ドンマックのつらつら日記

離職してからの毎日の生活や愛犬モコ助のことを気楽につらつらと書き綴ってみようと思うオジサンなのであります。

入院第7週目 退院!2か月分の支払いは・・

2019-07-21 11:03:44 | 日記
 47日間の長い入院がついに終わり7月20日に無事?退院できた。
 当日は朝から荷物を整理してベッドの上にきちんと座り、この部屋での闘病の日々を振り返りながら、妻が迎えに来るのをじっと待っている可愛いオジサンがいた。

 しばらくして妻が部屋に入ってくる。
 受付でもらった入院請求書を持ってきたが、その額は6月が168,908円、7月は20日までで138,128円也。

 難病医療費助成を7月1日に申請しているので、認定されれば7月分は2万円を超える分が返ってくるはずである。ただし6月分は申請前なので助成が適用されず、普通に高額医療分の9万円くらいになるのかな。
 いずれにしろ加入している医療保険からも後もって入院見舞金も給付されるはずなので手出しはほとんどないのかなと思う。
 日本はこういう制度がしっかりしているので治療に専念できる有難い国なのだなあと改めて思った次第。

 退院後も飲み続ける薬は
・プレドニン錠・リセドロン酸Na錠・ダイフェイン配合錠・ランソプラゾール錠・テトラミド錠・アズノールうがい液・プレドニン錠の7種類。
 メインのプレドニン錠(ステロイド薬)は少しづつ減らされて現在は5錠(25mg/day)になっている。
 何とかこのまま減薬していくことで、その副作用予防のために飲んでいる他の薬も減らしてもらえればと願っている。

 外に出ると夏の強い日差しが体に突き刺さる。
 汗が吹き出すくらいの日差しの中を感染防止のためにマスクをしながら車に乗りこみ我が家へと向かう。
 妻、医療スタッフ、そして順調に回復してくれた体への感謝、今後はどちらへ転ぶのか判らない不安、退院してやりたいことなど、いろいろなことが頭をグルグルする中で家に帰り着いた。

 久しぶりに出迎えてくれたモコ助は私の現状など知ろうはずもなく、ジャンプと回転を何回も繰り返した後に一気に腕の中に飛び込んで来た。



入院第6週目 た、退院が決まる!

2019-07-15 10:43:15 | 間質性肺炎
 有難いことに経過が順調なことから長かった入院も7月20日に退院が決まった。

 1ヵ月以上の入院は30歳代の頃にギランバレー症候群とういう極めて稀な疾患に入院以来だった。
 この病気は急激に首から下が完全に麻痺して体を動かすことができなくなる病気で、原因は何らかの病原体により自己免疫が過剰に反応し、自分の神経細胞を攻撃してしまうためらしい。
 運動に関する神経がやられてしまうとなると脳からの命令が体に伝わらなくなるので糸の切れた操り人形みたいにベッドで寝たきりになってしまった。

 ただ体の方から脳に伝わる神経は無事なので、痛みは感じるし、意識もはっきりしているのである。
 これは結構なストレスで、看護師さんにお願いしないと寝返りの一つも打てないし、食事も排便するのもベッドの上で妻に介助してもらわないとならないという大変な経験だった。

 それに比べれば今回の入院は痛いとか苦しいとかの入院ではないので、のんびりと療養している毎日がなんだか心地よくなってさえいる自分がいた。
 最初は仕事が気になり何となく落ち着かなかったが、結局は自分ひとりがいなくなっても世の中は普通に回っていることを実感した。
 そうとなれば、全ての余計なことは気にせず、療養のことだけを考えようという気持ちになった。
 ゆっくり寝た後に朝食を済ませてお風呂に入り、テレビを見ておやつを食べてと、まるで小原庄助さんみたいなぐうたらな生活に慣れてしまった。

 同じ病気でも人それぞれである。
 Nさんの症状はさらに進んでしまい、車イスでの移動になり、部屋もナースステーションの隣の個室に変えられたので姿を見ることができなくなった。
 このところお見舞いの客が頻繁に出入りするようになっているが、「ありがとう・・ありがとう・・ごめんね・・遠くから」と途切れ途切れではあるが、あの大きな力強い声で話しているNさんに真の強さを見たような気がする。




