世の中、分っているように動いているが、人の気持ちが全く分らないという人もたくさんいるように思う。少し相手の身になって考えれば、すぐ分るものなのに、それに目が行かずに、自己保身に走り、相手の言う主旨が全く伝わらないことが往々にしてある。これは本当に困ったことだ。
訪問診療。11時から12時の間に来るという連絡があり、12時からはヘルパーが入ることになっていた。また、午後2時からは訪問入浴の予定も入っていた。医師の到着を今か今かと待っていたが、結局、12時過ぎても医師は来ずに、ヘルパーが時間通りに来て、先に食事介護を始めていた。そこへ医師がやって来た。医師は、そのままいつものように続けてくださいというので、食事介護と口腔ケアーを先に済ませることになった。その合間に、看護師がバイタルを測定し、医師が問診と簡単な体のチェックして、訪問診療を終えて帰って行った。医師に、「前の患者の診察を終えて、出発するときに、電話してもらえると、とても助かるのだけれど、どうでしょうか?」とお願いしたところ、次の予定は「午前中」にうかがうという内容で、何時来るか全く検討つかない、全くのマイナス回答となってしまった。これじゃ、やぶ蛇だ。
確かに、医師が自宅に来てくれれば、患者を移動させずに済むから、患者の負担も少なくて済むという大きな利点がある。しかし、その反面、何時来るか分らないで待たされるという心理的な負担も無視できない。結局、訳の分からぬ拘束時間が長く、それが心理的な負担として大きくのしかかってくる。やることもすべて中途半端になってしまう。これは本当に困ったものだ。
患者を移動させ、病院に着いたら、待合室で待たされる。しかし、これは納得ずくの負担で、長い時間を待つことにも耐えられる。しかし、何時来るか分らないが、待っていなくてはならない。進行状況も知らされない。これは、やはり納得できない負担なのだと思う。いっそのこと、訪問診療を断って普通の通院に切り替えてしまおうかという気持ちにもなってくる。前の患者の状態や交通事情で遅れるのは仕方ないと思うし、遅れたことに文句をいうつもりはないが、今の時代、だれでも携帯電話を持ち歩いているのだから、「これからそちらに向かいます。」と一報入れるのがそれ程負担になるのだろうか?常識的に考えて、それは簡単なことのように思えるのだが、そうさせないのは、医師の奢りではないのかと言いたくなってきた。こちらは「診ていただいている」立場だが、こちらの方にも医師を選択する自由はあるのだ。その意味では、対等の関係だと思うが、みなさん、どう思われますか?
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