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青森県むつ市 海上自衛隊大湊地方隊史料館「北洋館」① 旧日本海軍時代

2023年08月05日 13時40分45秒 | 青森県

海上自衛隊大湊地方隊史料館「北洋館」。むつ市大湊町。海上自衛隊大湊地方総監部内。

2022年10月2日(日)。

北の防人大湊 海望館」がある高台の道路から海岸沿いの道路に下りて、旧海軍大湊要港部の後身・大湊地方隊の史料館である北洋館へ向かった。入場は無料。土日祝のみ開館。

展示室は、海軍・自衛隊室、歴史室に区分されており、1902年(明治35年)の帝国海軍大湊水雷団開庁から現在までの、「北方の海上防衛」をテーマとした、貴重な史料約1000点を展示している。

北洋館は、1916年(大正5年)に海軍大湊要港部の水交支社(海軍士官の社交場)として建てられた当時としては珍しい洋風の建物である。この建物は、1979年に日本建築学会から大正・昭和期の名建築620件の一つとして選ばれている。

太平洋戦争後は一時期進駐軍の施設となったが、1953年海上自衛隊大湊地方隊の発足により、大湊地方総監部や通信隊の庁舎として使用され、1981年より海上自衛隊展示資料館として保存・一般公開されている。

1916年(大正5年)に建設された当館は、背後にそびえる釜臥山から切り出された安山岩を用いた石造平屋建てで、建物中央に玄関ポーチを配置した左右対称型となっており、不整型の石を積み上げた乱積の外壁が印象的な建物である。1907年(明治40年)に建てられた元の建物が1914年(大正3年)12月に焼失したことにより建設されたものである。

間取りは展示施設として大幅に改装されているが、天井や外観はほぼ建設当初のまま保存されている。特に、外壁の組積造については、全国で現存する多くの石造建築で用いられている横目違が通った布積ではなく、乱積となっているところが特徴的である。

大湊水雷団・大湊要港部・大湊警備府・大湊地方隊。

1886年「海軍条例」において全国に五つの海軍区を定め、第五海軍区の範囲は「北海道陸奥ノ海岸海面及津軽海峡」と決められた。室蘭鎮守府の設置を内定したが、室蘭は地形的に太平洋からの攻撃に対して防御が困難であるとの理由で、1895年に軍港予定地を大湊に変更した。しかし、大湊に鎮守府の設置は実現しなかった。

1900年春から大湊水雷団敷地の造成工事が始められ、1902年8月、後に大湊要港部へと発展する大湊水雷団(横須賀鎮守府管下)が開庁し、あわせて大湊海軍修理工場を開設し、翌年9月に第4水雷艇隊(水雷艇4隻)が配属された。

日露戦争において、大湊水雷団は津軽海峡警備を担った。戦後、日本の南樺太領有に伴い、北方方面の警備が重要となり、1905年12月大湊水雷団は大湊要港部へ昇格し、北方海域における警備、権益保護、漁場安全確保、救難救助などに従事した。

1941年11月、日米開戦が迫る中、その対応のため大湊要港部は大湊警備府に昇格した。太平洋戦争中は、千島方面の防備強化、第5艦隊・第1水雷戦隊・第12航空艦隊への後方支援、海上護衛、対潜掃海等に従事したが、戦局は悪化し、1945年8月の大湊空襲により大きな被害を受け終戦を迎え、同年11月に廃止された。

1953年9月、保安庁警備隊(後の海上自衛隊)によって大湊地方隊として復活。同時に地方総監部を設置。他の4地方総監部(横須賀・舞鶴・佐世保・呉)は全て既存の鎮守府から継承したため、大湊のみ、「鎮守府」への実質的な昇格を果たす形となった。

青森県むつ市 陸奥湾の風景 「北の防人大湊 海望館」展望台