湯治庵の日々

癌・頑強・爺・自律・自由・自在

「共に生きる」会発足

2008年09月20日 | ガンと共存(丸山ワクチン)

テリー様、
今日は晴れました。孫の運動会も中止にならずに良かったです。
昨日今日と、どこというわけはないのですが、体調がいまいちです


午後3時より「共に生きる」会の初会合があました。
参加者は私を入れ患者、家族あわせて10名でした。
会設立の経過や趣旨を説明した後、
自己紹介をかねて現在の病状や生活の様子などをそれぞれが報告。
話が弾み、予定の4時30分を過ぎてしまい5時に終了いたしました。

次回はプロジェクターを用意しスライド上映をする予定です。


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A-BからA-Aへ

2008年09月18日 | ガンと共存(丸山ワクチン)
             最近のお墓の様子
テリー様、
丸山ワクチンの投与が、A-BからA-Aに変わります。
AはBの十倍の濃度です(丸山ワクチンとは皮膚結核菌から毒性を除いたもの)
投与の間隔は週に3回1日おきで変わりません。

38万件のデータから、もっとも患者に有効な組み合わせを処方するのですが、基本的にはA-Bのパターンが最も多い投与の方法です。

日本医科大学の先生が言いました。
「ボクシングでも弱いパンチに強いパンチを組み合わせると、
効果的といいます。
丸山先生が研究と実験を繰り返した結果、到達した結論なのです」

CEAの上昇などから、今回は強いパンチを連続で打ち込む作戦に切り替えて様子を見ようと言うことなのでしょう・・・。

身体への抗がん剤の副作用(末梢神経・知覚障害)は相変わらずです。
丸山ワクチンの影響についてですが、髪の毛は上も下もゴワゴワと太く、さらに全身の体毛の伸びが速くなってきました。
風邪が治り、口にする食材もを噛むような感触は消えて、
おいしく食べられるようになりました

健康なときには考えもしなかった、
毎日3度口にする食事が、
おいしく食べられるありがたさを
心のそこから感じます!!

今週土曜日から、「共に生きる」会が動き始めます。
どのような広がりになるか判りませんが、
心身が続く限り取り組んでゆこうと考えております。

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検査数値

2008年08月30日 | ガンと共存(丸山ワクチン)

上のグラフは丸山ワクチンに移行してからのものです。CEA(赤)とWBC(黄)が極端に上昇しています。

テリー様、
どんよりとした相変わらずの空模様です。
私のこのところの症状ですが、抗がん剤副作用の末梢神経障害は足のすねに強く現れます。
首の周りの発疹や、口内障害は軽くなってきました。
右腕はまっすぐ伸ばすことが無理で、肩を後ろにそらすと激痛が走ります。身体右側を(肝臓手術)下に向けて横になれません。腹やわき腹の傷跡周辺が神経障害過敏になるため、無意識にカバーして歩くために背中が丸くなっています。
座薬による鎮痛剤が手放せません。

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今回の血液検査結果。
CEA   - 84.3
WBC   - 177
リンパ球  - 11
単球     - 6
HBA1C   - 6.4

いったいからだの中でどんな反応が起きているのだろうか、想像もつきませんが、
幸いなことに、日々落ち着いていられます。
ガンの標準治療を終えて、丸山ワクチン単独使用に行き着き、ありがたいという気持ちです。
雨もやんだので今日は散歩の距離を長くしました。
無理なく歩けましたので、今後も続けようと思います。

1日生きられたことを寝る前に感謝し

明日目が覚めたら、朝を迎えたことを感謝します

気がつくと、半年後、1年後、5年後のことなど頭に浮かばなくなりました。
自分の答案用紙に今日の分を一生懸命埋めるのに忙しく、余分なことを考える暇がなくなったのでしょうか・・・
そんな日々が淡々と流れてゆきます。


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「共に生きる」会 構想

2008年08月21日 | ガンと共存(丸山ワクチン)

テリー様、
昨日は午前中家の西側の草刈をいたしました。
蚊に刺されないように網の防護服を頭の上からすっぽりとかぶり支度をします。
刈り始めるとぞれほどの時間はかかりませんが、汗がしたたり落ちてきます。

午前中すい臓がんと診断され、現在ジエムザールなどの抗がん剤治療をしている人の話を聞きました。
私程度の知識では理解できないことが多く、他の病院の診断を受けるよう進めました。

午後からは、ホームページの作成のお手伝いをしたり、夜丸山ワクチン関連の相談にいったり、先日のお礼の手紙を書いたりあっという間に1日が過ぎました。
昔ほどではありませんが、時間が少しずつ早く進むようになったのでしょうか。

