世界遺産・御所野(ごしょの)遺跡。きききのつり橋。岩手県一戸町岩舘字御所野。
「きききのつり橋」は谷を挟んで立地する御所野縄文公園・御所野縄文博物館と駐車場を結ぶ木製歩道橋である。
きききのつり橋から下の沢筋。水場遺構がある。
2022年10月4日(火)。
青森県三戸町の国史跡・三戸城跡を見学後、南下して岩手県に入り、12時過ぎに御所野遺跡の駐車場に着いた。9月ごろにBSで「世界遺産・北海道・北東北の縄文遺跡群」の特集番組があり、御所野遺跡の土屋根火災実験が紹介されていた。
御所野遺跡は、縄文時代中期後半(約5000年前から約4200年前)の拠点集落跡で、800年間という長期にわたって人々が定住した集落跡と考えられている。
岩手県北部の馬淵(まべち)川沿岸の標高190~210mの河岸段丘に立地し、東西に細長い台地と東側の丘陵地に住居跡が分布していた。
集落の中央に配石遺構や墓などの墓域が造られ、その周囲には竪穴建物、掘立柱建物、祭祀に伴う盛土などが分布し、さらにその外側の東、西にも竪穴建物が密集するという集落構造が明らかになっている。
食料となるサケ・マスが遡上し、捕獲できるとともに、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていた。
盛土からは、大量の土器や石器とともに、焼かれたシカ、イノシシなどの動物骨、同様のクリ、クルミなどの堅果類、さらに祭祀遺物と考えられる土偶、土製品、石製品などが集中的に出土していることから、火を使用した祭祀が繰り返し行われていたことを示している。
竪穴建物のなかには、焼失後に廃棄されたものもあり、調査の結果、これらの竪穴建物は土で覆う屋根構造だったことが明らかとなった。
定住発展期後半の配石遺構を伴う墓域と祭祀場である盛土を伴う拠点集落であり、内陸の河川地域における生業と精神生活の在り方を示す重要な遺跡である。
遺跡は東北北部から北海道道南にかけての円筒土器文化圏と呼ばれる地域的なまとまりの南端に位置することから南の大木式土器文化圏からの影響も強く受けている。
4800年前ごろに大木式土器文化圏の影響を受け、中央部に環状集落が作られるようになる。遺跡の中央北側を大きく削って平坦にして墓と配石遺構群をつくり、出た土は南側に盛りあげて送りの場とし、その周囲を竪穴建物が環を描くようにめぐっていた。
4500年前ごろになると、中央の墓はそのままに集落が東と西にわかれていく。この集落のまとまりはだんだん小さくなり、御所野周辺の地域へと散らばっていく。やがて御所野遺跡はまつりの場に特化した“祭祀センター”としての色合いが強くなっていったと考えられる。
御所野ムラが消滅した4200年前以降、北の縄文世界では祭祀の場と住む場所がはっきりと分かれるようになり、秋田県の大湯環状列石や伊勢堂岱遺跡、青森県の小牧野遺跡といった大規模な環状列石が造られていく。
御所野縄文博物館2階から眺める御所野縄文公園の東ムラ方向。
東ムラ。
東ムラから公園には入らず、外側遊歩道から西ムラへ行き、中央ムラ、東ムラ、博物館の順に見学した。
西ムラでは保存状態良好な焼失住居をいくつも調査した結果、同じ頃に焼けたと考えられる4棟を復元している。ここで復元している竪穴建物は保存状態の良い焼失住居である。
焼失実験跡。平成11年(1999年)10月、土屋根建物を復元してから2年後、実際の燃え落ちかたを調べるために焼失実験を実施した。
竪穴内は酸欠状態になりやすいため、事前に天窓とその周囲を取り除き、開口部を広く開けてから各柱に設置した薪にいっせいに点火した。
5、6分で床上の薪が炎上、20分後には天窓周辺の屋根が崩落した。その後、ときどき酸欠状態となって消えそうになったり、勢いよく燃える状況が続いた。屋根が落ちて空気が入ってくると壁板が勢いよく燃え、中には内側に倒れこむものも確認された。このようなことが繰り返され、1時間後にようやく火が消えた。
実験後の燃えた竪穴建物跡は風化状況を確認するため、そのまま現地に保存している。
中央ムラ。東ムラから眺める。
中央ムラは東西80m、南北50mのあらかじめ造成された広場を囲むように竪穴建物が分布している。広場は墓地となっており、南側に盛土遺構がある。
中央ムラの配石遺構。いろいろな形に石が組まれたものを配石遺構という。御所野遺跡では2つの大きな輪になっており、東側は長径35m、短径25m、西側は長径25m、短径20mの楕円形でいずれも中心部は空白地になっている。配石遺構の周辺には墓穴が密集している。
盛土遺構(もりどいこう)は、中央ムラの南側にあり東西80m~90m、南北30mの範囲が1mほど高くなっている。ここからは大量の土器、石器、土偶、焼けた獣骨や植物の実が見つかっている。
中央ムラの竪穴建物。
東ムラの竪穴建物は200棟以上確認されている。直径10mを越す大型住居から5m前後の中型住居、3m前後の小型住居が、同じ場所で重複して発掘された。
御所野縄文博物館。
東ムラ。
土屋根建物。
北方民族の共通文化である。