先日NHKのニュースで、「来年で明治元年から150年となる」云々と言っていた。なんだかまわりくどい言い方をする、なぜ簡単に「明治150年」と言わないのだろうと思ったが、よく考えてみると、明治150年とは実は今年だ(笑)。今年が明治何年、などと普段意識しないがゆえの混乱である。
しかし、おそらくは昭和の前半くらいには、あるいは戦後になっても、そういうことを意識する人は大勢いたのではなかろうか。
私自身は、年号が平成に変わってからしばらくの間、「今年は昭和だと○○年」とよく頭の中で変換してましたね。それは、「昭和何年のこと」という風に記憶している過去のこととの距離をはかるのに必要だったので。ところが、ある時期から元号より西暦を使うことが多くなって、むしろ過去の「昭和○○年」の方を西暦に変換して考えるようになりました。その当時は西暦より和暦の方がずっと支配的だったのに。いつの間にか自分の過去が改変されていくような、妙な気がする。
ところで、「今年は昭和○○年」という数え方を続けている人にとっては、西暦2025年の「昭和100年」にまつわる混乱はありえないわけですね。「昭和元年は西暦1926年だそうだから、100を足して2026年が昭和100年だろ?」とか、初歩的な間違いをする人たちを鼻で笑うのに忙しくなりますよ、昭和諸氏。
しかし、おそらくは昭和の前半くらいには、あるいは戦後になっても、そういうことを意識する人は大勢いたのではなかろうか。
私自身は、年号が平成に変わってからしばらくの間、「今年は昭和だと○○年」とよく頭の中で変換してましたね。それは、「昭和何年のこと」という風に記憶している過去のこととの距離をはかるのに必要だったので。ところが、ある時期から元号より西暦を使うことが多くなって、むしろ過去の「昭和○○年」の方を西暦に変換して考えるようになりました。その当時は西暦より和暦の方がずっと支配的だったのに。いつの間にか自分の過去が改変されていくような、妙な気がする。
ところで、「今年は昭和○○年」という数え方を続けている人にとっては、西暦2025年の「昭和100年」にまつわる混乱はありえないわけですね。「昭和元年は西暦1926年だそうだから、100を足して2026年が昭和100年だろ?」とか、初歩的な間違いをする人たちを鼻で笑うのに忙しくなりますよ、昭和諸氏。