1日中動いていたのですが、あまり疲れも感じませんでした。
副作用の症状はほぼパターン化してきて、座薬を使い3回で対応しています。
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周囲や関係者にガンで苦しむ人や、つらい治療を受ける人がおります。
現代医療はまだ「ガンそのものを完全に治癒」することはできません。

私は今まで頭(観念)で考えていた「ガンと共生」を身体で実験しております。
広い意味の免疫療法である丸山ワクチンを自分の身体に投与をし効果を試しています。今日SMM(丸山ワクチン)の仲間がまた一人加わりました。

今後は治療の経験を生かし(仮称)「共に生きる」会を立ち上げ「ガン難民」を少しでもサポートできれば幸いかなと考えます。

・・・がん難民の定義・・・
「治療方針に悩んだり、治療をしてくれる医師や病院を探し求め、
途方に暮れながらさまよっているがん患者とその家族」

「ガンとコラーゲン」
がん患者のコラーゲンは弱弱しく働きが悪いため、
ガン細胞は正常細胞を次々と犯し(浸潤)支配圏を広げてゆきます。

丸山ワクチンを身体に打つと、白血球の中のリンパ球が活性化します。
そうすると身体を守るための反応(BRM)を調整する物質が誘導されます。
コラーゲン(繊維状のタンパク質で、傷を修復する働きを持つ)と呼ばれる成分が、
ガンに傷つけられた正常細胞周辺に急速の増殖し。
結果的にガン細胞もろとも取り囲み、ガンを封じ込めることがわかってきました。

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病気と闘わない

2008年08月08日 | ガンと共存(丸山ワクチン)

テリー様、
の猛暑が続いております。
昨日は仮払い機で西側通路と山門を除草しました。
西側通路は私の事務室に接しておりますので、雑草が伸びると気になり、夏場は1週間くらいで刈り込みます。

体調のほうはさしたる変化もなく順調です。
髪の毛も増え、体重も64キロ台に回復し安定しております。このままの状態が続けば、テリー様の湯治庵にうかがうことができそうです。
最近へたくそで,
ぬかみそも腐るといわれたもこっそり一人で練習しております。

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昨日この数年、肺がんから転移を繰り返している知人を含め数名に「丸山ワクチンを理解するためのDVD」を観ました。
日本医科大学で販売されており、患者にわかりやすく編集されております。
最後に、母親と患者が出てきて、丸山先生(故)に目にいっぱい涙をためて
「命をいただきました・・・ありがとうございます」というシーンが流れます。
これは命と向きあい、生還したものだけが感じる魂の叫びです。
何度観てももらい泣きをしてしまいます。

78歳の札幌に住む兄が自らのホームページで
「感動の数で埋め尽くす、人生は頭上の銀河のように輝く・・・」
という意味のタイトルを掲げております。

私は病気と闘いません!
魂は年齢に関係なく感動で磨かれ輝き続けます。
今までにすばらしい人々や出来事に遭遇しました。
命ある限りこれからも多くの感動を分けてもらう旅を続けます。
数千億個のたったたひとつの星であるために、
ガンに囚われている暇がないのです。

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現在の生活

2008年07月15日 | ガンと共存(丸山ワクチン)

テリー様、
写真は北の友から届いたアワビと生ウニ、二人分でおいしかった。
久しぶりに焼酎の水割りを口にしました。
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現在の私は食事制限はしておりません。
定番のニンジン ジユースなどは続けております。食事の制限を解除してから体重はじりじり増加しており、その日によって体調に変化がありますが、顔も日焼けして一見健康そうに見えるようです。

抗がん剤の副作用である末梢神経・知覚障害は日によって強弱があります。
両足のひざから下。手首から指にかけて熱湯につけた感覚が夕方から強まります。

頭や首の周りの発心がほとんど消え増したが、逆に口に入る食材の食感がサクサクと同じように感じるようになりました。

また手術の傷口が腹から右わき腹上部へ波型に60センチほどあります。
その部分の切った神経が再生し始めたのは良いのですが、その周辺に末梢神経障害が出て、数日前に手術で切られたような感覚が出ています。
寝返りを打つのが一苦労です。
しかし朝になるとそれらの症状は、痛みの最高値を10とすると2ぐらいに減り、2、3時間続きます。朝涼しいときに金魚や植木などに水撒きをします。

今月から座薬を使用していますが、午前中に1回使用するのが体調管理に効き目があるようです。
暑さのせいでしょうか、4、5日前より朝目が覚め寝不足気味です。
寝不足になる日は、午前中不足分を埋めるために横になるようにしています。
とにかくその日、その日によって体調が違いますので、その日の状態に合わせて行動するようにしております。

