ドンマックのつらつら日記

離職してからの毎日の生活や愛犬モコ助のことを気楽につらつらと書き綴ってみようと思うオジサンなのであります。

もはやこれまで!!と思った話

2024-07-21 22:54:38 | 思い出
 玄関から一歩外に出てみると命の危険を感じるほどの暑さが襲ってきます。
 死にたくはないので外出を諦めてエアコンの効いた部屋でテレビを見ていると海の事故や交通事故で幼い子供が亡くなったという悲しいニュースが聞こえてくる。

 かわいそうにと思いながらも、考えてみるとこのオジサンも長い人生の中で何回か危なかったことがありました。
 自分への戒めのためにも振り返ってみる。

 先ずは幼稚園の頃に家族で海水浴に行った時の話。
 お昼の弁当を食べ終わるや否や時間が勿体ないと二人の兄が海へと駆け出した。
 小さい私も兄たちを追って海の中へ入っていきます。



 と、突然、私の体はゴジラー1.0が海底深く沈んだ時のように「ゴボゴボ」って感じで海中に沈没したのであります。
 急に深くなっているタイプの海岸だったんですね。


 
 泳げない私でも手足をバタバタさせると一瞬顔が海面に出たので「助けてえ」と叫ぼうとするも「た・・」ブクブクブクと海水を飲みながらまた沈む。
 これの繰り返しでだんだんと意識が薄れていく。
 
 まだ幼い子供だったのに「あ、これで死ぬんだろうな?」と思いながらも真上でユラユラと輝いている太陽が妙に綺麗だった覚えがあります。

 その瞬間、ムンズと両脇を掴まれて「ザバア!」と空気のある世界に引っ張り上げられたんですね。
 見たら真っ黒に焼けた知らないお兄さんに助け上げられていたのでした。


 
 海水を多量に飲んだ幼子のお腹はカエルみたいに膨れ、最後まで気づかなかった兄ちゃん二人は親に散々怒られていた・・

 海だけでなく地上でも危なかったことがありました。
 当時はゲーム機なんか無いので空地に集まって皆でいろんな遊びを発明してました。
 田舎なので通りに車は殆ど走らず、ベーゴマをしたり竹馬競争をしたりと道路が遊び場になっていたんです。

 その日は何故か道路向こうの急な土手を駆け上がって上に生えている木にタッチする競争なんてのが始まりました。



 いよいよ私の番になり助走をつけて勢いよく走りだし、一瞬左に何か大きな物が目に入るもそのまま全力で土手を駆け上がりました。
 同時に真下では「キキーッ」と言う金属音の悲鳴をあげて大きな乗り合いバスが急停車したのでした。


 少しでもタイミングがずれたり、驚いて道の真ん中で立ちすくんだりしたら恐らく土手ではなく、ずっと高い違う所まで上っていたのだろうなと思います。

 大人になってからも命の危険がありましたね。
 それは10年ほど前の事で当時は片道75kmの道をひたすら通勤する毎日。
 普通に帰れる日ならまだ良いけれども残業の遅い時には家に帰り着くのが夜中で、寝る頃にはもう明日になるくらいの時間。
 そんな状況が続いたある日のこと、流石に仕事と寝不足で疲れてしまい昼までで早退することにしました。

 早く帰りたいのに高速道路のトンネル内で何故か前の車が数台もノロノロ運転している。
 2車線なのになんで左側をノロノロ走っているんだと思い、イライラしていたオジサンは一気に右車線に出てアクセルを踏み込んで抜き去ろうとしたのです・・・

 次の瞬間、前方から対向車が・・・



 「え!な、なんで?逆走車か?」と思い、ギリギリの判断でさらにアクセルを踏み込んで何とか先頭の前に入り込むことができた。

 でもそこでハッと我に返りました。😨

 ここは山の中を走る一般道で交互通行のトンネルだったんです。
 よっぽど脳が疲れていたのか一瞬この先にある高速道路のトンネル内2車線を走っていると錯覚してしまっていたんですね。😱

