ぬるい!砂糖も多い!

おいしいコーヒーが飲みたい

あそびをせんとやうまれけむ

2018年04月27日 | 日記
小学生くらいまでの子ども時代、大人の目からは何の意味もないような遊びに、無心に没頭したことがだれしもあるはず。「~あそび」とか「~ごっこ」とかいう名前もない、ただその場で、なんということもなしにはじまる「あそび」である。

ああいう遊びの時間は、ほかにたとえようもない、まったく独特の経験だった。あの時間をもたなかったなら、どれほど貧しい人間になったろう。


さて、一部のヒンドゥー教徒によると、この宇宙ができたのは神の遊びによるのだそうだ(そう見えるのは出来上がった世界の側から「見上げる」からで、本当は神より前に、いちばんはじめに「遊び」があったのだと私は思う)。


子どもの無心の遊びが、あれほど貴重な、得難い経験だったのは、宇宙のはじまりを追体験していたからではなかろうか。いや、もしかすると、子どものぼくらは神と一緒に遊んでいて、世界ができたのは実はそのときだったのか。もしかすると、子どもたちこそが神なのか。

何度見てもいい映画

2018年04月26日 | 日記
「ローマの休日」の終わり近く、アン王女が記者たちの前に姿を現して着席するシーン。ヘプバーンの歩き方、座り方が、どう言えばいいのか、優雅とか典雅とかいうことばでは足りないくらいである。地上の人間にこんな動き方ができるのかと驚いてしまう。

あれはバレエの動き方なのだろうか。日本の伝統にはないように思う。日本舞踊の達人でも、あの歩き方はしそうにない。中国や東南アジアはどうだろう。インド人は、バレエとは無縁でも、できそうだ。インド人は何でもできそうだ(笑)


舞踏よりもっと根源的な、「身ごなし」の文化圏もきっと存在するのだろう。「言語」あたりの分布とは全く一致しないような予感がする。なにか思いがけないものの分布と近接しているとおもしろい。

魚は大迷惑

2018年04月23日 | 日記
毎日新聞の「万能川柳」欄に、だいぶ以前に載った句。

 あの島でいつか日韓釣り大会

韓国からの投稿だった(作者名は忘れたが「日語教師」さんだったろうか)。


私は思う。毎年あの島で日韓釣り大会を開いて、勝った方が向こう一年間そこを漁有じゃなかった、領有することにしたらどうだろう。いいアイディアだと思いませんか?

いつかきっと、世界中が真似をする(笑)

わ~れ~こ~そは、お~んりょ~

2018年04月21日 | 日記
怨霊といえば崇徳上皇や菅原道真が有名だ。ところで、実はとても大きな力をふるったのに、ほとんどそうと知られていない怨霊をご存じだろうか。

それは豊臣秀頼である。

徳川家康に裏切られ、大坂城で亡くなった秀頼公は怨霊になった。幕末までは眠っていたらしい。彼が目を覚ましたのは、鳥羽伏見の戦いのときである。

このとき、戦況は実は幕府側がどう考えても有利であった。なのに、大坂城にいた徳川慶喜はひそかに脱出して江戸に帰ってしまったのである。これで薩長の勝利となった。慶喜はなぜ逃げたか。秀頼が祟ったのである。秀頼の怨霊が、徳川体制の危機に、大坂城にいた慶喜を見逃すはずがない。大坂の陣でついに城から打って出ず敗れた秀頼の怨念が、慶喜の出陣を阻んだのだ。大坂城で徳川を似たような目に遭わせたのだ。


さて、秀頼は慶喜について行き、江戸城に入ったという。やがて江戸は東京になった。

御一新からおよそ70年後、2・26事件が起きた。このとき、昭和天皇が激怒して、自身近衛兵を率いて鎮圧にあたると言ったことはよく知られている。ことば通りに天皇が出陣していたならば、そのあと軍部全体があれほど増長しただろうか。しかし、彼はそうしなかった。

またもや秀頼が祟ったのである。何のために?ーーもはや理由などない。最重要局面で城から打って出ようとしたから、としか言えない。

かくして、豊臣家にならって、徳川体制も大日本帝国も滅亡したのであります。

同じものを見ていても…

2018年04月19日 | 日記
古代のエフェソス(小アジアの都市)では女神アルテミスが崇拝されていたらしい。「エフェソスのアルテミス」は無数の乳房をもつ異様な姿をしている。フリーの画像がちょっと見つからなかったので、残念ながらここに写真を載せられない。

私がそのあたりのことを知ったのは、古代神話への関心からだった。

ところで、新約聖書の「使徒行伝」を読んでいると、エフェソスも舞台のひとつになっていて、こんなことが書いてある(以下「 」内は日本聖書協会1955年訳からの引用。エペソ=エフェソス。):

パウロたちが伝道のためエフェソスにとどまっていたときのこと。アルテミス神殿の模型造りを生業とする銀細工職人が言う:「あのパウロが、手で造られたものは神様ではないなどと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説きつけて誤らせた。これでは…大女神アルテミスの宮も軽んじられ、ひいては全アジヤ、いや全世界が拝んでいるこの大女神のご威光さえも、消えてしまいそうである。」(19.25-27)

