島ちゃんからもらった命のバトン

2009.1月急性骨髄性白血病発症。
2010.12月、旅立ち。
島ちゃんの軌跡と島ちゃんが遺してくれたもの。

それはわかるけど・・・。

2012-09-26 23:38:33 | Weblog
日曜日に我が家にやってきた熱帯魚のクマノミくん。

家にいたのは3日でした。

クマノミだけに「ニモ」と次男坊は名付け、家にいる時は水槽の前にべったり。

他にも水槽の中には青い色をした魚とヤドカリとエビが同居している。

その中でも次男坊は「ニモ」が特別な存在で、何かしらニモには話しかけていた。

そして昨日、水槽の中に「ニモ」の姿が見当たらない・・・。

「あれ?ニモは??」と聴くとかっちゃんが「死んじゃったの・・・」と。

「えっ?まだ3日やけど???」と言い次男坊の顔をみた。すると次男坊は今にも泣きそうな顔をして

「だって、ニモ抱っこしたかったんやもん。お腹すいてると思ったからご飯食べさせてあげようと思って・・・」としょんぼりしてる。

次男坊の言ってることと、その状況を頭の中で整理してみた。

そしたら長男坊が

「海里くん、水槽の中に手つっこんでニモ捕まえとったで」と。 「なんで止めなかったん?」ときくと「だって何がしたいんか、オレ、意味わからんし」と。

まっ、長男坊の言うてることはわからんでもないわな。

次男坊を膝の上に座らせて、何故かと聞いてみた。

真相はこうだ。

ディズニー映画のファインディング「ニモ」もDVDを次男坊はよく見ていて、好きなアニメの3本の指に入るくらいだ。

そしてアニメの中のニモはたくさんあった卵の唯一生き残った一匹。

そしてニモは背びれが短く上手く泳げない。そのニモを心配してお父さんクマノミが大切に育てる、みたいなストーリー(ざっくりですいません)

次男坊は水槽にいるクマノミはアニメの「ニモ」そのものだと思っている。

そのため、お父さんクマノミがいないのであればオレがお父さんになって水槽の中のニモは可愛がるぞ!という気持ちになったらしい。

う~ん、次男坊のその気持ち・・・。なんと言っていいやら・・・。

と、言うわけで、色々、次男坊に言ったところで次男坊の納得時間もあると思うので今回は「ニモ」と「さかな」についてお話しておきました。

プチ反抗期の長男坊と、純粋過ぎる次男坊。

頭をかかえたり、悩まされたり、はたまた教えられたり笑わせていただいたりとかなり、子育て期間をエンジョイしております。


泣いたり、笑ったり。

2012-09-26 00:00:22 | Weblog
最近、長男坊の身長が一気にのびている。

お陰で、夜中に膝が痛いと泣きだしたりする。

身長が伸びるのと同様に心も成長しているのか、最近、やけに反抗的になってきている。

まだ小学2年生だと言うのに・・・。

私は仕事に出ているのでまだいいが、長い時間一緒に過ごす、かっちゃんは、しんどいと思う。

子どもたちが寝静まって、かっちゃんから一日のこどもたちの様子を聴く。

私に話しをすることで、かっちゃんも気持ちがリセットされるのだと思う。私の顔を見るとウワァ~と話だし、一通り話し終えると、「寝るわ」

と、アッと言う間に寝ついてしまう。

長男坊の話しも聴く。「わかる、わかる。お母さんもそんなんやったわ~」と言うと、長男坊もひとしきり言いたいこと言って寝る。

こんな風に、家族は一緒に成長していくんだな~と実感。

「島田ブランド家族」を日々築いている。

充実した一日

2012-09-23 22:05:12 | Weblog
本日は、朝から雨。

その為、長男坊の野球は中止。ならばと私は神戸のポートアイランドへ「島田妙子」の講演会へ。





私が西宮を出た時には雨が降っていたのにポーアイに着くと青空が。私は雨女なんだが妙子さんは晴れ女なのだ。きっとまた魔法でもかけたに

ちがいないな(笑)

