パパは闘病を終えてからも、自分の体を誰かの為に役立ててほしいと、私にも内緒で主治医に献体の申し出をしていた。
パパが白血病という病気を発症して、有りとあらゆる治療を行ってきた。
今より病状が良くなるのであれば、早く社会復帰できるのであれば、一日でも早く家に帰れるのであれば・・・。
いつも辛い治療の先に何か自分のおもいが叶うのであればと積極的に治療を行っていた。
私にとってあたりまえのことがパパにとっては何一つあたりまえではなかったから。
白血病の治療はまず無菌室で行われる。さっきまで隣りにいた人と同じ空間には居られなくなる。
当時、次男坊はまだ幼かった。次男坊を抱き、お風呂に入れたり、ご飯を食べさせたり、同じ布団で寝る。
それが、血液検査の後、訳のわからないままパパから子どもたちは離され、私はカーテン越しになり、自分が身につけていた物以外は全て
持ち込めない。
そういえばパパが無菌室に入ってすぐ私に「オレなんか悪いことしたんかな~。こんなん拷問やで」と言った。
冗談っぽく笑いながら言ったけど、ちっとも笑えない。むしろパパの心は泣いていたに違いない。
無菌室で、パパは徹底的に白血病のことについて調べていた。薬、一つ一つの名前を調べ、どういう効果があり副作用はどうなのか?
白血球の数がいくつで、血小板の数値がいくつで、その時の自分の体がどういう状態にあり、どういう気分なのか、全ての情報を記していた。
昔は白血病といえば不治の病と言われていたが、今は治療すれば治る病気になってきた。それほどまでに医学は日々、進歩している。
新薬、画期的な治療を行う事が出来るのは、優秀な医師が日夜、研究を進めて行くから。同じ白血病でも全く症状が違っていたり、使用する薬
が違っていたりする。
医師たちは一人一人の体を診察し、丁寧に調べ的確に治療を行っていく。神経が擦り切れる仕事だ。
そんな素晴らしい医師をつくる為には実際に人間の体が必要になる場面もある。
献体なんてパパが亡くなるまで知らなかった。
パパが亡くなってパパ体に取り付けられていた、たくさんの管を外してもらい、私はパパに「やっとお家に帰れるよ」といいながら、看護師の
方と丁寧に拭いた。透き通るように白くて冷たい体だった。
「パパ、ホントにお疲れさま。」そういって部屋を出た時に、妙子さんに主治医の先生から話があると言われ二人で先生の話を聴きに行った。
「島田さんは、献体をご希望されています。自分の体を病理解剖して欲しい。と言われておりました」と。
献体には2つの解剖がある。
一つは人体の構造を調べる為の正常解剖。もう一つは治療をしてきた体の病変を調べる病理解剖。
パパはたくさんの薬を使ってきた。突然、耳が聞こえなくなったり、モルヒネが効かないほど体全体に激痛があったり、腕がどんどん壊死して
きたり、パパ自身も自分の体に何が起きていてどうなって行くのか、不安に感じながらでも、原因を知りたがっていた。
自分の体を使って、わかることなら、解剖し隅々まで診て今後の医療に役立ててほしいと医師に伝えていたそうだ。
私はやっとパパは辛い闘病から解放されたのに体をまた傷つけるのか・・・。そう思うと私はすぐには回答出来なかった。
主治医の先生は「奥さんや妹さんが反対しても病理解剖して欲しい、と島田さんは言っておられました」といった。
パパは私のことお見通しだったみたい。
今年の慰霊祭でも献体をされた方のご遺族の方が沢山、来られていた。
静かな会場にすすり泣く声が、あちこちから聞こえていた。私だけではない。ココにいる皆さんも胸が張り裂けるような選択に迫られ、決心し
たんだろう。
パパは自分が死んでからでも誰かの役に立ちたいと考え決意した。
私にはなにが出来る?
私には命がある。感情がある。丈夫な体がある。
なんだって出来る!