怒った群衆がパウロの同行者たちを捕えたりして騒動になる。「大いなるかな、エペソ人のアルテミス」(19.28,34)と叫び続ける人々を静めようと、役人が言う:「エペソの諸君、エペソ市が大女神アルテミスと、天くだったご神体との守護役であることを知らない者が、ひとりでもいるだろうか。」(19.35)


エフェソスのアルテミスと聞いて、キリスト教圏の人ならここを思い出すのだろうな。何だか、自分ひとりが何も知らずにいたような気分。

笑ってちゃいかんのか…

2018年04月18日 | 日記
自衛隊の三等空佐が国会議員を路上で罵倒したというニュースにはたまげましたわ。

本日付けの毎日新聞サイトから

「防衛省は17日、統合幕僚監部指揮通信システム部の30代の3等空佐が、民進党の小西洋之参院議員と16日夜に国会近くの路上で偶然遭遇した際に、「不適切な発言」を繰り返したと認めた。小西氏によると3佐は「お前は国民の敵だ」と繰り返し罵倒した。」

「小西氏と防衛省によると、3佐は16日午後9時前、帰宅後のランニング中に小西氏と出会った。3佐は「小西だな」と言った後、現職自衛官だと自分から明かして繰り返し罵倒。警備中の複数の警察官が集まった後も「気持ちが悪い」などとののしり続けた。」

…という話。「小西氏は国会で自衛隊イラク日報問題などを取り上げ、小野寺氏の管理責任などを追及している」そうだが、「国民の敵」というのは、昨日の産経新聞1面のようなことを念頭に置いているのかしらん。

こちらをどうぞ → https://www.sankei.com/politics/news/180416/plt1804160033-n1.html


それにしても、「気持ちが悪い」って(笑)。「まじウザいし」「まじキモイし」みたいなレベルだな。三等空佐、つまり佐官といえば結構な地位なのに、この語彙の貧しさは何なんだ(笑)。語彙が貧しいからこそ「直接行動」をせずにはいられなかったのかね。

今回の空佐は30代だそうだが、この世代はゲームで育ち、その親世代はマンガとテレビで育ったんですよね。そう思うと、これからの日本、こんな「ボキャ貧事件」ばかりが起きそうな気がする。ほほ。

どういう夢なんだか

2018年04月16日 | 日記
夢でよく見る家がある。

どこかある町の小さい一軒家で、町のようすも夢の中にちらちら出てくる。居心地がよいところだ。この家は、町の中心から少々離れたところにある。たしかに私の家で、こここそ私の住むべきところだ。

どういうものか、戸口の前までしか夢に見ないことが多い。中に入ったことがなくはないと思うが、あまり覚えていない。私の家なんだがな。


また別に、夢によく見る住居がある。こちらはアパートの一室で、以前契約した部屋である。今はここに住んでいないし、以前にも住んでいたかどうか、どうも覚えがない。ともかく、この部屋の契約は切れていないはずなのである。ときどき夢でこの部屋に行き、そうだこの部屋のことを忘れていた、まだ契約してあるはずだ、と少しどきりとする。

この部屋は、室内を見た覚えが一度もない。私の部屋なんだがな。

NHKに感謝

2018年04月12日 | 日記
NHKラジオの「古典講読」で御伽草子が取り上げられていたので、つまみ食い的に聞いた。「烏鷺合戦」とか「ささやき竹」とか、実におもしろかった。

私は「御伽草子」というのは、子どもの読むいわゆる「おとぎばなし」だと思い込んでいたが、とんだ間違いだった。「烏鷺合戦」は軍記物語のみごとなパロディ。「ささやき竹」は結末付近でスラップスティックコメディになり、黒い笑いのような要素も入ってくる。ともに、なんとも「現代的な」感覚がある。作者たちの文才はたいへんなものだと思う。

ああ、平安京の文化水準まことにおそるべし

知らぬは我々ばかりなり、か。

2018年04月11日 | 日記
ガリレイが「自然の書物は数学の言語で書かれている」と言ったことは周知のとおり。

最近アリストテレスの「形而上学」を眺めていたら、こんな文章があった。

「数学的な厳密さはすべての場合において要求さるべきではなく、ただ質料を持たぬものの場合においてのみ要求さるべきである。従って数学の方法 [様式] は自然学的なものでない。なぜならば恐らくすべての自然は質料を持つものだからである。さればまず第一に、自然とは何であるかを尋ねなければならぬ。けだしそれによってまた自然学 [物理学] が何に関するものであるかということも明らかとなるであろう。云々」(第二巻第三章より。岩崎勉訳)

ガリレイと同じ伝統に生きた人たちは、すぐにこの箇所を思い出したんでしょうな。

時計屋は「井戸時計店」ですか?ちがいますか?

2018年04月10日 | 日記
原田知世主演の「時をかける少女」を、今般初めて見ました。1983年、というより昭和58年の作品。

今見ると、半ば時代劇のようで驚いてしまった。この30年ばかりで世の中ずいぶん変わったんですねえ…。

新海監督の「君の名は。」は、この映画のラストシーンにインスパイアされているのでしょうかね。それから、特筆したいのは、原田知世が歌うエンドロールのおもしろさ。このアイディアは素晴らしい。


…一行目の、「昭和」が一度で変換されませんでした。「唱和」だって。かなりショック。