抹消神経障害対策として、PCに集中したり、質の良い映画を見たり、人に会い病気を肴にし「馬鹿話」に大笑いし、常に目先を変え神経を散らすように勤めております。
インスリン注射は日に3回。丸山ワクチンは1日おきに注射です。
以上がこのところの私の日常生活と身体の状態です。

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希望

2008年06月29日 | ガンと共存(丸山ワクチン)

テリー様、
男やもめの話になると当然女後家の話になりますが、あらためておうかがいます。

この4日間ほど副作用の影響がかなり強く出てきました。
体重も1キロほど落ちてしまいました。
連動して血糖値も上昇します。インスリンも30前後になっております。
今日は比較的元気に動けましたが、軽作業や軽い散歩などをすると、副作用の末梢神経・知覚障害が強くなるようです。
抗がん剤の副作用は私のようなアレルギー(20年前から花粉症)体質の人間には特に強く現れるのかも知れません。

さまざまな疾患の治療末期患者にとって、「希望」とは何でしょうか?
「もしかしたら、この治療が効果をあらわすのではない・・・」というかすかな思いではないでしょうか。
私のように最善の治療をしていただいた患者に、現在の3大治療「手術、抗がん剤、放射線」施すことが不可能になった場合、4番目に残っていいるのが免疫治療のひとつである「丸山ワクチン」でした。

丸山博士

丸山ワクチンは公に認知されず、医学会の権威や人間の強欲に振り回された30年数年。
しかし、数奇な運命に醸造され、開発された多くの抗がん剤よりもともと大きな効果。
患者や家族に「希望」という福音を産み落としたのです。

認知検証されず効果を数値化できないことがかえってよかったのかもしれません。

患者にとって満点の星の点に等しい光であっても、希望とは「命の輝き」です。
「治療が絶たれた患者」に希望を与えてくれた私の主治医にあらためて感謝もしあげます。

私の周囲にもさまざまな「がんと苦闘」する人が何人かおります。
「あきらめないで、
免疫療法の一つである丸山ワクチンがありますよ!」

と伝えております。

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竹中文良ー外科医

2008年06月24日 | ガンと共存(丸山ワクチン)

【プロフィル】 
竹中文良 たけなか・ふみよし 昭和6年生
消化器外科医。
日本医科大学卒業後、日本赤十字社中央病院(当時)に勤務。
日本赤十字医療センター外科部長、日本赤十字看護大学教授などを経て、現在、同大客員教授。
著書に自らのがん体験をまとめた「医者が癌にかかったとき」(文春文庫)など。
理事長を務めるがん患者支援NPO「ジャパン・ウェルネス」の活動が
平成18年の第54回菊池寛賞を受賞。

竹中文良先生の講演から抜粋。
私はちょうど50年前、まだ医学生だったころ、丸山ワクチンをつくられた丸山教授の講義、指導を受けました。

人生の晩年は真夜中のドライブのようなもの・・
私自身、55歳でがんが分かってショックでした。
切る側ではなく、切られる側にまわることで、初めて死が目の前に迫ってきた。
そして、手当たり次第に本を読み、
死のことについて考えるようになったのです

本当の人生の意味や人生の長さを真剣に考えるというより、
今、楽しいことが大事にされてきた。
楽しいことが続いてほしいと思うから、死について考えない。

また、昔よりも生活が豊かになって病院で死ぬ人が多くなり、子供のころから人が死ぬのを見なくなった。
死が現実の生活から遠ざかったことも原因でしょう。
そうして、いつまででも生きられるという感覚に陥ってしまっている。

しかし、それはまったく違います。
私のように70歳を超えると、周囲に亡くなる人が増え、死を実感せざるをえません。
しかし若いときからもっと死を実感して生きてきたら、より充実した人生を送れたのではないかと思います。

 ただ、がんであっても希望を持って生きることは大切なことです。
私は、最初の大腸がんから20年目に、肝臓がんにかかりました。
かなり落ち込み、当初は手術せずにあきらめて、自然の成り行きに任せようと思いました。

しかし、がんを患ったことで得たものも大きかった。
NPOを発足させ、がん患者のサポート活動を進めてきました。
そう考えると、生きられる限り活動を続けようと。
闘病の意欲もわき、最終的に手術を受けました。

人はいつかは死ぬし、
覚悟を持つことを求められる。
しかしそのこととがん患者が
希望を持って人生を生きることは矛盾しません。

人生の晩年は真夜中のドライブのようなもの。
ヘッドライトが照らす道が見えるところまで
明るく元気にいきましょう。竹中文良

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居酒屋は夢・・

2008年06月07日 | ガンと共存(丸山ワクチン)

テリー様、
今日は晴れて暖かく、体調も良好です。

ガンの友達のYさんから「抗がん剤治療なら免疫療法へ」と考えながら診断結果を聞きにいたところ、
「通院で放射線治療(骨に転移)に決定した」と、
明るい声で電話がありました。

私は昨日、今日と1日中座って、書類作りに追われた。やっと完成。
そんなわけでTVもろくに見ていない。
世の中どんな風になったのか・・・(笑)
このところ目の視力がかなり落ちてきました。加齢とPCと病魔のため?

