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おいしいコーヒーが飲みたい

ライプニッツ

2017年11月30日 | 日記
中公クラシックスの『ライプニッツ』を手に取って、「形而上学叙説」を眺めているのだが、無知蒙昧のためにほとんど理解がおよばない。それでも、この蒙昧の霧の向こうにはきっと、とてつもなく面白い何かがあるようには思う。

「…この自然なるものは神の習慣にすぎず、神を動かしてこの準則を用いるようにさせた理由よりももっと有力な理由があれば、神はこの習慣を守らなくてもすむ云々」という箇所など、たまらない。もっと能力があれば、こんなところからインスピレーションを得て、たとえば気の利いたSF小説でも書くのだけれど、非才を嘆くのみですわ。

インドからギリシアへ。またインドへ。

2017年11月29日 | 日記
古代ギリシアの哲学者でピュロンという人がいて、懐疑論の祖と呼ばれるそうだ。平安(アタラクシア)を得る手段として判断中止(エポケー)を説いたというが、私にとって驚きだったのは、この人アレクサンドロスの遠征にしたがってインドに行き、ヨーガ行者に出会ったという。

なぜ私は驚いてしまったかと言うと。

ヨーガの根本教典『ヨーガ・スートラ』の代表的注釈「バーシャ」は、『スートラ』が説く「煩悩」を、「倒錯」というような意味の語彙(「誤謬」と訳す人もいる)で説明している。私はこのあたりの記述を、実態にそぐわない「地図」のせいで心が本来の状態を見失う、というように理解しているが、これは木村敏の著作を自分なりに読んだときに考えたことだった(念のために言い添えると木村氏は精神科医で、少なくとも私が読んだ本にはヨーガだのインドだのへの言及はない)。そして、その著書での木村氏の所論は、用語からすると現象学を踏まえているらしかった。

フッサールなど現象学者たちも判断中止(エポケー)を説くわけで、西洋のピュロン以来の伝統を、ある意味継承しているのだろう。その現象学を参考にする木村氏の著作が、私にとっては『ヨーガ・スートラ』の一部を解釈する助けになった。ところがエポケーの元祖ピュロンは、インドでヨーガの行者に会っている。『ヨーガ・スートラ』の成立は、研究者の言うところではピュロンの時代より数百年後だけれど、肝心な点では、彼が学んだり会得したりした(かもしれない)ことも『スートラ』などと同じだったのではなかろうか。


ヨーガ教典を解釈するのに西洋哲学の助けを借りたと思っていたら、その遠祖の教えには当のヨーガの教説が隠れていた・・・ように思ったのでございます。

その地図は使えますか?

2017年11月27日 | 日記
先日の毎日新聞に、ある大学の名誉教授の談話が載っていた。「保守」とは何かがテーマである。冒頭、「・・・日本固有の「国柄」を守るのが保守である。その中核には天皇のご存在がある」と言っている。次に、「「保守」を名乗るのであれば、天皇を崇敬する心は皆同じである」とある。どちらも説明は一切なしに、いきなりの断定なので、戸惑ってしまう。特に後者の「皆同じである」の強引さはすごい。ほかにも、「・・・各国指導者は栄光の時代を国の理想に掲げる。日本においては明治維新である」というのも、問答無用の断定だ。

ここで私は、かつて感激して読んだS.I.ハヤカワ『思考と行動における言語』を、本棚から出してこないわけにはいかない。(大久保忠利訳.原書第三版.岩波書店,1974年,改版1976年)


三‐4「うなりコトバとゴロゴロ・コトバ」という章がある。何かを報告しているようでも、実は「俺は嫌いなものはどこまでも嫌いだ」「好きなものはどこまでも好きだ」と言っているにすぎないようなケースを説明している(うなりコトバとゴロゴロ・コトバという命名は、獣が唸ったり猫がのどを鳴らしたりするのと変わらない、ということ)。「それらは少しも外在的世界の状態をのべた報告ではないのだ」。

三‐5「どんなぐあいに断定は思考を止めるか」もおもしろい。「早すぎる断定は、直接に目の前にあることをわれわれに見えなくすることが多い」とある。

この談話の先生も、ハヤカワくらいは読んでおいてほしいと思う。念のために言っておくが、私は保守の論者に対して含むところはまったくない。ただ、同じことを主張するのでも、きちんとしたステップを踏んでほしいだけなのです。


最後に、二‐5「地図と現地」より。「言語的世界と外在的世界との関係は、地図とそれが代表する現地との関係に似ている。」「想像やアヤマリの報告で、または正しい報告からのアヤマリの推論で、または単にコトバを飾ろうとするために、われわれは気ままに、外在的世界と何の関係もない「地図」を、言語で、作ることができる。・・・誰かがそのような「地図」が現実の地域を再現していると思い誤らない限り、害はない。」だれしも、このくらいのことは知っていると言いそうだけれど、あなたや私の地図はだいじょうぶですかね(笑)?




