一箇所集合するということが、いかに大変なことであるかはともかくとして、10周年企画とネパール語の本の出版を垣見一雅本人が直前になるまで知らなかったというから驚きである。

つまりネパール人の人々の中から感謝の気持ちを形にしたいと自然に湧き上がったイベントであった。1年の準備したという。

OKバジ活動(10年間)の記録
記録に残って確認できるプロジエクト
建物(主に学校建設) ーー33校
家具(机と椅子)    ーー20校
基金設立        ーー26基金
その他(生活・修理・橋)--27件
水道施設建設      ーー22
他にも記録残らない支援活動多数
これらの活動をたった一人でやり遂げているのである。
日本の支援団体    ーー49団体

10周年記念にネパールで出版された本。
「われらのOKバジ」(ネパールの垣見一雅)
著者 ニルカ・ネオパニ  訳 クルマ・タパ

この本の内容は、40村の村人の声をまとめたものです

各村人の感想を一言で言うと、
「日本から来て、何の見返りも求めない無償行為の実践者」

本の中に、こんなやり取りがありました。

「垣見さんネパールでの生活はどうされているのですか?」
「私が日本で受け取る年金6万円を送ってもらい当てています。
残ったお金は社会支援活動に使います」

垣見一雅の信望者 ネワール人のロスさんは来日したとき
私に言いました。
垣見一雅さんは現代のブッタなのです。

高級車に乗り、立派な家に住み、美食を好む太った日本の多くの宗教者は、
ネパールドリマラ村に棲む生き仏」を一度尋ねてみたらどうだろう
あの村まで行くには足腰がもたないか(笑)

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垣見一雅(OKバジ)-③

2008年07月28日 | 垣見一雅(OKバジ)

テリー様、
昨日はでしたので、伊勢崎モールまで行って石塔の前に敷き込む平石を買ってきました。
持ち運びを軽くするために30センチ角の大きさを選びました。
昔、20代のころ建設現場で働いた時のことです。
現場でとび土工職の世話役とお酒を一升賭け、力比べをしたことがあります。
片手一本で、50キロを一気に頭上まで持ち上げ私が勝ちました。
いまの私は5キロもでもだめでしょう・・・
昨日は夕立で一気に気温が下がり、グッスリと今朝8時過ぎまで眠れました。
体全体の免疫力にも関係があるのでしょうか、
最近平均的にみると、副作用が以前よりすこし進んでいるように感じます。

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1997年10月私は始めて海外旅行に出かけました。
「ネパールの旅


マガール人の山村で暮らす垣見一雅という人間・・

2004年3月13日、垣見一雅(OKバジ)在ネパール10周年記念式典が開かれ,ネパールパルパ県のランプールの広場に15000人の人々が集まった。

私は1997年10月に3週間ネパールを訪れた。
パルパ県のドリマラ村に垣見一雅(OKバジ)を尋ねた。
重なり合う山々にへばりつくように集落が点在している。
村の人口は30~50世帯(200~300人)ほどで構成されていた。
村の人々が生きるため、穀物収穫限界点上で斜面を耕し保っていると感じた。

実際に滞在しているとき、山を2、3時間一人で歩いての経験から、数百の村々から人々が起伏の厳しい山を越え谷を超え15000人もの人が集まるということは奇跡である。

後日、来日したロス氏は「会場(ランプールの広場)に来るために3日、4日と野宿をしながら来た人が大半だった」と話してくれた。
ネパールの田舎で15000人が一箇所集合するという出来事は、前代未聞であった。


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垣見一雅(OKバジ)-②

2008年07月27日 | 垣見一雅(OKバジ)

テリー様、
今日は曇で過ごしやすい日です。

昨日3時ごろ垣見さんとの面会から帰ってくると、シンナーにリクエストしておいたDVD「楢山節考」が届いていたので、早速鑑賞しました。

原作:深沢七郎 カンヌ映画祭 パルムドール

今村昌平が3年かけ廃村を現場に撮影した力作。
さすが国際賞受けた映画でした
あらためて生きるとはこういうことなのだと感動しました。

その後、散歩を兼ねてブラザー宅(ガンフレンドの飼い主)まで出かけました。
おしゃべりしていると雷が鳴り、雨の気配が漂う。
あわててガンフレンドに「さよなら」を言って小走りに帰ってきましたが、
夕立は空振りでした。

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垣見一雅(OKバジ)とオープンしたばかりの、高崎駅東口ヤマダ電気ビルの内の蕎麦屋さんに落ち着きました。
ヤマダ電機は土曜日なので人も多くにぎわっていました。
午後仙台から車で来る桜井さんと落ち合う場所として駅の近くを選びました。

ネパールの定食はダルバート(米飯と野菜炒め)です。
山村に行くとほとんどの家庭で肉はお正月に年1回口にするだけです。

今年70歳になる垣見一雅(OKバジ)さんは,
この時期に毎年2ヶ月近く日本に滞在するのですが、
日本の食事を食べるとき、栄養価の高ものは多く摂取しないように見えました。
ネパールに帰ってからのリバンドに気をつけているのだと思います。
体型はまったく10年前も今も変わらず青年のようでした。


「私は東京(生まれ故郷)に帰ってくると直ぐにネパールに帰りたくなります。
骨はネパールに埋めます。
身も心もネパール人になってしまいました。

「私はかって教育者(私塾と高校の英語教師)として「教育は大切です」と当たり前のように思っていました。
しかし、ネパールに来て本当の意味の教育の大切さを体験しました。
マスターしたネパール語を駆使し、奥深い山村に支援活動に行くのですが、村人との間でコミュニュケーションが成立ししないことが多々ありました。

村に教育を受けた人がいない村人には抽象的な概念が伝わりません。
抽象的概念を理解するにはあるレベルの教育が必要です。
教育は大切なのだと身をもって体験したのです。

たとえて言うならサルの群れに話しかけるということでしょうか。
初期のころから学校建設の支援に力を入れたのは正しかったと10数年経て実感しています。

支援を行った各村(人口200人~300人)に、大学、高等学校の
卒業生が15人程度いるようになりました。
その結果、昔のように抽象的な内容が伝わらないことはなくなりました」


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垣見一雅(OKバジ)-①

2008年07月26日 | 垣見一雅(OKバジ)
テリー様、
余命を数えながらどうしても会いたかった人にやっと会えました。
高崎駅改札口にいつもと変わらないリユック姿で手を振りながら現れました。
2年ぶりの再会です。

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