近所で工事中の居酒屋の建築工事がストップして10日以上経ちました。
昔、建築工事請負の経験から、施工の段取が「おかしいな?」と思い、
話したところ、友人が早速ネットで検索。

総売上90億円の本体の同族会社は、H17年度9億円の赤字だった・・・。
開店は絶望か・・・

そうでした。私も1年2ヶ月前まで破産状態の公立病院の議員を8年もやっていたのを思い出しました。
今は遠い昔のように感じます。

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ガンとの共存

2008年06月06日 | ガンと共存(丸山ワクチン)

テリー様、
今日は梅雨の晴れ間で太陽の陽がさんさんと降り注いでおります。
定期検査に行ってまいりました。
私の訪れる外科外来は、何時も大勢が順番を待って待合室のおります。

主治医のドクターは、驚異的体力、集中力と臨床経験の蓄積をベースにそれぞれの難しい疾病を抱える患者さんを診ておられました。
外科外来はその日のうちに診断を下す
この「有言実行」は自ら進んで「重い十字架」を背負うことです。

キリストは自分で進んで背負ったのではありません。当時の教条的ユダヤ教体制批判したために、”ローマへの反逆”としてユダヤ教支配者から訴えられ、十字架を背負わされゴルゴダの丘へ登って行ったのです。
バイブル(新約聖書)では人類の罪(贖罪)を背負ってとなっておりますが・・

なんだかむずかし方向に脱線してしまいました。(笑)

私の血液検査結果は、CEA(ガン腫瘍マカー)は、前回の4.8から7.7へ上昇し、
白血球23%上昇。リンパ球やや上昇・・・という結果でした。

先生は「ガンとの共存ですね・・・」

私自身による診断は、
肝臓、リンパ節への転移巣は数が増えたか、増殖を続けている。
白血球増加傾向が丸山ワクチンの効果と思える。
身体にまだガンによると思われる自覚的症状はまだ出ていない。


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丸山ワクチンは何故認可されなかたか 連載を終わって

2008年05月27日 | ガンと共存(丸山ワクチン)

テリー様、
20世紀の奇談「丸山ワクチン」の連載終わりました。

ライター祝氏の取材記事を引用させてもらいながら、かなりの時間を費やし関連の記事や文献をネットで探しました。
探すほど不可解なことばかりでした。奇談「丸山ワクチンは何故認可されなかたか」は日本の医療実態の裏側をあぶりだした貴重な記録だと思います。

「欲望という名の電車の車内(医学界)という限定された空間で、権威を誇示し、パンを奪い合う獣となんら変わらない人々が何時の時代でも、どの分野でもいるのでしょう。
阪大の山村総長(故人)は政治家としては1流でしたが、研究者、人間としては3流でした。
彼個人にもともと備わっていなかった”研究者として1流”の冠まで欲しがった。

個人の名声や肥大した欲望の結果「丸山ワクチン」は客観的に検証される機会も与えられず、がん治療に生かされませんでした。
そして、30年後のいま、国民病になった癌患者の選択権さえも封印されていると言わざるをえません。

これからも、累々とした無念者の墓標が風にさらされ、
その向こうの千里の丘には、
山村の権威の象徴白亜の阪大医学部が聳え立っていくことでしょう・・・

「丸山ワクチン」は現在まで30年間で累積39万人に及ぶ使用者。
不認可薬として現在も厳しい制約や条件の中で3万人が投与しています。

もし「丸山ワクチン」が認可されていれば、末期癌の人だけでも推計で2000万人の癌末期患者が利用できたでしょう。
臨床現場での検証の道まで閉ざした厚生省の不認可は、それに絡んだ欲深い共犯者達とともに、末期がん患者から最後の希望まで吹き消した大犯罪者といわなければなリません

テリー様、
私はすい臓原発癌から肝臓、リンパと転移を続け、抗がん剤の副作用に24時間耐えるがん患者の立場から、

丸山医師が言い放った

「副作用の無いワクチンが 何故認可されないのか・・・

と唇をかんだ言葉に、日本の医療の病巣すべてが集約されていると思いました。

次回からは
「丸山ワクチンの臨床経験より」 日本赤十字看護大学客員教授
NPO法人ジャパン・ウェルネス 理事長:竹中 文良 を連載します。

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丸山ワクチンはなぜ「認可」されなかったのか-⑬   終了