長編小説

2017年11月26日 | 日記
ヘッセの『デミアン』が光文社古典新訳文庫に入っているのを今日知った。新潮文庫の高橋健二訳は4回?読んだ、私にとって大切な本だけれど、新しい訳も試さねばなるまいな・・・。

長編小説をそれほどたくさん読んだわけでもないが、自分の「特別室」に入っているのは何だろうと思い、探索してみたらこんなものが出てきた。

カレル・チャペック『山椒魚戦争』: 私にとってはこれこそベストの中のベスト。これ以上の小説があり得るのかとさえ思う。岩波文庫で読んだが、訳者栗栖継氏の仕事にも満腔の敬意をささげる。

フランツ・カフカ『審判』: 私はエッシャーの絵を見ると「あ、こっちが本当の世界」と思ってしまうのだが、カフカの小説を読むときもそうなのです。『城』もすごいな。

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』: 米川正夫訳で読んだ。光文社の亀山訳がしばらく前に話題になったがそちらは未読。この小説にも『罪と罰』にも、ドタバタ喜劇みたいなシーンがあって、なにか「黒い笑い」が小説の筋立ての下からむき出しになる箇所が良い。

ほかにも、「好きな長編小説」はいくつか思い浮かぶけれど、特別室からとりあえずこの三点を出してみた。

坊ちゃん in 日露戦争

2017年11月25日 | 日記
日露の戦役について政府の弱腰を糾弾した帝大七博士.最強硬派の戸水博士は政府から教授職を免ぜられたが,これに憤慨した帝大教授陣は一斉に辞表を提出する騒ぎとなった.

われらが坊ちゃんも負けてはいられない.山嵐先生の免職を聞くや自分も辞めると校長に直談判だ.それでは講義が成り立たなくなると青くなったり赤くなったりする山川総長,じゃなかった,たぬき校長.

七博士の真似だけではつまらない.かつての学友秋山真之は戦場でロシア艦隊を大いに破ったではないか.われらが坊ちゃんも後れてはならぬ.連合艦隊同様に碇を下ろして待ちに待ち,ついに姿を見せた赤シャツ艦隊を対馬海峡に迎え撃った.新兵器鶏卵砲の威力で敵艦は轟沈した.秋山は戦場からの電報で文名も上げたから,こちらも負けずに,あの簡にして要を得た名文,たぬき校長宛のはがきを草して投函だ.

戦後日本国は清国領内に鉄道の権益を得て大いに発展した.われらの坊ちゃんも,清のもとに帰り,街鉄の技手となった.月給25円.



あと8年

2017年11月24日 | 日記
先日NHKのニュースで、「来年で明治元年から150年となる」云々と言っていた。なんだかまわりくどい言い方をする、なぜ簡単に「明治150年」と言わないのだろうと思ったが、よく考えてみると、明治150年とは実は今年だ(笑)。今年が明治何年、などと普段意識しないがゆえの混乱である。

しかし、おそらくは昭和の前半くらいには、あるいは戦後になっても、そういうことを意識する人は大勢いたのではなかろうか。

私自身は、年号が平成に変わってからしばらくの間、「今年は昭和だと○○年」とよく頭の中で変換してましたね。それは、「昭和何年のこと」という風に記憶している過去のこととの距離をはかるのに必要だったので。ところが、ある時期から元号より西暦を使うことが多くなって、むしろ過去の「昭和○○年」の方を西暦に変換して考えるようになりました。その当時は西暦より和暦の方がずっと支配的だったのに。いつの間にか自分の過去が改変されていくような、妙な気がする。


ところで、「今年は昭和○○年」という数え方を続けている人にとっては、西暦2025年の「昭和100年」にまつわる混乱はありえないわけですね。「昭和元年は西暦1926年だそうだから、100を足して2026年が昭和100年だろ?」とか、初歩的な間違いをする人たちを鼻で笑うのに忙しくなりますよ、昭和諸氏。

太平洋横断

2017年11月23日 | 日記
小学生のころ、講談社の「ふくろうの本」で勝海舟の伝記を読みました。いきなり犬にき〇〇まをかまれて死にかけるシーンで始まるので度肝を抜かれましたが、それはともかく、一編のクライマックスは、もちろん咸臨丸での太平洋横断。黒船来航からほんの数年後、日本人は太平洋を渡った!