久々に講演会を聴いて、気持ちがリセットされた。講演会の帰り、青空が気持ちよくって風も心地良く、よっしゃ、子どもたち連れて神戸で

遊ぼうと決め、一度自宅まで車を走らせ、子どもたちを車に乗せ再び神戸へ。

メリケンパークへ行き、神戸タワーへ。



次男坊が「あの東京タワーに上りたい」というので「東京タワーちゃうけどな」と言いつつタワーへ。

実は、私もこどもたちも初展望台でして、なかなか楽しませてもらいました。ここでもまた次男坊は海の先をみて「お母さん、外国が見えるね」

と言っておりましたが、今回は聞き流すことにしました。いちいちツッコミを入れると8割がたツッコミ二なるので。



そして今度は遊覧船へ。

いつかパパが一時退院した時に家族4人で乗った遊覧船。

長男坊が「パパと一緒に乗ったんこの船やんな」と言う。「そうやで」と答えると「やっぱりな」と。

すると次男坊が「オレ、覚えてへん・・・。なんでオレだけ来てないの?」って聴くので「こうやってお船のベンチでパパのおひざの上に座ってたんやで」

と言うと「そうか・・・。でも覚えてへんからお母さんのおひざに座るわ」と私の膝の上にすわった。

その時ばかりは涙が出てしもた。長男坊は私がパパのことで泣く姿を見たくないらしい。だからその時も「オレ、ちょっとあっちに行ってみるわ」

とその場から離れた。

次男坊は膝の上で「この船、外国にいくの?」と聞いてきた。ココはちゃんと「外国には行かないよ」と答えた。次男坊「良かった」と言った。



船から降りると2人もお腹すいたーと暴れ出し、何食べたい?と聞くと「焼肉~」

私も朝から食べてなかったし・・・「よし!」と一目散に焼肉へ。

少し時間もずれていたのでお店も空いてたし、何よりお店からの景色も良く子どもたちも私も大満足!

日も暮れ始めたので「そろそろ帰ろ~」って言ったけど「まだ帰りたくない」と2人が口をそろえていうので、せっかくだしいっかと埠頭を

散歩した。

昼間とは違い、陽が落ちてからは夜景がきれいで3人で座って色んな話しをした。

長男坊と次男坊に「今日、楽しかった?」と聞くと長男坊は「タワー、また行こう!」と言った。

次男坊は「お船、楽しかった。お母さん、連れてきてくれてありがとう。お母さん、だいすきだよ」とニッコリ笑った。

次男坊のそういうとこ、泣かせるんだよね~(笑)

私も「今日は楽しかったよ、ありがとう」っていうと「どういたしまして」と2人ともいった。

帰りの車。車が走りだしたとたんに寝た。

二人の息子の寝顔に、私は癒された。






本日は告知

2012-09-21 22:54:47 | Weblog
9月23日。

明後日ですが、島田妙子の講演会がございます。

場所は『神戸学院大学ポートアイランドキャンバス』です。

10時開始です。

費用は500円。

なんと、その日は、島田妙子プロデュース「Beat  of Life ~命の鼓動~」が発売されます。

この曲、ホントにたくさんの方に聴いてほしい。

私も10時には駆けつけるからねー!!!

義妹やけど、妹とは思えない貫禄。

完全に頼り切ってますが・・・(^_^;)

妙子ねぇ、500円玉握りしめて神戸、行くかんなぁ~。

お時間ある方、まぁ~1度は来てみてみんしゃい(^◇^)




島ちゃんへの贈り物

2012-09-17 21:19:38 | Weblog

妙子さんからパパへのプレゼントがとどいた。



パパの一周忌の朝に妙子さんの頭のなかにフッと降りてきたメッセージ。

そのメッセージが詩になった。

シンガーソングライターのすわじゅんこさんが透き通るような声なのに迫力がある、何とも言えない声で「Beat of Life」を唄った。

その歌を聴いたとき私は勝手に涙がでた。

涙が流れたというものではなく、嗚咽が出るほど声を出して泣いた。

パパが亡くなってからあれほど泣いた事は無かった。

パパはどんな想いを抱え逝ったのだろう。

パパは薬で眠るとき一体、何を考えたのだろう。

目が覚めた時は元気になり子どもたちとまた話しが出来ると希望をもっていただろう。でも、もしこのまま目を覚ますことが出来なかったら・・・

と、とてつもない恐怖もあっただろう。

人は最期に何を想うか・・・。

 人は生きていれば必ず、嬉しい出会いも悲しい別れもある。

この「Beat of Life」を多くの方に聴いてほしいと思う。

その時、きっと今、大切な人を想うだろう。

そして、今以上に大切に想い、また自分の気持ちが優しくなっていくのがわかると思います。

多くの人に聴いてほしい。




今、思うこと

2012-09-16 21:28:29 | Weblog
昨日、和子さんの病院に行き、和子さんを囲んで、妙子さん、大兄夫婦、私と次男坊と色んな話しをした。

笑いアリ、毒舌アリ(*^_^*)