2008年05月26日 | ガンと共存(丸山ワクチン)


丸山ワクチンはなぜ「認可」されなかったのか-⑬


今も続く迷走

 ただし、大手の接待はこんなものではない、という。

 「大手メーカーと昵懇になった先生が急にクルマを買い替えることはザラで、一戸建の大きな家や別荘を突然建てる人もゴマンといました」

 圧巻はパーティである。

「大手がよく使う手は『新薬試験中間発表会』などと称して、帝国ホテルやニューオータニで200~300人を集めてパーティを行うのです。
しかし研究発表も立食パーティも形式だけ。

肝心なのはその後。
全員に帰りハイヤーを用意しますが、その際に車代を渡します。
金額は少ないひとで10万円、多いひとだと数百万円は渡していましたね。
うちも同じようなパーティを開催したことはありますが、
ある先生から“やはり大手とは違うな”と厭味を言われたことがありました」

高級官僚の天下りポストも、大手はしっかり用意していた。 


「ピシバニールを製造・販売していた中外製薬は昭和54年、
厚生省の坂元貞一郎事務次官(グリーンピア構想を具体化したのは1972年8月当時の旧厚生省 坂元貞一郎事務次官)を副社長に迎えています。
坂元副社長は、薬事審の委員の前で

“おれの目の黒いうちは絶対に丸山ワクチンは認可させない”と言っていました」

一方、ゼリアの社内は、丸山ワクチンがなかなか認可されない現状を
「山村先生と丸山先生は同じ研究をしているので、ライバル関係だから仕方がない」と考えていたと言うが、そのうち、こんな噂が飛び交い始めた。
先の元幹部が明かす。

山村先生が丸山ワクチンに対してあまりに酷いことを言うので、うちにも何か恨みでもあるのでは、とみんなで疑心暗鬼になっていったのです。
当時、社内では“ある社員が山村先生の娘さんと婚約している”という噂がまことしやかに流れました。
そんなコネがあるのなら何とかしよう、とみんなで該当者を探したが見つからない。そうこうしていると、今度は“その婚約は破談になったので、山村は丸山ワクチンばかりかゼリアも憎いのだ”と話が変わってきたのです。
そこまでくると、我々もバカらしくなって、何もしませんでしたが」


他メーカーの、なりふりかまわぬ実弾攻撃に比べれば、なんとも呑気な話ではある。

生真面目で誠実な医師丸山と、融通の利かない弱小メーカーが組んだところに、丸山ワクチンの不運があった。

加えて、丸山の周囲にも、“宝の山”の匂いを嗅ぎ付けて、欲の皮の突っ張った人間たちがうごめくようになる
丸山と付き合いのあった大学教授が、こんな話を披露する。

「丸山ワクチンの製造は、丸山先生の取り巻きの人間たちによって、実に多くの製薬会社に持ち込まれているんです。
第一製薬とか協和発酵、大鵬薬品にも行っている。
大鵬薬品は乗り気になって“共同開発にするから、データを出してください”と伝えたら“1億円出せ”と言われたそうです。
もちろん、丸山先生はお金のことなんか頭にない人でしたから、ご存じないですよ」


ひたすら、ガン患者のために、と孤軍奮闘した丸山は

認可を見るまでは死ぬわけにはいかない」

と執念を燃やし続けたが、平成4年3月、90歳で亡くなった。

その9ヵ月前の平成3年6月、丸山ワクチンを濃縮した『アンサー20』が認可されている。
しかし抗ガン剤ではなく、放射線治療の白血球減少抑制剤としての認可だった。

「親父はもう寝たきりだったけど、“うーん……”と言ったきりで、うれしそうじゃなかったな。あくまでも抗ガン剤としての認可を待ち望んでいただけに、不本意だったのでしょう」  (長男の丸山茂雄)

現在の丸山茂雄氏

アンサー20の認可で医学界の偏見はかなり軽減したとも言われるが、
主流派による妨害は相変わらず続いている。

東京・丸の内で丸山ワクチンのシンポジウムが開催されたのは平成11年12月のことだった。
患者家族の会の事務局長、南木雅子は準備段階でこんな体験をしている。

「主催を承諾してくれた産経新聞社に、
癌研究会の理事が直接乗り込んで

“丸山に関わるシンポジウムを主催するなら、
今後癌に関する取材協力は一切しない”

と言ってきたのです。産経新聞は、広告やチケットを刷り終えていたにもかかわらず、慌てて主催を降りてしまいました」

 丸山ワクチン迷走の終着点は、未だ見えていない。(了) 