・・・で、これが(ジョン万次郎みたいな漂流の場合は除くとして)日本人の初めての太平洋横断だとその時は思ったのです。ところが、日本史をちょっと学んでみると、海舟のはるか以前に伊達政宗の家臣で支倉という人が、太平洋を越えてメキシコに渡り、さらにヨーロッパまで行っているというではありませんか。さらに、それより少し前に、田中勝介という町人が日本とメキシコとを往復したというではありませんか。どうもこの二人の航海が、私の「日本史」のなかで収まりがわるい。「鎖国」以前に西洋と交流があったのは分かるけれど、それが「太平洋横断」とうまく結びつきませんでした。

最近になって、杉浦昭典『海賊たちの太平洋』(ちくまプリマーブックス)を読んで知ったのですが、マゼランの世界周航からしばらく後、ガレオン船によるメキシコ⇔フィリピン往復航路というのが開けたのだそうです。メキシコのアカプルコを出た船が、南米のポトシ鉱山から出た銀を積み、フィリピンのマニラに着く。そこで東南アジアの香料や中国の物産を入手して、またメキシコへ戻って行く。思うに、スペインがこの航路を確立していたから、田中も支倉も太平洋を渡れたのでしょうな。ああ知らなんだ。

英米というフィルターを通した世界しか見ていなかったということでしょうかね。あるいは単なる無知。

上に挙げた『海賊たちの太平洋』、ジュニア向けではありますが大人が読んでも良い本です。著者は1928年生まれで執筆当時は神戸商船大学教授。航海についての豊富な専門知識と、戦前の人らしいたしかな日本語力とで、読みごたえのある一冊になっています。

2019年問題

2017年11月22日 | 日記
報道によると、次の天皇が即位する日について、2019年の3月末と同4月末とが候補に挙がっているという。

それでは2019年は国民の祝日「天皇誕生日」がなくなってしまうよ(笑)?

皇太子殿下の誕生日、つまり今後の天皇誕生日は2月23日。現在の天皇誕生日は12月23日。新天皇が4月1日だか5月1日だかに即位するとなると、その年に限っては、どちらの日も「天皇」誕生日として迎えることができない。

天皇陛下のお誕生日をお祝いする機会がなくなるとは情けない・・・という声が挙がるかどうかは知らぬが、「休日が減っちゃったよお」という叫びは湧き上がるでしょうなあ(笑)。

夜のプレイリスト

2017年11月21日 | 日記
NHKのFM放送で平日18時から、「夜のプレイリスト」というプログラムがありまして、これがシンプルな構成だけれどおもしろい。

週替わりのホスト役が、毎日一枚ずつ自分の特別に好きなアルバム(昔風に言えばLP)を紹介して、そこから数曲を選んで流すだけ。それでも、ホストの思い入れのこもった話と、「アルバム」ならではのまとまりのよさとで、聞かせる。知らなかったアーティストや楽曲を知ることができて楽しい。

さて自分ならどんな5枚を選ぶか。いや、実はあまり音楽を聴き込んではいないので材料が少ない。それでもあえて並べると:


はにわオールスターズ『はにわ』: 冒頭の「ちゃーのみ友達スレスレ」以下、怒涛の破壊力であった。

坂本龍一『音楽図鑑』: 「Tibetan Dance」もよかったけれど、たしかB面最初の「旅の極北」が好きであった。

ナゲシュワラ・ラオ『南インドの音楽/ナゲシュワラ・ラオのヴィーナ』: これにはもう、なんだか深いところで共感を覚えて、すっかり虜になってしまった。ある友人からは「どこがいいのかさっぱり分からん」と言われたが。

千住真理子『詩曲・ツィゴイネルワイゼン』 : というタイトルだったと記憶するが、彼女が自分の好きな曲を演奏したもの。

[サウンドトラック]『スターウオーズ・帝国の逆襲』: 自分の場合、そもそも音楽を聴くという習慣は映画音楽からだった。そして「帝国の逆襲」は(音楽以外のもろもろを含めて)、「はじまり」だったと思う。


ヨースタイン・ゴルデルから散漫に

2017年11月20日 | 日記
ゴルデルといえば『ソフィーの世界』がかなり話題になったが、ほかの小説の方がずっと良いと思う。なかでも、『カードミステリー』のおもしろさは抜群であります。この小説の主人公の少年は父親と旅をする。このお父さんは、哲学のふるさと古代ギリシアに深いあこがれを抱いているのだが、旅の目的地はアテネである。いや、なにも哲学を探しに行く、というストーリーでは・・・たぶんない。

ともかく、アテネで頂点に達するギリシア文化こそが、考える人間のふるさと。思考のひな型はギリシア世界に求めよ。

エレア派(田中美知太郎の『ソフィスト』や九鬼周造の『偶然性の問題』を読むと、パルメニデスの存在は大きいのだなと思い知らされる)がどんな地平を開いたかとか、プロティノスが後代にどれだけ影響力を及ぼしたかとか、一望できる解説書って何かいいものありませんかね・・・。