そう思うと勇気が湧いてきた。
生きてることに感謝しあたりまえの毎日をあたり前では無く、特別な日、時間にしなくてはならない。
「Beat of Life~命の鼓動~」
今、生きている全ての人にあてたメッセージ
パパが白血病という病気を発症して、有りとあらゆる治療を行ってきた。
今より病状が良くなるのであれば、早く社会復帰できるのであれば、一日でも早く家に帰れるのであれば・・・。
いつも辛い治療の先に何か自分のおもいが叶うのであればと積極的に治療を行っていた。
私にとってあたりまえのことがパパにとっては何一つあたりまえではなかったから。
白血病の治療はまず無菌室で行われる。さっきまで隣りにいた人と同じ空間には居られなくなる。
当時、次男坊はまだ幼かった。次男坊を抱き、お風呂に入れたり、ご飯を食べさせたり、同じ布団で寝る。
それが、血液検査の後、訳のわからないままパパから子どもたちは離され、私はカーテン越しになり、自分が身につけていた物以外は全て
持ち込めない。
そういえばパパが無菌室に入ってすぐ私に「オレなんか悪いことしたんかな~。こんなん拷問やで」と言った。
冗談っぽく笑いながら言ったけど、ちっとも笑えない。むしろパパの心は泣いていたに違いない。
無菌室で、パパは徹底的に白血病のことについて調べていた。薬、一つ一つの名前を調べ、どういう効果があり副作用はどうなのか?
白血球の数がいくつで、血小板の数値がいくつで、その時の自分の体がどういう状態にあり、どういう気分なのか、全ての情報を記していた。
昔は白血病といえば不治の病と言われていたが、今は治療すれば治る病気になってきた。それほどまでに医学は日々、進歩している。
新薬、画期的な治療を行う事が出来るのは、優秀な医師が日夜、研究を進めて行くから。同じ白血病でも全く症状が違っていたり、使用する薬
が違っていたりする。
医師たちは一人一人の体を診察し、丁寧に調べ的確に治療を行っていく。神経が擦り切れる仕事だ。
そんな素晴らしい医師をつくる為には実際に人間の体が必要になる場面もある。
献体なんてパパが亡くなるまで知らなかった。
パパが亡くなってパパ体に取り付けられていた、たくさんの管を外してもらい、私はパパに「やっとお家に帰れるよ」といいながら、看護師の
方と丁寧に拭いた。透き通るように白くて冷たい体だった。
「パパ、ホントにお疲れさま。」そういって部屋を出た時に、妙子さんに主治医の先生から話があると言われ二人で先生の話を聴きに行った。
「島田さんは、献体をご希望されています。自分の体を病理解剖して欲しい。と言われておりました」と。
献体には2つの解剖がある。
一つは人体の構造を調べる為の正常解剖。もう一つは治療をしてきた体の病変を調べる病理解剖。
パパはたくさんの薬を使ってきた。突然、耳が聞こえなくなったり、モルヒネが効かないほど体全体に激痛があったり、腕がどんどん壊死して
きたり、パパ自身も自分の体に何が起きていてどうなって行くのか、不安に感じながらでも、原因を知りたがっていた。
自分の体を使って、わかることなら、解剖し隅々まで診て今後の医療に役立ててほしいと医師に伝えていたそうだ。
私はやっとパパは辛い闘病から解放されたのに体をまた傷つけるのか・・・。そう思うと私はすぐには回答出来なかった。
主治医の先生は「奥さんや妹さんが反対しても病理解剖して欲しい、と島田さんは言っておられました」といった。
パパは私のことお見通しだったみたい。
今年の慰霊祭でも献体をされた方のご遺族の方が沢山、来られていた。
静かな会場にすすり泣く声が、あちこちから聞こえていた。私だけではない。ココにいる皆さんも胸が張り裂けるような選択に迫られ、決心し
たんだろう。
パパは自分が死んでからでも誰かの役に立ちたいと考え決意した。
私にはなにが出来る?
私には命がある。感情がある。丈夫な体がある。
なんだって出来る!
そう思うと勇気が湧いてきた。
生きてることに感謝しあたりまえの毎日をあたり前では無く、特別な日、時間にしなくてはならない。
「Beat of Life~命の鼓動~」
今、生きている全ての人にあてたメッセージ