JR東海館の一部と三菱館を見て、それだけで、
「何かをやりとげた、みんなの顔があった」
とプロジェクト-X風な状況となった。何せ何時間も立ちっぱなしでぞろぞろと列に並
んでいたのだから。
もうこれ以上企業のパビリオンを見たいとは、これっぽっちも思わなかった。そこから遅い昼食「味噌煮込みうどん」と、赤味噌ののった串カツを食べてしばし芝生の上で休憩。女房と義妹はすぐに寝始めた。相当足もむくんだことだろう。
ここで義妹と甥と分かれて遠くまで足を伸ばした。
途中でどうしてもビールとアイスが食べたくなり、ホテルオークラ(だっけ?)の構える少し高級目な出店で買い込んで、ゲストハウスのようなところが見える道路に腰を下ろしてビールを流し込んだ。
ゲストハウスのようなものはガードマンが物々しくゲートを警戒しており、金網でさえぎられたところにある木目調の豪華な建物が奥まったところにあった。
そのうち黒塗りのセンチュリーが横付けされた。誰かを迎えにきたようだ。とするとゲストハウスの中からどやどやっと人が出てきた。その中に小柄な白髪の年配の人。豊田章一郎名誉会長だった。俺にはすぐわかったので、女房に「豊田章一郎!」と叫んだが、疲労困憊の女房は動けず、周りに居た人もちらっと目をやっただけだった。
自動車業界に居るものとしてはすごい感動だった。何せあの豊田章一郎なのだから。
話しに聞けば愛知万博の実行委員長として、小さな行事にも足しげく通って様子を見守り、要人が来れば必ずアテンドしていたようだ。「現場」主義をそのままトップのトップが実行しているわけだが、かなり疲れるだろうと思う。
豊田章一郎は誰かお客さんがセンチュリーに乗るのを見送り、自分も黒塗りのクラウンで俺の目の前を走っていった。金網越しにはっきりと見た豊田章一郎はやはり何かすごかった。そしてすごく小さく、凄く疲れてそうだった。
3年前の東京モーターショーでの奥田会長に引き続き、今回は豊田名誉会長。そのうちまた誰かを見ることが出来るだろうか。
「何かをやりとげた、みんなの顔があった」
とプロジェクト-X風な状況となった。何せ何時間も立ちっぱなしでぞろぞろと列に並
んでいたのだから。
もうこれ以上企業のパビリオンを見たいとは、これっぽっちも思わなかった。そこから遅い昼食「味噌煮込みうどん」と、赤味噌ののった串カツを食べてしばし芝生の上で休憩。女房と義妹はすぐに寝始めた。相当足もむくんだことだろう。
ここで義妹と甥と分かれて遠くまで足を伸ばした。
途中でどうしてもビールとアイスが食べたくなり、ホテルオークラ(だっけ?)の構える少し高級目な出店で買い込んで、ゲストハウスのようなところが見える道路に腰を下ろしてビールを流し込んだ。
ゲストハウスのようなものはガードマンが物々しくゲートを警戒しており、金網でさえぎられたところにある木目調の豪華な建物が奥まったところにあった。
そのうち黒塗りのセンチュリーが横付けされた。誰かを迎えにきたようだ。とするとゲストハウスの中からどやどやっと人が出てきた。その中に小柄な白髪の年配の人。豊田章一郎名誉会長だった。俺にはすぐわかったので、女房に「豊田章一郎!」と叫んだが、疲労困憊の女房は動けず、周りに居た人もちらっと目をやっただけだった。
自動車業界に居るものとしてはすごい感動だった。何せあの豊田章一郎なのだから。
話しに聞けば愛知万博の実行委員長として、小さな行事にも足しげく通って様子を見守り、要人が来れば必ずアテンドしていたようだ。「現場」主義をそのままトップのトップが実行しているわけだが、かなり疲れるだろうと思う。
豊田章一郎は誰かお客さんがセンチュリーに乗るのを見送り、自分も黒塗りのクラウンで俺の目の前を走っていった。金網越しにはっきりと見た豊田章一郎はやはり何かすごかった。そしてすごく小さく、凄く疲れてそうだった。
3年前の東京モーターショーでの奥田会長に引き続き、今回は豊田名誉会長。そのうちまた誰かを見ることが出来るだろうか。