  危なかった一般道交互通行トンネル(googleストリートから)

 その先にある高速の2車線トンネル

 風邪薬を飲んだ時や過度の疲労の時は運転しては行けないと言われますが、この時ほど思い知ったことはありませんでした。
 もちろん、その先の路側帯に車を停めて仮眠を取ったのは言うまでもありません。

 これまでいろいろ危険な場面があったけれども考えたら殆ど自分の不注意で起こっているんですね。
 子供の頃はまだ仕方なかったとしても、大人になってからはもっと注意を怠りなく生活して、もう少しだけ長生きしてみようかなと思うオジサンなのでありました。








怖い夢で起きた朝は記念日だった

2024-04-04 23:57:23 | 思い出


 先日、呼吸器内科を受診した時に花粉症のせいか知らんけど眠れない日があったりするんですと言ったら「じゃあ依存性の無い新薬が出てますから出しておきますね」と処方してもらいました。
 (車中泊の時にも重宝するかも知れないしですね😅

 で、薬局での説明の時に「そう言えばこれを飲んで寝たら『怖い夢を見た』という人もいるみたいなんですよぉ。」と笑いながら言われたので、 「眠りを誘う薬なのに怖い夢なんてねぇ・・ハハ」なんて苦笑いしながら受け取って帰る。

 貰った日に試しに飲んでみたら夜中にトイレに起きることもなく朝までグッスリ眠れたのでなかなか良い薬のようではある。
 で、昨日も少々夜更かしして目が冴えてしまったので飲んでから寝たんです。

 『 場所は定年前に勤務していたあの職場のようだ。
 昼休みにいつものように「ちょっとウォーキングしてくるね」と部下に言い残して外に出るオジサン。
 町中をズンズン歩いていたら林へと続く小道を見つけて面白そうなので進んで行くとその先で道がいくつもに分かれており、どこがどこやら完全な迷子になってしまった。
 スマホを取り出してマップを開いても全く知らない場所にいる。
 すでに昼休みはとっくに終わっているので今頃みんな心配しているだろうなあと焦っているのにスマホで連絡することを思いつかないところが夢なのである。
 身も心も疲れてヘトヘトになりながらさまよっていると、小さな山小屋を発見する。
 恐る恐る近づいていくと何とそれはトイレなのでした。
 なぜか森の奥深くに綺麗な水栓トイレがポツンとある不思議。ま、夢だから・・

 そして誰も居ないはずなのに突然ゴーッという大きな音と共にトイレの水が流れ始めるのだが、なんとそこには水と一緒にクルクルと回転しながら流されていくモコ助の姿があるではないか・・』

 という・・なんともとんでもない場面で目が覚めました。



 ハッと思って横のケージを見たら中でモコ助がこっちをじっと見ているのを確認して「夢か」と安堵した朝なのでした。
 これがその怖い夢なのかどうかはわかりませんが、どうせならハッピーな夢を見たいものである。

 まあ、ハッピーと言えば、現実世界では今日が42回目の結婚記念日でありました。





 特に変わりのない日ではありましたが、無事に何でもない1日を送れることが一番の幸せ。
 息子の送ってくれたワインを飲みながらささやかなお祝いをした夜なのでした。






 マック、12回目の命日

2023-12-20 16:12:02 | 思い出


 未だにふとしたことでマックと一緒に暮らした14年間のいろんなエピソードが思い出されます。
 ただ昔のように思い出す度に悲しくなるのではなく、今は懐かしい良き思い出へと昇華していますが・・・




 朝、いつも床の間に置いてある遺影を食卓に持ってきて少しだけフードを置きました。
 何も知らないモコ助先生も近づいて来ましたが、おやつの匂いに釣られてただ寄ってきただけでした。




