島ちゃんからもらった命のバトン

2009.1月急性骨髄性白血病発症。
2010.12月、旅立ち。
島ちゃんの軌跡と島ちゃんが遺してくれたもの。

ぼくが赤ちゃんのとき

2011-12-21 22:34:49 | Weblog
次男坊、自分の赤ちゃんのときの写真をひっぱり出してきて、一枚一枚、「この時のぼくは何してた?」と聞く。

「じゃあ、おとうさんはなんと言った?」

「にぃには抱っこしてくれた?」

一枚の写真にいくつもの質問をしてくる。

「おとうさんは次男坊が生まれた時すごく喜んで何度も抱っこして、何度もチュウして毎日大好きって言ってたよ」

と言うと「うん、うん。そっかそっか。」と満足気な笑顔。

そして島ちゃんが次男坊を抱っこしてる写真を何度も見る。そして「おとうさんにあいたいな。ぼくおとうさん、大好きだから」

と言った。

長男坊は何度か「おとうさんに逢いたい」と言ったことがある。

でも次男坊は島ちゃんが亡くなってから「逢いたい」と言ったことがない。「おとうさんに逢いたい?」って聞いた時も

「おとうさんは何時もぼくのお腹の中にいるから逢えるよ」といっていたのに、その次男坊が島ちゃんの写真をみて

「逢いたい」と言った。

「おかあさんも逢いたいな」と涙がぽろぽろ出た。

その私に次男坊は「だいじょうぶ。おとうさんは高い所に行ってるだけ。ぜったいに帰ってくるよ。」と言った。

次男坊の優しさにまたしても甘えてしまい、包まれ、助けられた。

またしても、グズグズのズルズルのメソメソの私が現れた。

島ちゃんの前で、島ちゃんに逢いたくなってしまいどうしようもないのに苦しくなって島ちゃんの事を思って泣いてしまう。

子どもたちは日々色んなことを吸収し昨日出来なかった事が今日出来るようになったりする。

色んな言葉を覚えて、楽しませてくれたりする。

オモシロイ。とにかくおもしろい。

そして可愛い。どうしようもなく可愛い。

こんなにかわいい子どもの成長を見ることが出来ない島ちゃんは悔しいだろうな。

あ~ぁ、まだまだ私は島ちゃんの事を諦められずにいるんやな、と気付く。

こんな、いつまでもクヨクヨ、メソメソしてる私に島ちゃんは2人の子どもをおいていってくれた。

それだけが何よりの救い。

息子達が居てくれてよかった。

早く「シングルマザー」というものに慣れたいものだ。