湯治庵の日々

癌・頑強・爺・自律・自由・自在

友  ⑦ 旅立ち

2008年07月04日 | 思い出


マドンナはその後、
都合のつく限り毎年同期会へ出席してくれました。

1995年 十和田旅
1996年 尾瀬の旅

1997年 京都旅行(38年目の2泊3日修学旅行) 今野、マドンナ参加

1998年 東京同期会 
今野は病院から点滴をはずし、師走でにぎわう街に繰り出し2次会まで参加。
マドンナとの最後の思い出を刻み、
年が明けて1999年3月28日、58歳の彼は静かに旅立ちました・・・

弔辞
桜の開花の便りが各地から報じられる日に、君の訃報がもたらされました。
私が七年前の冬帰郷した折に、室蘭日綱記念病院に見舞って久しぶりに見る君は、昔のように頑丈な胸板で、病人にはとても見えませんでした。

君と私達は北海道立室蘭清水丘高校で、共に青春を謳歌し巣立った同期の桜です。 
私自身、君と高校三年間柔道部に席を置き、
夏の日も、凍てつく冬の日も、厳しい苦しい練習に共に耐え、
汗を共にした仲間でした。

今野君! 厳しい先輩の指導のもと、
一面に張りつめた氷と雪に覆われたグランドで、
裸足のまま受け身の練習をしましたね。

そして、破れた窓から吹き込む雪が積もった道場の畳の上で、
凍りついた柔道着を体温で溶かし、君と乱取りを繰り返した日々・・・
荒い呼吸や、むせかるような道場の汗の匂いと共に、
君と過ごした青春日々を私は決して忘れません。

君が東京に戻り、病魔と七年間も闘い続けられたのは、
あの苦しい練習で鍛え上げた強靱な精神と肉体が土台になっていたからでしよう。

君は、清水丘高校同期会の毎年行われる旅行にも参加し、
小学校からの君のマドンナとも再会できて本当に良かった!

十五年前、共に練習に励んだ柔道部の朝倉君が先立っています。
私自身はもう少し、社会の為に奉仕してから、
天国での二人の稽古に参加します。
それまで二人で腕を磨いておいてください。
合掌 

清水丘高校 第十一期生 T・M

同期生以外は参列者も少なく、
家族と友人がほとんどのひそやかな告別式でした。
私は嗚咽に詰まりながら弔辞を読み終えました。

すでに、マドンナはお通夜にお別れに来てくれていました。
行動で示す友情。
手紙出して以後、私も彼女も今野のことを話題にしたことはありません。今後もしないでしょう・・・

僕の恋人 
東京へ行っちっち 
僕の気持を知りながら
なんでなんでなんで
どうしてどうしてどうして東京がそんなにいいんだろ
僕は泣いちっち 
横むいて泣いちっち
淋しい夜はいやだよ僕も行こう 
あの娘の住んでる東京へ ~


時がどんなに過ぎていっても、
この歌が流れるといくつもの別れと再会を刻んだ、
北海道室蘭本線、東室蘭駅のホームが胸に浮かび上がってきます。

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友K ⑥ 案内状

2008年07月04日 | 思い出

テリー様、
1ヶ月の検査の結果、CEAはさらに上昇し、体内の癌は成長しているようです。
まだ丸山ワクチンの効果は現れておりません。
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マドンナへの案内状

お変わりございませんか?突然のお手紙お許しください。
実はあなたにお願いがあります。

私は今回高校同期会東京支部の代表幹事を2年間引き受けることになりました。
昨年帰郷した折、北海道の同期会の席で今野君が話題になり、
あなたは0君、今野君と同じ中学出身だったことを知りました。

0君の話ですと、今野君は高校卒業後、北海道で仕事や家庭に恵まれず、
数年前から東京に暮らしを移し、
「リンパ腫」と闘いながら生活をしているとのことでした。
私も帰郷し治療を受けている彼を1度病院へ尋ねたことがあります。
最近は症状が安定しているのか、東京の会にも時折顔を出しております。

私からのお願いというのは、
お忙しいでしょうが都合をつけていただき、
今度の東京同期会へ出席していただけませんでしょうか?

理由は・・・
それほど永くないだろう命と向き合う今野君の
あなたは永遠のマドンナ
だからです。

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友・K  ④

2008年07月03日 | 思い出

テリー様

今野は不器用な人間で、試合も馬力で相手を圧倒するタイプでした。
人並みはずれた体力であったために、無理な生活を続け家庭的にも恵まれませんでした。
その後もリンパ腫の治療を続けながらふるさとを離れ、母親と東京に生活をしていました。

今野の見舞いから数年経て、東京地区の同期会幹事の番が私に回ってきました。
前任者からあづかった同期生名簿に彼の住所はありませんでした。

札幌の友人Oの言葉がよみがえりました。

「今野の病気では長く生きれないだろう。
中学のころから心の隅に、憧れのマドンナが棲みついていた。
今も棲みついているはずだ・・・」

0と今野は同じ中学から高校進学したのです。
子供のころから今野の様子を知っていました。
またOは昔から妙に勘が鋭く、人の心を読むのに長けていてドキッとさせられることが多々ありました。

「学生時代から何も怖いものがない今野だったが、
彼女の前では、口も利けずウサギのようにおとなしかったよな。
しかし、誰もいない海に向かって、
彼女が大好きだ
と大声で叫んでいるの聞いたよ。

このまま死んで思いを打ち明けることなく終わるのだろうな、
ほろ苦い青春の思いを胸にたたんで・・・」

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友-①

2008年07月01日 | 思い出

テリー様、
懐メロの歌謡番組をみていて思い出が蘇ってきました。

「僕は泣いちっち」
歌手 守屋浩  (浜口庫之助 作詞・作曲) 昭和34年(1959)

僕の恋人 
東京へ行っちっち 
僕の気持を知りながら
なんでなんでなんで
どうしてどうしてどうして東京がそんなにいいんだろ
僕は泣いちっち 
横むいて泣いちっち
淋しい夜はいやだよ僕も行こう 
あの娘の住んでる東京へ ~

10年以上も昔のことです・・・
私はある年の高校同期2次会のカラオケで、音程の狂った声で歌いました。
数年を経て開催された同期2次会で、そのときのことを覚えていた今野は、
私の「持ち歌」なのだろうとと勘違いし、
私のために「僕は泣いちっち」リクエストしたのでした・・・。

リクエストした今野は1999年に亡くなり、この世にはもうおりません。
私は65年間、たいしたことはしてきませんでした。
しかし、このリンパがんで亡くなった友、今野に対し
「たったひとつ」とても良い事をしたことをお話いたします・・・

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