トヨタ館をあきらめ、他の日立、東芝、三井、東京ガス、東京電力と回ってみたが、並び方が良くわからなかったり、「本日の予約は終了しました」のようなムカツク看板があったり、「最後尾240分待ち」という溜息の出るような看板があったりとどっと焦燥感が漂い始めた。
何でもインターネットでも予約が出来たらしいのだが、忙しかったのと、愛知万博のHPが重いのか自分のネット環境が遅いのかとてもアクセスする気にならなかった。それよりもまさかこんな状態になっているとは思わなかった。
甥は汗びっしょりの顔で「アイス」とか「喉渇いた」とか「疲れた」の連発。義理の妹も眉間にしわを寄せてすごい人ごみの中で立ち尽くしている。女房に至っては不安そうに主の決断を待っている(?)状態であった。
「帰ろうか」
禁句がついに飛び出る。まあ、待て。折角来たのだからと携帯でネットにつなげると「待ち時間」というサイトがあって「○○館は80分」とか「※△館は0分」とか出るのだ。何て便利な世の中になったのだろうと、食い入るように携帯の画面を見る。
するとロボットの「ワカマル」で有名な三菱館が何故か「80分」だったのでそちらに急いで向かう。途中JR館の前を通ったら、「3D」なんとかは180分とか書いてあったが、その横のリニア館は50分だった。そこで急遽リニア館へ。
やっと一つ目のパビリオンってことと、空中にレールがしかれ、ミニチュアのリニアモーターカーがマイナス200度ぐらいの低音超伝導の装置を使って一瞬だが「しゅううう」と走る実験が見れたのと綺麗なガイドの姉ちゃんが見れたことで「万博気分」を満喫した。
そして三菱館へ。相変わらず80分待ちだったので並ぶ。前後のおばちゃん連中が小さい折りたたみ椅子を使い、列が止まるたびにそこで一休み。若い奴らは地べたに座る。こっちも立って耐えていたのだが、ついにこらえきれなくなり座り込む。皆折りたたみ椅子を羨ましそうに見つめる。
ああ、上海万博は絶対に折りたたみ椅子を持っていこう!!中国人はその時何を持ってくるのか楽しみである。それよりも割り込みの本家本元で、気違いじみた万博の列でどういう事件がおこるのかが楽しみである。
やっと三菱館に入り、ワカマルを見る。何の変哲も無いロボットだった。人間の吹き込んだ声がスピーカーから流れ、それをワカマルがしゃべっているようにしてワカマルが動くのだが、トヨタ館でのロボットの前評判を知ると、すごいテクノロジーなのだろうが、何かちゃっちい(すんません!)。
万博の後、レンタルの引き合いが殺到しているというのだからたいしたもんだ。
何でもインターネットでも予約が出来たらしいのだが、忙しかったのと、愛知万博のHPが重いのか自分のネット環境が遅いのかとてもアクセスする気にならなかった。それよりもまさかこんな状態になっているとは思わなかった。
甥は汗びっしょりの顔で「アイス」とか「喉渇いた」とか「疲れた」の連発。義理の妹も眉間にしわを寄せてすごい人ごみの中で立ち尽くしている。女房に至っては不安そうに主の決断を待っている(?)状態であった。
「帰ろうか」
禁句がついに飛び出る。まあ、待て。折角来たのだからと携帯でネットにつなげると「待ち時間」というサイトがあって「○○館は80分」とか「※△館は0分」とか出るのだ。何て便利な世の中になったのだろうと、食い入るように携帯の画面を見る。
するとロボットの「ワカマル」で有名な三菱館が何故か「80分」だったのでそちらに急いで向かう。途中JR館の前を通ったら、「3D」なんとかは180分とか書いてあったが、その横のリニア館は50分だった。そこで急遽リニア館へ。
やっと一つ目のパビリオンってことと、空中にレールがしかれ、ミニチュアのリニアモーターカーがマイナス200度ぐらいの低音超伝導の装置を使って一瞬だが「しゅううう」と走る実験が見れたのと綺麗なガイドの姉ちゃんが見れたことで「万博気分」を満喫した。
そして三菱館へ。相変わらず80分待ちだったので並ぶ。前後のおばちゃん連中が小さい折りたたみ椅子を使い、列が止まるたびにそこで一休み。若い奴らは地べたに座る。こっちも立って耐えていたのだが、ついにこらえきれなくなり座り込む。皆折りたたみ椅子を羨ましそうに見つめる。
ああ、上海万博は絶対に折りたたみ椅子を持っていこう!!中国人はその時何を持ってくるのか楽しみである。それよりも割り込みの本家本元で、気違いじみた万博の列でどういう事件がおこるのかが楽しみである。
やっと三菱館に入り、ワカマルを見る。何の変哲も無いロボットだった。人間の吹き込んだ声がスピーカーから流れ、それをワカマルがしゃべっているようにしてワカマルが動くのだが、トヨタ館でのロボットの前評判を知ると、すごいテクノロジーなのだろうが、何かちゃっちい(すんません!)。
万博の後、レンタルの引き合いが殺到しているというのだからたいしたもんだ。
35年前の大阪万博の年、私は小学1年生でした。三菱未来館で親父と二人で2時間並びました。途中で気分が悪くなって、吐きました。それでも行列に戻って、見学したのを覚えています。
当時、想像していた未来は実現されてません。でも、現在の携帯電話とインターネットは想像もされてませんでした。
あと30年経つとどうなるんでしょうね。