そんな時間を過ごして家に帰った。

家に着くと、長男坊もかっちゃんも「和子さん、どうやった??」と一目散に聴いてきた。

和子さんの体の状態、会って話たことなどひとしきり伝え、長男坊もかっちゃんも安心していた。

パパは病気をして「当たり前の日常」が変わった。

発症した時は「なんでオレやねん。おれがなんで白血病やねん」と嘆いた。

そして、闘病生活が長くなり、自分の力で歩けなくなり、すらすら書いてた字も時間をかけなければ書けなくなり、食べたい物が

食べれなくなり、トイレも一人では出来なくなり「由美ちゃん、ホントにごめん。こんな事させる為に結婚した訳ではないのに。ホントに

ごめんやで。俺は情けない。なんでこんな体になってしまったんやろ・・・」と声を出さずに私に顔を見せないように泣いた。

私はなにを言えばいいのか分からず、でもこの場から立ち去る事は絶対してはいけないような気がしてただずっと病室の椅子に座っていた。

パパの背中をみながら、パパってこんなに背中が小さかったっけ?とぼんやり思ったような気がする。

パパがICUに入る前日、酸素マスクをしたパパがマスクを外し「由美ちゃん、オレはホンマに幸せな男やで。白血病に感謝せなあかん。

おれは病気になってよかった。由美ちゃんや子どもたちが病気やったら俺は耐えられへん。でもオレが病気になった事で今まで会えてなかった

オカン(和子さん)や兄貴(大兄)と再会できた。妙子もついてるし、みんな近くにいるし安心やで。おれはツイてる男やで。ほんま今が

一番幸せやな~」と言った。さっきまでしんどくて顔を歪めていたのにその時の顔はホントに穏やかで優しい顔やった。

パパはそう言ってまた酸素マスクをして少し眠った。今度は私が声を出さずに泣いた。パパの小さな背中は偉大だった。

ICUに入る直前、パパは「由美ちゃん、10年とにかく頑張れ!突っ走れ!がむしゃらに全力で頑張りなさい。10年たった時子どもたちは

そんな由美ちゃんを助けてくれる」と言った。

パパは一度眠ってしまったらもう目を覚ますことはないとわかっていたのかな・・・

今の私・・・がむしゃらに全力でガンバれてるだろうか・・・。イヤ、全然やな!アカン!!!

これでは子どもたちは助けてくれないや(;一_一)

そして今思うこと。

健康な体があるならば人の2倍ガンバルこと。

毎日を大切に生きることってそういう事なのかな?と私なりに今、思っている。


パパの一周忌の時に妙子さんがパパの身代わりとなり私にメッセージを贈ってくた。

ステキな詞にステキな曲をつけ、すわじゅんこさんというとってもステキなアーティストが唄ってくれてます。

切なくもありそれでいて背中をしっかり押してくれる素敵な詩です。

私のわがままでなんとしてでもCDにして欲しいと妙子さんに頼みこの度その願いが叶いました。

間もなくリリースされます。

詳細は『くるくるミラクル幸せくるくる⇒ http://e-love-smile-e-jet.at.webry.info/201209/article_15.html』