2001年1月18日 週刊新潮  
祝 康成 (丸山ワクチンはなぜ「認可」されなかったのか・・・より

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丸山ワクチンはなぜ「認可」されなかったのか-⑫

2008年05月25日 | ガンと共存(丸山ワクチン)

丸山ワクチンはなぜ「認可」されなかったのか-⑫


猛烈な官民癒着


 桜井は山村との関係は「親しくしていた」と認め、こう語る。

 「学問のレベルで言えば、山村先生は丸山先生なんて問題にしていなかったと思う。
山村先生は結核菌の第一人者で、結核をやりたい人間はみんな先生のところへ行ったんだから。
大きなグループがあって、研究費も方々から入って、私立大学の一研究者とは違うよ」


 丸山を歯牙にもかけなかったはずの山村が、こと丸山ワクチンの認可に限っては、大いに注目し一貫して反対の立場をとっていた。

 「山村先生は結核の専門家だから、実験の根本を詳しく知っている。
スタッフも優秀だし多くの論文も書かれていたし玄人なんですよ。
対して、丸山先生の論文は素人みたいなものだったからね」

 「一人のお医者さんがいくら一生懸命研究してね、病理検査もしないで、癌に間違いないとか、それが治ったとかいうのをただ記載して出されても、ホントに信用していいのか分からないでしょう」


 医学界の大御所から見れば“一人のお医者さん”に過ぎなかった丸山には、ワクチンの製造元が弱小メーカーの「ゼリア新薬」という、致命的なハンディもあった。ゼリア新薬の元幹部が証言する。

 「当時、癌治療薬の市場は年間800~1000億円と言われていました。
うち、クレスチンが市場の半分に当たる500億円を売り上げています。
うちは、丸山ワクチンがクレスチンの3分の1から4分の1でも売れてくれれば、と考えていました。
そうなれば年間200~300億円の売上げになる。
これは裏を返せば、年間べースで1億円の経費を使っても元がとれる、ということです。
製薬メーカーは、ひとつの商品がヒットすればビルが建ったり、株価が2桁上昇することさえあります。
ですから新薬を認可してもらうためなら、
カネに糸目を付けず、人海戦術で接待します」


だが、この弱小メーカーのトップには、
経費をばら蒔いて実を獲るだけのしたたかさが無かった。

「うちの社長は丸山先生に似て職人気質のところがありました。
丸山ワクチンの申請にしても、我々が
“厚生省の官僚や審議会の先生方に根回しをする必要があります”と、接待の必要性を意見したのですが、社長は

“良いものは必ず認められる。そんなカネは必要ない”と。

おかげで、経費を捻出するために領収書を誤魔化したりして、たいぶ苦労しました。うちは経費が使えなかった分、他社に比べると厚生官僚や薬事審の委員へのパイプが細い。
つまり、ゼリアは他社に比べると、政治力は格段に落ちるのです

 

 

では、本物の接待とはいかなるものなのか? 
ある中堅メーカーの幹部が、
医薬品業界の想像を絶する内幕について、重い口を開いた。

「まずハイヤーで厚生省や病院まで迎えに行って、

赤坂の料亭で食事をする。
その後は銀座のクラブを2~3軒ハシゴしてハイヤーで帰すのです。
無論、ただで帰すのではなく


“今日は大変勉強になりました。
これは奥様へのお土産でございます。
それとお車代を”

と言って、三越や高島屋で適当に買ってきた甘味類と、その下に現金を忍ばせる。
少ないときで5~10万円、多いときは50万円でした。
しかし大手は常に50~100万円渡していた」

そのほか、ここぞという時のスペシャルコースもある。

「クラブで飲んだ後、女性が5人くらいいるお店に行くわけです。
そこで官僚や医者に“どのコにしますか”と囁くと、
相手もニヤけながら“あのコがいいな”と指さすのですよ。
まあ、売春クラブですね。当時で10万円でした。
無論、ホテル代もかかりますから20万円。
その前のクラブとかひっくるめると50~100万円ですね

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丸山ワクチンはなぜ「認可」されなかったのか-⑪

2008年05月24日 | ガンと共存(丸山ワクチン)


丸山ワクチンはなぜ「認可」されなかったのか-⑪


噴出する疑惑

丸山ワクチンの不認可後、
基礎研究に従事した野本亀久雄(64)
(がん集学的治療研究財団副理事長) 
もこう語る。

私は、丸山ワクチンとは何か、
癌にどのような影響を及ぼすものかを2年間、
徹底的に研究した。
山村が一番潰したがっていたのは私ですよ。
私が丸山ワクチンは効かない、と言わないから。
どんな妨害があったかは言いたくもない。
医学界のトラブルというのは生易しいものじゃないんだから。

