Invalid Life

「演歌・オブ・ザ・デッド」公式ブログ
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星の鼓動は愛

2006年03月04日 15時37分20秒 | 映画・DVD・テレビ番組
つーこって、公開初日の一回目を見てきました。

以下、ごっつネタバレ満載炸裂なんで、まだ見てない人はこっから下を見ないで下さい。つっても、元々テレビシリーズの映画化なんやからネタバレという程じゃないかもしれないけど。





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うん、まぁ、その、なんだ、あれだ、三本の映画になったけど、これはテレビシリーズを原作とした映画化であって、決してテレビシリーズのリファインでもリメイクでもないってことなんよね。

過去の映像を使っちゃうから誤解を受けちゃってるけど、富野監督がインタビューでも言ってるように、初めて放映されたテレビシリーズから20年が過ぎて、その間の技術的、映像的な進歩をも修めておきたいっていうエゴからこういう形になっただけでね。やっぱテレビシリーズは原作でしかないんよね。

同じアニメという媒体だし、殆どの声優陣はテレビのままというのも、鋭く誤解される要素だと思うけどさ。カミーユ役の声優の人も変えようと思ってたってくらいだから、声優部分に関しては偶々っていう部分も大きいとは思う。新録だしね。

一作目、二作目、私は結構楽しめた。DVDでも楽しめた。テレビシリーズを知らなくてもすんなりと見ることが出来るっていう要素は大事にされていたと思う。

今回に限ってそれは感じられなかった。そう感じてしまったのは、テレビシリーズが前提にあるのに、テレビシリーズの映画化というスタンスを崩していない。大まかな流れが変わっているのに、世界観の背景は昔の流れに寄り添ってしまっているという失敗からだろう。

シロッコとハマーン、二人が今回の主役だった。カミーユもシャアもアムロも何処へ行ったのだろうか。彼らの鼓動が聞こえなかった。

映像に関しては、今回が一番旧作の画と新作の画のブレンドが良かった。やっと慣れてきたってところなんかな。もう終わりやけど。画に関しては二作目の迷走がもったいないと思う。一作目や今回のような意味合いなら、歴史を感じさせることが出来ねんけどね。

テンポに関しては今回もいいのだが、なんか日付というか時間の感覚がないのよね。何日間の出来事なのか、何時間の出来事なのかっていうね。それが原因で人の心の流れを提示しきれてなかったのは痛いね。まぁ、これが宇宙(と書いて「そら」と読む)の感覚だって言いたいのかもしれないけど。テンポの良さで誤魔化すしかなかったとも言えるかな。時間軸という概念を意図的になくしたっていうのではないと思う。

ストーリーに関して、先ずは大イベントであったはずのキリマンジャロもダカールもなかった。これでクワトロはシャアになることしか許されなくなったってこととしたいんだろうか?キャスバルとしてのスタンスは放棄させたいってこと?

カミーユはテレビシリーズより破滅的な考えって後退しているように思うけど、人々の意思を背負う過程をもう少し丁寧に描写すべきだったと思う。相手方であるハマーンとシロッコの漫才コンビを時間のない中で描いていきまっせという姿勢よりかは、ゼータの意図を汲んでいると思うんやけどね。

カミーユを描かないことによって、カミーユの純粋さっていうか、子供っぽさっていうのかな、うーん、どう言っていいかわからないけど、まぁ、原石の煌めきかな、まぁ、そういう大人になるにつれて忘れるもの、捨てていくものなんやけど、それを表してみたってことなんかもしれんけどさ。

モビルスーツは百式がかっこええ~ですわ。プラモが欲しくなっちゃったよ。これでシャアがヘタレてなかったらなぁ~。

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えっと、こっから更にネタバレ炸裂します。

最初から変更されると言われていた最後の場面。カミーユがあのまま、血肉を感じることを大切に思う瞬間、ZZも逆襲のシャアもなくなったっていうことになっちゃいますよ?まぁ、ここで終わりとするのも手だとは思うけど。

その割にはネオ・ジオンの船が出て来るし、カイはセイラさんに取材してるし。どうなるのよ?アムロはまだ地球の重力に引かれたままだし。

思うに、ZZも映画にする、或は逆襲のシャアの間の話か、逆襲のシャア自体を作り直すってことかいな。

ごめん。妄想爆発させてもらいます。

カミーユが精神崩壊しなかったのはいいと思う。でもさ、こうするならさ、やっぱシャアとハマーンの決着を描く必要があるし、アムロも宇宙に上げるべきだった。

カミーユ対シロッコ、シャア対ハマーン、アムロ対ヤザンやジェリド含むその他大勢、これはやる必要があったんでないの?

劇場の、シャア、シロッコ、ハマーンにカミーユが絡む場面で、アムロも入れるべきだったと思う。つか、それが見たかった。そうじゃないとカミーユは何の為に、どういう意味や意図をもって答えを見つけたのか、っていう部分が希薄になると思う。

現に答えを持ち越したシャアやアムロ、否定されたハマーンやシロッコの基準がないということでの立ち位置の不安定さが、ゼータの世界観ではなく、現実のアニメ映画作品のという枠で存在しちゃってしまったから。

テレビシリーズのカミーユは答えを見つけようとして、結局は脳内世界に引きこもった結果だったんだと思う。だから、明確な、基準としての答えは必要なかったけど、映画でのカミーユは自分の意思を更に強く認識するっていう形になったからこそ、その正当性をカミーユ自身に与える為にも、その他のキャラの考えとの対比を描くことは必要だったと思う。

そんなこんなで長文書いちゃったよ。

ちょっと頭の中も心の中も整理しきれてないけど、面白かったし、これレベルの映画ってなかなかないし、これで満足出来ないのは我侭っていうのはわかるけどね。

まぁ、もう一回劇場に行くかもしれない。うん、そんな気がする。