子どもの頃、70歳というと相当の老人で、若者の悩みなんて超越し、細かなことは頓着しないものだろうと、思っていた。ところが、自分が70歳を過ぎた今はどうだろう!なかなか子どもの頃描いていた老人像にはなっていないことに気づく。三つ子の魂百までもというが、未だに子どもの頃の悩みを引きずって、それを乗り越えられずにいる。本当に困ったことなのだが、これが現実、変えようがないのだから、それを受け入れるしか仕方ない。まあ、こうして開き直ることだけは覚えたし、それで慌てて、落ち込むことがなくなったというのは、少しだけ、進歩したことだと言えるかも知れない。
平日午後5時近くなると、「今日は、早番だったかな?遅番だったかな?」と記憶を探る。「遅番だ!」と再確認して、テレビ番組の続きを見始める。早番、遅番とは、隣の喫茶店にやって来る常連客のひとりの勤務に遅番と早番があり、遅番の時には午後5時頃帰って来るし、遅番では午後6時に帰って来る。それが一週間毎に変わる。今日は遅番の日、それなら午後6時頃に喫茶店に行けば、その常連客に会えるということだ。
午後6時になり、隣の喫茶店に行く。そして、いつものようにブレンドコーヒーを注文し、飲み始める。少しすると、その常連客が入って来る。「やあ!」と声を掛ける。いつも同じ場所に座る。それから何を話す?特に、話すこともない。店主とその常連客の話が始まる。私はそれを聞いていて、時々、話に加わる程度なのだが、これが毎日繰り返されている。そう、何か月も何か月もだ。俺は何をやっているのだろう?ただ、その常連客のことが気になっている。なぜか気になっていることは確かなのだが、それが何なのか分かっていない。
朝5時台に、電車に乗り、都内まで出勤し、この時間に帰って来る。足が不自由で、杖をついている。時には足が痛むらしく、辛そうによいコラショっと、椅子に座る。性別は女。どんな仕事?話の様子から、多分、事務仕事だろう。年齢は、還暦は過ぎているようだ。趣味は?指向は?信条は?どれも、尋ねたことがないので、詳しいことは分からない。とにかく働き続けている。それが如何にも健気で、とにかく気になっているのだ。分からないことだらけなのに、どうして尋ねてみないのか?そんなこと知っていったい何が変わるのだろう?と、思ってしまい、その先に進めないでいる。
古希を過ぎると、先が見えなくなるし、先を見通してその先を考えることができなくなる。10年経てば、80歳。20年経てば、90歳。では、その先は???俺はいったい何をしたいのだろうか?
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