いちご畑よ永遠に(旧アメーバブログ)

アメーバブログ「いちご畑よ永遠に(旧ヤフーブログ)」は2023年7月に全件削除されましたが一部復活

岩手県一関市 一関市博物館 日本刀のルーツ・舞草刀 名勝・厳美渓

2024年01月12日 13時19分02秒 | 岩手県

一関市博物館。岩手県一関市厳美町字沖野々。

2023年6月15日(木)。

達谷窟見学後、道の駅「厳美渓」に隣接する一関市博物館へ向かい、14時頃に着いた。

一関市博物館には、達谷窟と同じく世界遺産平泉の候補である骨寺村荘園遺跡の特集展示がある。そのほか、日本刀の源流の一つ舞草刀(もくさとう)蘭学者大槻玄沢、言海の著者大槻文彦、和算についての展示もある。

谷起島(やぎしま)式土器。弥生時代中期の土器。

谷起島遺跡は、磐井(いわい)川南岸、同川支流の久保川・市野々川・栃倉川が形成した袋状地形の南側低位段丘上にある。標高約40m。1955年岩手県における弥生時代谷起島式土器の標準遺跡として紹介された。検出された遺構には住居跡はなく、土壙・甕棺墓・配石・集石・焼土ブロックと遺物包含層である。

遺物包含層では上位層から弥生時代の谷起島式土器下位層からは縄文時代晩期の大洞A′式土器が出土し、ほかからの出土土器はすべて谷起島式である。

蓋型土器の出現は、「蒸す」という調理法が加わった調理法の変遷を示す。

「舞草刀(もくさとう)」は、古代から中世初期まで日本屈指の鍛冶集団であった舞草鍛冶が鍛刀した日本刀である。日本最古の刀剣古伝書である観智院本「銘尽」に、神代から当代(鎌倉末期)までの名人42人が掲載されており、そのうち8人が舞草鍛冶である。

舞草刀は、平安時代の朝廷と蝦夷(えみし)の戦をきっかけに奥州藤原氏の庇護を受け作刀された。東北に住む武士、京都の武士にも舞草刀は好まれ、各地に舞草派にまつわる逸話、伝承を残す。そして「直刀」から「湾刀」への変遷にかかわっていたと示唆されることから舞草派の鍛冶場跡は「日本刀発祥の地」としても有名である。

平泉を本拠として平安時代末期から南北朝時代まで活動していた鍛冶集団に「宝寿派」(ほうじゅは)があり、この一派の祖「文寿」(もんじゅ)は舞草派の流れを汲む刀工だと伝えられている。宝寿は文寿の子と伝わり、宝寿派当主は代々この名前を継いでいる。

太刀 銘 舞草。

鎌倉時代/13世紀。鎬造り。中切先、刃文は直刃、湾(のたれ)刃。地肌は板目肌。彫り物はなし。目釘穴1、茎は槌目。長さ72.8㎝、反り2.1㎝、元幅3.2㎝。

国名勝・厳美渓(げんびけい)。一関市厳美町字滝の上。

一関市博物館見学後、北西近くの国名勝・厳美渓(げんびけい)へ向かった。磐井川を渡る橋の中ほどから川の中央にある岩場に観光客が数人おり、厳美渓のエッセンスを確認した。駐車場を探すと300円の有料駐車場しかなかったので、一つ上流の長者滝橋へ向かい、路駐して見学した。

厳美渓は、磐井川中流の渓谷で、栗駒山(須川岳)を水源とする。全長2㎞で奇岩や怪岩に富む。

 

厳美渓見学後、西に進んで骨寺村荘園遺跡へ向かった。

岩手県平泉町 達谷窟 岩手県立平泉世界遺産ガイダンスセンター③大池伽藍跡 毛越寺



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。