   『すわじゅんこブログ⇒ http://ameblo.jp/junko39blog/entry-11356026549.html』




最強のかずちゃん

2012-09-15 22:09:44 | Weblog
今朝、野球の練習に長男坊を送ってる途中に妙子さんから電話がなった。

休みの日なのに・・・しかも朝早くに・・・

イヤな予感がした。

一昨日、和子さん(パパのお母さん)が胃がんの手術をした。

手術には行けなかったので、本日、長男坊の試合が終わったら病院に行く予定にしていた。

「妙子さんにお見舞いに行くわ」と昨日言った時、「熱が出てるし、もう少し落ち着いてからでいいよ」と言ってたので少し心配はしていた。

そして今朝の電話・・・。

あえて元気よく電話にでた。そしたら妙子さんの声が暗い・・・

「和子さんが、吐血して今、緊急治療をしてるねん。まだわかんないけど・・・そういう事やから・・・」と。

そっから長男坊を練習場に送りとどけたあと自分が今何をすべきなのか?・・・頭が真っ白。でも落ち着かない。

家に帰りかっちゃんに(私の母)に「ごめん、長男坊の事お願い」といって次男坊をつれ京都の病院へと車を走らせた。

病院に着くと妙子さんと大兄夫婦が待合室にいた。「和子さん、どう?会える?」って聴くと「会えるよ」と処置室に案内された。

緊張しながら部屋に入ると点滴をいっぱい吊るしベッドに横たわってる和子さんの姿があった。

「あら~由美ちゃん。来てくれたの~」ってニッコリ。さっきまで要らぬことばかりかんがえていて気が気ではなかったので、和子さんの

笑顔を見た時泣いてしまった。勿論嬉し涙ね。

そして和子さんを囲んでみんなでいろんな話をした。

次男坊も和子さん宛てた手紙を照れながら渡していた。

私は到着が遅かったので主治医の先生の話しが聞けなかったんですが、大量の吐血をし血圧もさがり危険な状態だったと・・・。

ひとまず良かった。和子さん、さすがね。だって「死ぬ時は笑顔で死にたいから体はすごく痛いんやけど笑顔を作っててん」やって。

やはりパパのお母ちゃん。

そしてもう一つ。ベッドに横たわる姿がパパとそっくり。親子やから当たり前なんやけどパパを思い出しまた泣けた。

痛みがあり相当辛いはず。ご飯も食べられない、水すら飲めない・・・。それなのに私たちが心配しないように色んな話しをして楽しませてくれる。

そんな所もパパはちゃんと和子さんから引き継いでいた。

一安心して帰る道中、次男坊に「和子さん、強いな~。よかった、よかった。」と言うと次男坊は

『最強のかずちゃん!』と言った。

ガンって病気は、嫌いです。

本日のドタバタの様子は妙子さんのブログから。

≪くるくるミラクル幸せクルクル≫

http://e-love-smile-e-jet.at.webry.info/201209/article_16.html

おばあちゃん、ボクがついてるよ!

2012-09-12 23:45:02 | Weblog
明日、パパのおかあさんが胃がんの手術をする。

そして明日の手術に備え、本日入院した。

「和子ばあちゃん、明日、体の中の悪い奴を退治するんだって」と次男坊に話すと

「えーっ!どうやって??ボクがやっつけてあげるよ。だってボク、空手ならってるから強いで!」と。

そしてその後、パパの仏前に手を合わせ「パパは強いやんな。おばあちゃんの体の悪い奴やっつけといたってな!!」と

か~な~り、上から目線で話しておりました。

和子ばあちゃんはパパのお母さんやからパワフルなのだー!!!

「和子ばあちゃん、ボクがついてるよ!!」と次男坊が言っとります(^ム^)




パパのぬくもり

2012-09-12 00:09:38 | Weblog
先週の週末、RFL芦屋に子どもたちと参加した。

パパが参加した2010年サバイバーフラッグにパパの手形があった。



そこにはパパの名前は無かったがパパの字だとすぐに分かった。

来年の再会を約束しようと思いを込めJIMEさんと小指を重ねていた。

パパの「感謝」と書いた文字は細く、震えていた。

パパは参加した時は体力もなく自分の力で歩く事が出来ず、車いす。

手は常に震えていて、握力もなく字を書くのは至難の業だった。

パパの手形。「感謝」の文字。相当時間をかけて思いを込めて残したんだろうな。パパのその時の様子を思い浮かべると涙が止まらなかった。

2人の息子にパパの手形だよと伝えた。

長男坊は静かに眺め次男坊は「パパは何処にいるの?」とあたりを見回した。

そして長男坊はパパの手形に自分の手を合わせた。



次男坊も小さな手をパパに重ね合わせた。



パパの大きな手でもっと、もっと頭を撫でて欲しかっただろう。

パパの温かな手でもっと、もっと抱きしめて欲しかっただろう。

パパの力強い両手でもっと、もっと抱き上げて欲しかっただろう。

2人の息子たちはパパと手を重ねてパパを感じてたんだろうなぁ。

1年に一度、パパと手を合わせパパのぬくもりを感じ、いつかパパの手より息子たちのほうが大きくなる時が来るのだろう。

ジャパン

2012-09-10 22:04:10 | Weblog
ホームセンタージャパンに行こうと思い「ジャパンに行ってくるわ」と言った。

次男坊が「えっ、ジャパンって日本の?」と聞いてくる。

なぬ??

「買い物やで」って言うと、「スパイダーマンがいるところに行くん?」と次男坊。

もしや・・・?!

そうです、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの事を言っているのだ。

そして「ボクはジャパンより東京のほうがいいな。ウッディとバズに会いたいし」と。

東京とは・・・そうです。ディズニーランドの事です。

私もディズニーランド行きたくなったな~。

「おかあさん、東京にはウッディとバズがいるんだよ。それからスリンキーもおるしな」と次男坊。

スッカリ、頭ん中はディズニーランドになってしまった。

そして私はホームセンタージャパンに向かった。