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青森県むつ市 奥薬研温泉 東通村 寒立馬 尻屋崎灯台

2023年08月08日 20時48分50秒 | 青森県

奥薬研温泉露天風呂「夫婦かっぱの湯」。青森県むつ市大畑町赤滝山1−3。

渓流沿いに作られている天然温泉掛け流しの露天風呂である。

2022年10月2日(日)。

むつ市大湊町の海上自衛隊大湊地方隊にある史料館「北洋館」を見学後、13時過ぎに奥薬研温泉へ向かった。下北半島には温泉が多く、1990年代後半から知っていた。下北半島は道路閉鎖が多く、恐山から奥薬研温泉へは道路閉鎖されていたので、半島東岸から薬研渓谷へ遡った。「奥薬研温泉」は、薬研温泉から2kmほど上がった所にある。

14時20分ごろ、奥薬研修景公園のレストハウス駐車場に着いた。奥薬研温泉の露天風呂は、混浴の「元祖かっぱの湯」が有名だが、休止などの情報が錯綜していたので、男女別の「夫婦かっぱの湯」に入浴することにした。大人230円。レストハウス内の券売機でチケットを購入する。

「夫婦かっぱの湯」には、レストハウス内から通路を経由して入る。

脱衣室はあるが、内湯・シャワー類はない。

このあと、尻屋崎灯台へ向かった。東通(ひがしどおり)村に入ると、金属網で囲まれた地区の横を通り、原発地帯であると実感した。

寒立馬(かんだちめ)。東通村尻屋崎。

15時30分ごろ、尻屋崎灯台へ向かう手前の尻屋崎ビジターハウス横の道路に開閉ゲートがある地点に着いた。そこを抜けると南側の放牧地に馬がいた。

尻屋崎周辺の牧草地には寒立馬という馬が放牧されている。寒立馬は、寒気と粗食に耐え持久力に富む農用馬として重用されてきたが、時代の移り変わりと共に激減。しかし、その後の保護政策により現在は30頭ほどに回復している。

寒立馬のルーツは、東通村の海岸地帯に南部藩政時代から田名部馬とよばれた比較的小柄で寒気と粗食に耐え、持久力に富んだ馬で、「四季置付」と称し周年放牧されていた。

これらは、南部馬を祖とし、藩政時代から明治、大正、昭和に亘って主として軍用馬として外来種との交配によって改良されてきた田名部馬であり、なかでも、尻屋地区ではこの田名部馬を外来種のブルトン種と交配することにより独自の農用馬(肉用馬)として改良してきた。

寒立馬(かんだちめ)は、南部馬の系統で足が短く胴が長くて、ずんぐりしている。

寒立馬及びその生息地は青森県の天然記念物に指定されている。

かつては「野放馬」と呼ばれたが、昭和45年(1970年)に尻屋小中学校の岩佐勉校長が年頭の書き初め会で、「東雲に勇みいななく寒立馬 筑紫が原の嵐ものかは」と詠んで以来、「寒立馬」と呼ぶようになった。「寒立」はカモシカが冬季に山地の高いところで長時間雪中に立ちつくす様を表すマタギ言葉で、冬季、寒風吹きすさぶ尻屋崎の雪原で野放馬がじっと立っている様子がそれに似ていたことから「寒立馬」と詠んだ。

 

重要文化財・尻屋埼灯台。東通村大字尻屋字尻屋崎1番1。

尻屋埼灯台は、本州最北端、下北半島北東の尻屋崎に建つイギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントン設計の塔形灯台である。「近代化産業遺産」(経済産業省)、「土木学会選奨土木遺産」(公益社団法人 土木学会)、「日本の灯台50選」(海上保安庁・燈光会)、「恋する灯台」(日本ロマンチスト協会)にも選ばれている。

 明治6年(1873)6月に着工し、明治9年(1876)10月20日に竣工、国内最大級の「2等フレネルレンズ」が高さ約33mの灯篭に設置され点灯を開始した。日本初の霧鐘や霧笛が設置され、電気式灯台としての運用も日本初であった。

太平洋戦争末期、昭和20年(1945)7月には、米軍艦載機の攻撃を受け、主要施設が破壊し尽くされたが、翌年8月には仮灯による点灯を開始し、昭和24年(1949)9月に戦災から復旧を果たした。

 外壁部と内壁部の間に空洞を持つ二重(円筒)構造が特徴で、基部に半円形の付属舎が付く。煉瓦造灯台では国内最大級の塔高を誇る。

尻屋埼灯台の高さは32.82m(平均水面からは約47.0m)で、レンガ造りとしては日本一の高さを誇る。

午前9時から午後4時まで内部を参観できるが、灯台近くに着いたときは4時を過ぎていた。128段の階段を上ると津軽海峡と太平洋を一望できるという。

津軽海峡と太平洋が交わる尻屋崎沖は、海上交通の要衝として、また、豊かな漁場として、昔から非常に重要な地点であった。しかし、この地特有の濃霧が多く発生し、また、海面下には岩礁が広がるため、”難波岬”や”船の墓場”といった別名でも知られていた。

墓標。近くには墓標や水難碑が数多く立っている。

尻屋埼は、本州最北東端の岬で最果ての地といった風情が漂う。風が強く、かつて昔は多くの船舶が座礁・遭難して「海の墓場」と呼ばれていたという。

このあと、道の駅「わきのさわ」へ向かった。脇野沢に江戸時代のアイヌの墓標がある寺があるというので翌朝見学したいと思ったからだ。

青森県むつ市 海上自衛隊大湊地方隊史料館「北洋館」② 太平洋戦争 戦中と戦後