ぬるい!砂糖も多い!

おいしいコーヒーが飲みたい

その日も雪でしたね

2017年11月08日 | 日記
 東シナ海を押さえて経済力を強め、ひそかに覇権を狙う薩摩藩。時あたかも、アジアの海域に蒸気船に乗って米英仏露が新規参入してきた。この混乱に乗じて、島津は怨敵徳川に猛烈な揺さぶりをかける。

 曰く、大老井伊による日米条約締結は天皇大権の干犯である。この理屈は、実は上海密航中に長州の高杉晋作が、佐渡出身の隻眼の男から教わったものらしい。ともかくこの「大権干犯」という言葉が、体制攻撃に大いに使われた。

 井伊直弼はそれがただの屁理屈に過ぎないことも、「天皇大権」を振り回す輩のいかがわしさもよく見抜いていた。彼は果断よろしく、統制を乱す者を処罰し、皇道を振り回す者を左遷した。

 これに怒ったのが、血気盛んな少壮軍人たち。開国で農村が疲弊し、かわいい部下たちが苦しんでいることを誰よりも分かっているのは自分たちだという自負もある。肥前佐賀出身の真崎陸軍大将の左遷をきっかけに、歩一、歩三、近歩三の各連隊が決起した。雪の桜田門で井伊を血祭りに上げたのだ。

 東上を始める薩長土肥。江戸に戒厳令をしく青年将校たちは、やがて赤報隊と同じ末路をたどることになる。「天皇陛下、何たる御失政でありますか」青年将校の血を吐くような遺書がむなしく残るばかりであった。