 今日は朝からのんびりと過ごしております。




マックが逝って11年目の朝

2022-12-21 22:42:46 | 思い出


 12月20日は、マックが逝って11回目の命日でした。
 25年前の我が家の新築と同時に家族の仲間入りしたゴールデンレトリバーです。

 子供の頃から犬が怖かった相方さんは触るのも嫌だったらしくて、新築の家の中でしかも大型犬を飼うという私に最初は反対したものでした。

 しかし、ゴールデン特有の優しさ、従順さ、フレンドリーさが解るにつれ、だんだんとまるで我が子のように可愛がるようになったのでした。





 まだ小さかった子供たちの遊び相手・・
 真夜中に仕事で疲れて帰り、ソファにぐったりと腰を落とした私の横にトコトコッと座り、膝に顎を乗せて心配するように見つめていた優しい目・・
 夫婦で口論をして気まずくなったときに、間にスッと割り込んできて二人の手を交互に優しく舐めてくれたこと・・
 私の単身赴任で一人家を守る相方さんを隣でずっと支えてくれたこと・・






 今でも良い思い出しかありません。

 ただ、それだけ愛すべき相棒、家族だっただけにマックが突然いなくなった時の悲しさ、辛さは例えようのないくらい大きなものとなります。

 マックが逝ってからの相方さんの落ち込み様はそれはそれは大変なもので、犬に関する何かを見るにつけ、聞くにつけ、自然と涙がポロポロとこぼれてしまうという状態が続きました。

 少しでも心が安らぐようにと犬の抱き枕を買ってあげると、朝も昼も夜に寝る時もそれを手放せなくなった相方さんでした。



 なんとか心の隙間を埋めてあげなければと思い、半年後に我が家にやって来たモコ助。
 同じ犬種だとどうしても前の犬と比べてしまうと言われて、全く違うタイプのトイプードルにしたのです。
 
 どっしりと落ち着いていたマックと違い、天真爛漫なモコ助は我が家をいつも明るくしてくれています。

 11年が過ぎてもリビングにはマックの痕跡が残っています。

 今は水屋の上で神さまと一緒に我が家を見守ってくれている。


 あの時、相方さんを癒してくれた小さい方の抱き枕・・
 今はモコ助のクッションとなってくれています。




今は無き日本の夏の風情

2022-08-05 22:35:20 | 思い出


 昨日の鹿児島市の気温は36.3度だったとか・・・。
 もう体温と同じくらいのこの気温の中で果たして人々は生きて行けるのでしょうか?
 まあ、生きていきますけど・・

 今ではこんな熱帯夜にエアコンの無い生活なんてとても考えられませんが、オジサンの御幼少の頃は当然そんなものありませんでした。
 なので、真夏の夜は一家全員が雨戸を開け放った縁側のある広間に布団を敷いて、外から吹いてくる自然の風、リーン、リンと聞こえてくる虫の声を子守唄にじっとりと汗を掻きながらも眠りについたわけです。

 開け放たれた縁側から泥棒が入ってくることはありませんでしたが、虫は自由に入ってきます。
 なのでどこの家でも蚊帳は必須アイテム。
 若い人たちって蚊帳なんか見たこともないでしょうけれど、まあ昔の日本の夏の風情でしたね。
 
 「垂乳根(たらちね)の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども 」であります。

 カナブンとか大きな虫もブンブン言いながら力強く部屋の中を飛び回り、あっちに飛びつき、こっちにぶつかり・・
 なので部屋の柱には当時としては最新式の害虫捕獲機みたいのが吊り下げられてました。
 紫外線ランプで虫を呼び寄せて近づいてきたら回転するプロペラで下の網に叩き落すという荒っぽいもの。
 朝になってたまにカブトムシとかが入っていたりすると「かわいそうに」と思ってましたが、カナブンにしたら浮かばれなかったですね・・

 とどめに蚊帳の外にはカクカクしながらも一生懸命に首を振る東芝の古い扇風機と、美空ひばりさま御推薦の某蚊取り線香です。
 日本の夏はこうして更けていくのでありました。

 この電力が逼迫しているという御時世、たまには昔を偲んで窓を開けてクーラーを消して寝てみましょう・・

 私は遠慮しときますが・・