入院第6週目 退院が決まる(振り返り日記㉘ 

2019-07-14 16:00:07 | 日記
2019年7月14日

 経過が順調なことから長かった入院も7月20日に退院が決まった。

 1ヵ月以上の入院は30歳代の頃にギランバレー症候群で入院して以来で、この時も極めて稀な疾患だったので手探り治療での入院だった。
 急激に首から下が完全に麻痺して体を動かすことができなくなる病気で、原因は何らかの病原体により免疫が暴走して自分の神経細胞を攻撃して壊してしまうため、脳からの命令が体に伝わらなくなるというもの。

 痛みは感じるし、意識もはっきりしているのに体全体がピクリとも動かない。これは結構なストレスで、看護師さんにお願いしないと寝返りの一つも打てないし、食事も排便するのもベッドの上で妻に介助してもらわないとならないという大変な経験だった。

 それに比べれば今回の入院は痛いとか苦しいとかの入院ではないので、のんびりと療養している毎日がなんだか心地よくなってさえいる自分がいた。
 最初は仕事が気になり何となく落ち着かなかったが、結局は自分ひとりがいなくなっても世の中は普通に回っていることを実感した。
 そうとなれば、全ての余計なことは気にせず、療養のことだけを考えようという気持ちになった。
 ゆっくり寝た後に朝食を済ませてお風呂に入り、テレビを見ておやつを食べてと、まるで小原庄助さんみたいなぐうたらな生活に慣れてしまった。

 同じ病気でも人それぞれである。
 Nさんの症状はさらに進んで車いすでの移動になり、部屋もナースステーションの向かいの個室管理になったので殆ど姿を見ることがなくなった。
 このところお見舞いの客が頻繁に出入りするようになったのだが、カーテン越しに「ありがとう・・ありがとう・・ごめんね・・遠くから」と途切れ途切れではあるが力強い声で話しているNさんに真の強さを見たような気がする。






入院第5週目 2019年7月7日

2019-07-07 12:36:48 | 間質性肺炎


 7月1日、鹿児島全域では朝から雷が鳴り響く大雨となった。
 こんな天気になるとは思いもしなかったので妻に仕事を休んでもらって難病医療費助成の申請書を保健所に届けてくれるよう頼んでいたのである。

「事故など起こらなければ良いが・・」とベッドの上で案じていたが、ニュース速報ではあちこちで土砂崩れがあり通行止めになっている模様。
 やっと連絡が来て、回り道に迂回を繰り返しながら、通常なら20分で行ける保健所まで90分もかかったとのこと。
 入院して妻には頼りっぱなしである。感謝!感謝!

 今週は検査週である。
 木曜日には6分間歩行テストがあり、パルスオキシメーターを指に装着したまま廊下を歩いて酸素濃度を測定した。
 結果は入院時よりも改善しており歩行中もSpO2が96~97の範囲に治まっている。
 金曜日には血液検査、レントゲン、CT、肺機能検査のフルコース。
 まず血液検査だが血球数、肝機能等はほぼ正常。脂質系や血糖値も入院前のドックでは高めにより注意されていたのだが、院内ウォーキングと院内食という入院効果で、久しぶりに正常範囲に入っていた。
 胸部写真はじわっとではあるが曇りが薄くなっており、肺活量は入院時に3.19Lまで落ちていたが今回は3.44Lに回復、同様にDLCOも15.05から20.03に回復しており、「若干ではあるが縮んだ肺が膨らんでいる」ということらしい。
 そして何よりも入院時に4,961まで上昇していた間質性肺炎マーカーのKL-6が今日は3,138まで下がり、同様にSP-Dも485.6から一気に111.1と正常範囲まで降下した。
 KL-6について言えば、一般的に「1,000以上の患者は予後が悪い」と書かれているので単純に喜べないけれども、それでもこの1か月のステロイド効果は確認できたのかな。

 入院してしばらくは遠慮していた長男の孫ちゃんたちがお見舞いに来てくれた。
 いつもなら顔を見ると「じぃ~じぃ!」と叫びながら走って来るのだが、大きな病院という慣れない環境に加えて、ママがじいじは大変な病気なんだから静かにするんだよとでも言い聞かせたのか、面会室の椅子に黙ってチョコンと座って私を上目遣いで見ながら大人しくジュースを飲む飲んでいた。
 退院したら、また恐竜の人形でバトルをしょうねと約束して小さな後姿が廊下の端に消えていくのを見送ったのである。