文部省の補助金分配にしても、いまやっていたら逮捕だろうね。
文部省のパイの山分けをやっていれば、それは強いよ。
ただ、私はそんなもの、一銭も貰っていなかったから関係なかったけどね。
それまで山村に恩恵をこうむっていた人が、
山村が“ただの水”と言ったらそれになびくのは当然なんだ」


 丸山ワクチンを擁護するデータを出した研究者が、補助金をばっさり切られた、などという話もあるが、ともかく丸山が、山村、桜井という医学界の大物2人と対立する立場にあったのは間違いない。

薬事審のメンバーの1人もこう証言する。

「桜井と山村は非常に親しかったですね。
彼らにとって、我々はチンピラみたいなものです。
桜井は、初めから丸山ワクチンを不認可に持っていく姿勢だった。
あれでは裏に何かある、と勘ぐられても仕方ありません」

さて、当の桜井欽夫は、今なお囁かれる数々の疑惑に対してどう答えるのか? 東京三鷹市の閑静な住宅街にある自宅で、88歳になる桜井は取材に応じた。


「女房が死んで1人暮らしだから、この広さでも十分」

と語る自宅は木造平屋建ての、こぢんまりとした古い家である。

「みんな大豪邸でも構えていると思うらしいんだよね。
もう建ててから50年近くになるよ。
敗戦記念建築って呼んでいるんだ。
三鷹にも、さすがにこんな家はないからね」

歯切れのいい口調で語る桜井は、
疑惑のクレスチンにまつわる、こんな話を披露する。


 

「右翼が騒ぎ出したことがあってね、
クレスチンで儲けてけしからん、ということらしい。
“街宣車で行くぞ”という電話があって、
警察にも相談したけど、結局来なかった。
この家を見て呆れたらしいね」

薬事審の新基準については
「あれは丸山ワクチンが出てきたから作ったもの」


と認めつつ、こう語る。

「あのとき、免疫の基準というものはこれでいいのか、という世論が起こってくる。
それでインターナショナルな情報を集めて作ったんです。
厚生省に、丸山ワクチンを認めない基準を作れ、と言われたわけじゃない」

 

だが、自らが開発に関与したクレスチンの爆発的なヒットも大きく影響した、という。

「クレスチンが馬鹿売れするから、
大蔵省“こんなに税金はつぎ込めない"
と悲鳴をあげ、厚生省を攻撃したんだ。
困った厚生省は調査会に任せちゃったわけだな」


早い話が、調査会は大蔵省厚生省の意を汲んで、
丸山ワクチンを不認可にする新基準を設けた、というわけだ。


しかし厚生省は平成元年、クレスチンとピシバニールについて
「効果なし」の答申を出し, 結果的に1兆円もの医療費が、
医者と医薬品メーカーの懐に消えている。


丸山ワクチンは、まったく効果のない、
この小麦粉同然の抗ガン剤のために認可を阻まれた、
といっても過言ではない。


「自立と共生」http://www.tetsuaki.net/

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丸山ワクチンはなぜ「認可」されなかったのか-⑩

2008年05月23日 | ガンと共存(丸山ワクチン)

丸山ワクチンはなぜ「認可」されなかったのか-⑩

丸山ワクチンと同じ免疫療法剤でありながら、昭和50年に認可されたピシバニールと翌51年認可のクレスチンが医薬品史上、最大のヒット商品となったのは、前回述べた通り。
しかし昭和51年に認可申請が行われた丸山ワクチンは56年、厚生大臣の諮問機関である中央薬事審議会が不認可としている。

そしてこの裏には、医学界主流派の露骨な“丸山潰し”があった。
取材に当たった新聞記者が語る。

「クレスチンとピシバニールが認可された後、薬事審は急遽、
認可基準を上げて、丸山ワクチンを弾いたんですよ」

 従来の基準なら、丸山ワクチンは間違いなく認可されていたという。

「もともと、丸山ワクチンにいい感情を持っていない学者たちが、
この基準を盾に、不認可にしたのです」

 当時の流れを時系列に検証していくと、なんとも不自然な認可の形態が浮かび上がってくる。
例えばクレスチンは、申請から認可まで、わずか1年しかかからず、
しかも審議はたったの3回。
ピシバニールも認可まで2年である。
専門家に言わせれば「前例の無い異例のスピード」だという。

 一方、丸山ワクチンは、51年の申請から53年にわたって計3回、厚生省薬務局から追加資料の提出を求められ、しかも資料提出の直後、今度は薬事審と厚生省に比較臨床試験までやらされている。
その結果が56年の不認可とは、
どう考えても丸山ワクチンを狙い撃ちにした、“苛め”である。

厚生省は「新しい基準に沿ったまで」と涼しい顔だが、実はこの新基準には大きな疑惑が存在する。当時、新たに認可基準を設けたのは、中央薬事審議会の抗悪性腫瘍調査会だった。

