ドンマックのつらつら日記

離職してからの毎日の生活や愛犬モコ助のことを気楽につらつらと書き綴ってみようと思うオジサンなのであります。

相方さんの誕生日

2022-06-11 20:54:16 | ランチ・グルメ
 昨日はうちの相方さんの誕生日でございました。
 一瞬、「あれ、何歳だっけ?」とか思ったりしながらも夫婦して64、5歳を行ったり来たりしてます。

 誕生日くらいは少しお洒落なお店で食べましょうかと言うことで仕事から早めに帰った奥さんですが、まだ時間があったのでいつものコ―スを軽く散歩しました。

 紫陽花もそろそろ終わりの様子。 
 この花は多くの種類があり、外でも家でも楽しませてくれますね。
 ブロ友さんの記事を拝見しても今が旬の紫陽花が満開です。





 さて、家に帰り、予約していたお店へ。
 6月10日の誕生日は毎年、雨の日が多いのは仕方がありません。



 
 まずは産まれてから64年間、無事にこうしていられることに感謝して乾杯!
 頃合いを見て料理が運ばれてきますが、こういうお店はその度に「料理の説明をしてよろしいですか?」とお姉さんが笑顔で聞いてきます。

 居酒屋ばっかり行っていたオジサンにとって、カタカナ食材の説明はさっぱりなのですが、これは儀式みたいなものなので姿勢を正してしっかり拝聴しなければなりません。
「こちらはマンゴーが〇〇で、〇〇をムースにしたナンテ?コッタでございます。」なんて説明されると、少し頷きながら「ほ~」とか呟いてみたりする夫婦なのであります。

 「ごゆっくりどうぞ」と解放された後は、スマホを取り出してはこっそりと写真を何枚か撮り、いよいよその・・ナンテコッタ・・を美味しく頂くのでありました。









 まあ、遠い大分からこんなオジサンのために嫁いで来てくれて、知り合いも居らず言葉もわからない中での生活、仕事をしながら子供たちを育て上げ、孫を可愛がり、いまやオジサンのお世話や病気の心配までしてくれている奥さんには感謝でございますネ。



あだ名禁止と鹿児島弁禁止令

2022-06-06 22:35:06 | 日記


 今朝もテレビで言ってましたが、「あだ名」はダメという小学校が増えているんだそうな。
 いじめに繋がるということなのだそうですが、う~む・・・?。
 「あだ名」って、今に始まったことじゃないし、源氏物語の頃、いや、それよりもずっと前から普通にあったはずで、一種の文化だと思うんですよね。

 あだ名は「愛称」ともいうように、お互いを親しみを込めて呼ぶのが本当の「あだ名」ということになるのかな。
 ま、そういう事になると本人が好まないのに、例えば複数で相手を侮辱するための呼称はあだ名ではない訳で・・・
 禁止するのはそういう「やつ」で、全部一律に禁止というのは違うと思うんですよね。

 なぜそういう呼び方が良くないのかを先生がじっくりと諭してあげて、子供たちも話し合いの中で、相手が嫌だというようなあだ名はやめようというふうになるのがベターかなと思うんですがね。

 話はちょっと違いますが、オジサンが小学校の頃、我が鹿児島県の学校では突然、「鹿児島弁禁止令」みたいなものが発令されました。
 みんなポカーンとしていましたが、なんでも集団就職で東京に行った学生たちが鹿児島訛りの言葉しか喋れず苦労しているので、小さい時からテレビで聞く「東京弁」だけを喋って慣らしていくという鹿児島独自のものだったらしいです。



 その日から教室でも校庭でも変なイントネーションの俗にいう「カライモ標準語」が飛び交うことになりました。
 しかも、帰りの会では「〇子さんは今日3回鹿児島弁を喋りました。」「〇〇君は5回でした。」「ちごが!・・いや、ちがいます、4回です。」なんてお互いに何回喋ったかを告発までさせられてましたね。
 今、考えるともの凄く怖いことです。
 鹿児島の文化である鹿児島弁を自らの手で消し去ろうとしていた訳ですからね。
 
 でも当然のことですが、この愚策はいつのまにか消えて無くなりました。
 まるで最初からなかったかのように・・

 今日は朝から「小学校であだ名禁止」というニュースを聞いて、このときのことを思い出してしまったオジサンなのでした。

パソコンから写真が溢れ出る前に・・

2022-06-03 23:10:03 | 日記


 皆さんのブログを拝見すると、どの記事も可愛い、珍しい、綺麗な画像がいっぱいで素敵です。
 私も負けじと、あれこれパシャパシャ撮ってはみるのですが、なかなか良い感じにならないんですよねえ。

 やっぱりあれですかね・・(どれ?)
 シャッターを押す時の気持ちというか、野球で言えば「一球入魂」みたいな気合が足りないのではないかと・・・・野球やったこと無いけど。

 昔のフイルムカメラは一度に精々36枚までしか取れなかった訳で、あれもこれもとパシャパシャ撮ってたらすぐに「弾切れ」となり撮影終了でした。
 なので旅に行ったときとか、ここぞという時にだけバッグからカメラを引きずり出し三脚にセットすると、太陽の方向を確かめ、良い感じに被写体を立たせ、動かないように、目も閉じるなよと言い聞かせてから、やっと全神経を集中させてシャッターを押したものでございます。





 ところが今では国民誰もがカメラマン!、いつでもどこでも誰でも高画質な写真を簡単に撮れるようになりました。
 そして街からは写真屋さんが消えて行った・・・。(😥

 デジモノ大好きなオジサンは今から20年も前に世界初の家庭用デジタルカメラと銘打って発売されたアップルの「QuickTake 100 」を買ってしまいました。画素数35万画素、今となれば子供のおもちゃにもならないですね。

 でもフィルム枚数のしばりから解放されて、なんでもない日常の風景を撮ってはパソコンに保存し、また撮ることの繰り返し。
 その後もデジカメを買い替えながら保存枚数も増えつづけます。
 おまけに実家にあったアルバムの写真も1枚づつ全てスキャンしたので、それも合わせると我が家のパソコンには「42,430枚の写真がありますよ」と画像管理ソフトが言うとります。

 もうろそろ整理をしなければ本当にヤバいです。
 まずは結構多い重複している同じ画像を探し出してこれを削除、次に奇跡の一枚を信じて同じ場面で何枚も連射したけど、ついに奇跡は起こらなかった大量の写真も削除。
 そうすると、あれやこれやで最終的には1万枚くらいに減らせるんじゃないかなと思うのですが?

 それらを全て安いプリントサービスで紙写真に印刷して、昔ながらのアルバム冊子を作り、子々孫々にオジサンの存在を残していおきたいと思っているのであります。
 ま、恐らく息子たちからは「面倒くさい、データでならもらってあげても良いよ」なんて言われそうですが・・