大阪で直下型自身が起こった。大阪中心部、繁華街を襲った地震、色々な意味で、これまでの地震と違った様相を呈しているようだ。月日が経つと、話題にも上らなくなるが、被災者はいつも忘れられ、悲惨なその後を送ることが多いように思う。何しろ、一つの地震で、人生そのものが変わってしまうことも間々あることだ、被災者の方々には、心からお見舞い申し上げます。
ところで、地震があるたびに、思うのだが、日本は、地震の巣の上にあるということ。どこで地震があってもおかしくはない。どこでも、地震は起こり得るということだ。そんな日本に、原発を作ってどうするというのだ。事故が起こると、復旧費用は全て電気量に上乗せ、その他に、何だかんだと言っても、相当の税金が使われている。耐震強度を保って作っているから安全と企業や政府は言うが、どれくらいの地震が起こるかなんて誰も予想できない筈ではないか?これは東日本大震災で、既に証明されていることではないか。3っつもの巨大地震が連続して起こる。そんな大変なことを一体誰が予想したであろうか?自然は、予想を大きく上回ることがあるということなのだ。そう、考えてみると、既定の概念や経験上に知り得た知識を基に作った耐震基準などは、あてにならないのだ。もはや原発に安全ということはないのだということをしっかりと政府や企業は認識するべきだろう。
また、ウランを燃やして出来上がった廃棄物(プルトニューム)溜まっていくばかり、その処理方法も皆目見当もついていない。廃棄物を保管している場所に大型の地震が起こったらどうなるの?考えていくと、キリがない。いい加減に、原発の考えをリセットし、ゼロからのスタートを考えてほしいもんだ。
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