「この調査会の座長を務めた、桜井欽夫(よしお)・元癌研究会癌化学療法センター所長が疑惑の人物。
桜井氏は、クレスチンの開発にも携わっており、審議会の委員として、認可に賛成している」(新聞記者)

 つまり桜井は、自分が開発したクレスチンを自分で認可したわけだ。同時に、もし認可されれば、クレスチンの手ごわい競合商品になったに違いない丸山ワクチンを門前払いした新基準も作成しているのだから、さすがに国会でも問題になった。
昭和56年7月30日の衆議院社会労働委員会で、

「薬審会の委員として自らが関与した薬剤を審査する立場はどのようなものか」と、薬品メーカーとの関係等を厳しく追及された桜井はこう答えている。
「そういうことは信用できぬ、ということであれば、私は不適任だと存じます」

疑惑はまだある。
丸山ワクチンを徹底して忌避したといわれる山村雄一元大阪大学総長との関係だ。
「当時、文部省の『科学研究費がん特別研究審査会』の
主査が桜井さんで、副主査さんだった。
55年当時で予算が18億円。
この分配を2人は取り仕切っていたのです」
(医事評論家)


第094回国会 社会労働委員会 第20号  昭和56年7月
 参考人出頭要求に関する件
 
厚生関係の基本施策に関する件(丸山ワクチン

 問題)
    
○山下委員長 これより会議を開きます。
 厚生関係の基本施策に関する件、特に丸山ワクチンの有効性、安全性をめぐる諸問題について調査を行います。
 この際、お諮りいたします。
 本件について、本日、参考人として、
癌研究会癌化学療法センター所長桜井欽夫君
国立熱海病院第一外科医長梅原誠一君、国立療養所東京病院名誉院長砂原茂一君及び佐々木研究所病理部長佐藤博君、以上四名の先生方から意見を聴取することといたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

癌研究会癌化学療法センター所長 桜井欽夫
一言所感を述べさせていただきますと、臨床試験といいますものは、制がん剤の開発では最も大事なところでございます。ことに免疫治療剤につきましては、現有のところ、少なくとも詳細な理論的展開は過去四年か五年ぐらいからの歴史しかないわけでございます。したがって、基礎実験のデータからこれは人間に効くであろうという予言をいたしますことは、一般の制がん剤の研究に比べてさらにはるかに困難でございますので、効果の判定は臨床領域、臨床の先生方の御判定に待つことがきわめて大きいということでございます。
 この臨床の成績の中で最も慎重に行われました東北大学を中心とするものと、愛知がんセンターを中心といたします二つの比較臨床試験のデータをよく検討いたしました。これは臨床の先生が非常に詳しく検討をされたのであります炉、たとえば愛知がんセンターの研究の例を見ますと、後層別をいたしまして、不完全な手術を行われた胃がんの手術の中で腹膜に転移のある者を分けて層別をいたむますと、非常に有意な丸山ワクチンの効果が出ている例がございます。ただし、先ほど申し上げました薬の規格の安定性というものをしっかりしてからやっていただきませんとまた問題が起こるのではないかということを痛感いたしております。

国立熱海病院第一外科医 梅原誠一
私は当初マスコミに発表された、昭和四十一、二年のころでございましたが、発表された当時を除いて、患者家族にSSM使用を希望されたことはほとんどありませんし、また可能と考えてお勧めする手術を拒否された経験もありません。私自身が治療方針を立て、SSM併用の許可を得て治療に当たり、トラブルもありません。手術不能例にはもちろん使用しておりますが、患者さんの苦痛をやわらげることに役立っているからこそ、それが実績となって、次の症例の家族がまた治験を承諾してくれるものと考えております。日本医大の研究施設に集まる症例もまた同様であろうと思われます。昭和五十一年に丸山先生が出された御本、単行本ですね、あれには私自身が強い困惑を感じました。あれを読んだ結果と思われますが、手術をきらって不幸な運命をたどった症例を私自身も二、三例は知っております。しかし過去十六年にわたって日本医大に集まる患者さんたちが、すべて無知なるがゆえに列をなすものとは考えられません。やはり実績によりその数を増すものと思われます。このことは過去に話題になってやがて消え去った公認、非公認を問わない多くの薬剤のことを考えれば、明らかなことであります。効いているからこそあそこに集まるんだと思います。
 私は一刻も早くこのSSM(丸山ワクチン)がごく自然に臨床医の手に入るようになり、その上で各臨床医が自分の治療手段に組み込むか否かを自由に選択できる状態が実現することを強く希望いたします。そうした段階になってこそ、さらにより正しいSSMの評価がなし得るものと信じております。


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