どんぴ帳

チョモランマな内容

はくりんちゅ387

2009-02-05 23:57:51 | 剥離人
 そもそも、私が社長の井村を嫌いになったのには、理由があった。

 私がR社に入った頃、自動車免許を取りたてだった私は、A県での独特で危険な交通ルールに慣れるために、井村の運転手役をしていた。
 免許を無事に取得したのは、入社二週間前の話であり、私は完全なる初心者だった。当然、運転が上手い訳もなく、もっとも苦手だったのが、車庫入れだった。
「ピーッ、ピーッ、ピーッ!」
 私が駐車場に営業車を真っ直ぐに車を入れようと、二度目の切り返しをした時だった。
「木田君!」
「はい?」
 私は、車が路面に引かれている白線と平行になるように、サイドミラーを見ながらハンドルと格闘していた。
「木田君、あんまり何度も切り返すと、車のタイヤが速く減るんだわ」
「…えー、それは路面との摩擦で、タイヤの磨耗が速くなるという意味ですか?」
「決まっとるがや、走らずにその場でタイヤを何度も切り替えしたら、速く磨耗するだろう!?」
「まあ、そうですね…」
「なるべく少ない回数で入れないかんのだわ」
「…はぁ」
 この日以来、私は井村を『ケチな男』として認識した。

 それから四年後、様々な理由があり、表向きは一般社員として行動していた井村は、正式に社長に就任していた。
 井村が社長に就任した途端、意味もなくボーナスが半減した。
「なぜ利益が出ているのに、きちんとボーナスを払わないのか!?」
 社員からの反発の声に、井村は答えた。
「今期は我慢をして下さい、色々と会社も苦しいんです」
 この時、R社は社員九人で、30億円の売り上げを上げていた。
「次のボーナスは、今期の売り上げを基に計算します」
 その年の決算で、R社は社員十一人で40億円の売り上げを上げた。
 私も朝の三時までかかって、図面を読み取って見積書を作成し、営業車で一日600kmを走行し、作業着で現場に入って下請に指示を出し、時には泊り込みで現場作業を手伝い、そしてきっちりと請求をして、入金を確認し、4億円の売り上げを立て、会社に一割の利益を献上した。
 別に、
「営業利益の30パーセントをよこせ!」
 とか無茶なことを言っているのでは無かった。
「最初の約束通り、規定のボーナスを満額払ってくれ!」
 というのが全社員の望みだった。
 そして創業以来の最高売り上げと最高利益を叩き出した全社員に対して、井村は物凄い答えを用意していた。

「あのぉ、今日がボーナスの支給日なんですけど、入金されてないみたいですけど…」
 午後、営業から戻った私は、直属の上司である柴木に質問をした。
「うん、あのな、社長に聞いてみてくれ!『どうしてですか?』って」
「…?」
 私の心の中に嫌な物が走った。柴木がこういう投げやりな言い方をする時は、ろくでもない事が起きている証拠だ。
「木田君、話があるんだわ」
 その時、応接室の扉から、井村のネットリとした声が聞こえて来た。むくれた事務員の弘子が応接室から出て来る。弘子はすれ違いざまに、私の腹を拳で叩いてきた。
「・・・」
 彼女の行動は、あきらかにボーナスについての不満を、私に示していた。

「木田君、丁度良かったわ、今、他の人たちには説明をしたところなんだけどね」
「はぁ…」
 井村は猫なで声を出しながら応接室の椅子に腰掛け、私も嫌々ながら彼の正面に腰掛けた。
「あのさぁ、ボーナスの件なんだけど、大変申し訳ないんだけど、今回は払えないんだわ」
「…意味が分かりません」
 三月の決算で、過去最高益を出した筈だった。
「払いたいんだけどぉ、払えないんだわ」
「どういう意味ですか?それは『お前のボーナスは0円だよ』って意味ですか?」
「いや、君一人じゃないんだわ」
「いやいや、僕一人じゃないからとか、そんな事は関係ないですよ。理由を説明して下さい」
「いやぁ、本当に申し訳ないんだけど、資金繰りが上手く行かなくて、会社にお金が無いんだわ」
「ちょっと待って下さい、三月の決算で、過去最高の売り上げと利益を出したはずじゃないですか」
「それは分かるよ、みんな凄く頑張ってくれたと思ってるよ」
「そう思ってるんなら、約束通り、きちんとボーナスを払って下さいよ。何も無茶な事を言ってるんじゃなくて、規定通りのボーナスを支給してくれって言ってるだけです。それに値するだけの仕事はしましたよね?」
「それは分かるし、感謝もしてるよ。だけどさ、今現在、会社にボーナスを払う現金が無いんだわ」
「は?無ければ借りてでも払って下さいよ。大体、四月末に受け取った、サイトが90日から120日(現金化されるまでの日数)のゼネコンの手形が、しっかりとある筈でしょう!現金が無いからなんて理由になりませんよ!どんな形でもいいから、現金化すればイイじゃないですか」
「木田君、申し訳ないけどそれは出来ないんだわ」
「じゃあ、会社に現金が入って来たら払ってもらえるんですか?」
「木田君、それは無理なんだわ」
「いい加減にしてくださいよ、経営者として恥ずかしくないんですか!」
 私は完全に頭に来ていた。
 一瞬、井村は動きを止めると、いきなり応接室のソファにふんぞり返り、そして脚を組み、手の平を上に向けて、両手を広げ、そして言い放った。
「恥ずかしいよぉ、木田君」
「…ハハっ…」
 人間は、自分の理解を完全に超えた人間を見ると、どうやら失笑するらしい。

 後日判明したのだが、我々には1円のボーナスも払わなかった井村だが、ボーナス支給月に会社名義で数百万円の新車を購入し、それを井村の妻が乗り回している事が判明した。自動車保険まで会社の名義にしているのだから、元損害保険担当の私にバレても無理は無かった。

 その日依頼、私は社長の井村が心底嫌いになったのだった。


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