ぬるい!砂糖も多い!

おいしいコーヒーが飲みたい

ヤマト発進

2017年11月19日 | 日記
西暦20××年、遊星爆弾による熱核攻撃が人類を恐怖のどん底に突き落としていた。宇宙の安全保障バランスを大きく乱すガミラス!今こそ目を覚まして戦うときだ。

ヤマトが発進した。

冥王星に乗り込んだヤマトは、敵のミサイル発射場と核施設を破壊、人類は遊星爆弾から救われた。次はガミラスの本拠をたたくのだ。デスラーを殺害して禍根を断つ。作戦名「斬首」。

ガミラス星の硫酸の海に潜り、乾坤一擲の戦いを挑むヤマト。新元素アホニウムの核反応を利用した波動砲が炸裂する。ガミラスの滅亡だ!!

ヤマトはついにイスカンダル星に到着した。女王スターシアからコスモクリーナーを受け取る古代進。これで放射能は怖くないぞ。反原発派のやつらめ、ぎゃふんと言わせてやる。あいつらガミラスより面倒だった。そのとき、スターシアが言う。「あなた方の星の人を、保護しています。」それは、横〇〇〇みさんであった。

ついでに言うと、〇〇みさん以外の地球人が何人も、ガミラス星の招待所にいたのだが、ヤマトが軍事オプションをとったためにガミラス滅亡の巻き添えになったという。

スカートを履いた中尉さんとかいう映画があったがあれは女の人

2017年11月18日 | 日記
女の人は服装や髪形の選択肢が多くて楽しそうだ、男はそうはいかないと思っていたが、別に男がスカートを履いたってちっともかまわないわけだ。

問題は、そう思ってもスカートは女用しか売っていないことだ。女装ではなしにスカートを履きたい男だっているだろうから、生地や形が男の体に合い、色や柄が男の趣味に合うようなスカートを作って売りだしたらどうだろう。夏なんか売れると思うがな。「クールビズ」とタイアップしたらどうかしらん。イメージアップのため、有名人がスカートを履いているところをマスコミに流したい。「○○にスカートを履かせろ」を合言葉に関係者たちは奮闘した、とか未来の「プロジェクトX」で取り上げられるであろう。

藤岡弘、とかどうかね。かっこよく着こなしてくれるのでは。

狂人日記

2017年11月17日 | 日記
バッハの「小フーガト短調」こそ、知る限り最高の音楽だと思います。人類は音楽という手段でここまでのことができるのかと、ほとんど呆然としてしまう。

じっと聴いていると、楽曲の向こうに異界があって、異次元人がこちらを覗いているような気がしますね。数日前にはついに目が合いました。さらに昨夜はこちらを手招きしているのが分かりました。なにしろ異次元人ですから、目が合うとか手招きとか言っても、こちらの世界で言えばそういうこと、という話ですが。とにかく呼んでいるので、ついて行きましたよ。

光る大きなものに乗って暗い空を上って行きました。周りには同じような光る大きなものがたくさんあって、それぞれにだれかがいる、あるいはそれぞれが「だれか」そのものです。私を連れに来たひとの説明では、この光る大きなものは、私がさっきまでいた世界では、夜空の星だと思われているそうです。

「上って行く」と言いましたが、移動のしかたも、ここでは地上とは違います。周りの空間が、花のように「開いて」いくのです。それを「見て」いるのが「動く」ことです。今しも、大きな蓮の花が開き切りました。花の上に慈悲がいます。慈悲をたたえただれか、とかではなく、「慈悲」そのものが「いる」のです。私はすっかり安心しました。慈悲も安心も、ここには「それ自体」があります。そちらの世界にあるのは、粗悪なコピーですね。

ここからそちらのみなさんがどう見えるか・・・気をわるくなさるかもしれませんが、こちらからはみなさんが、塩の柱に見えます。

HEY JUDE, LET IT BE YESTERDAY.

2017年11月16日 | 日記


 これはリヴァプール出身の4人組、ジョージ、ジェフ、エイブ、テディ。新しい音楽で名を上げ、若者に絶大な人気を博した一方、保守的な大人たちの強い反発を買った。そこで彼らは新天地を求めて大西洋を渡った。

 新大陸の先住民が大好きな、ガラス玉やらなにやらの雑貨をどっさり持っていって、手始めに河口の島を買い取った。そこを拠点に、かれらの新しい音楽をジャカスカやりだしたが、これまた先住民の大人たちから反発を買ってしまった。ついにナバホ族の魔法使いポカホンタスが、4人を岩山に封じ込めてしまったというわけだ。

 この話には続きがある。

 200年ほどたったとき、この大陸でははるかアジアに生まれた仏教に強い関心が集まっていた。けれど、原典を直接知るものがいなかった。そこで一人の高僧が、インドを目指して旅立ったのだ。地球は丸いという。西へ西へと向かえば、必ずインドへ着く。彼が旅の途中、この岩山に来ると、ポカホンタスの魔法が解け、4人はこの僧のお供になった(ひとりは馬になった)。

 ひと気の少ない西部を一行は進む。かつては先住民が大勢住んでいたのだが、若者たちが、4人組のもちこんだ雑貨と音楽に囲まれて独身生活を楽しむようになって、少子化が行き着くところまで行ってしまったのである。いまや物の怪と化したお気に入り雑貨と音楽たち。こいつらと死闘を繰り広げながら、一行の天竺への旅は続くのである。

『ビジュアル大世界史』

2017年11月15日 | 日記
日経ナショナルジオグラフィック社の『ビジュアル大世界史』は、西洋史が主体の、西洋人からの「世界史」ですが、まあそれはそれとして読みやすいし写真が多いので楽しい。

こいつを読みながら思ったのですが、ヨーロッパ中世の、タペストリーとに描かれた図柄って、なんだか一昔前のゲームの「ドット絵」みたいで独特の味がありますね。絵の質感だけじゃなくて、構図なども。

これが次の時代の絵画になると急に「リアル」になって、ああ、ものの見方が変わったのだな、人々の「世界」そのものが変わったのだなと、よく実感できる。活字だけ追いかけていては分からない。

「ことば」で残るものと、「ビジュアル」で残るものとを総合しないと、一つの時代とか文化とかは理解できないのだろう、とまあ、だれでも知っていることなんでしょうが。これ、例えばインド文化の研究なんかでも、「思想史」と「美術史」と別々にやってちゃいかんのでしょうなあ・・・。

大伴昌司から

2017年11月14日 | 日記
大伴昌司が手掛けた、少年マガジンのグラビアの仕事がいかに斬新だったか、いかに大きな影響をその後に与えたかがよく語られる。以前、東京都内の弥生美術館というところで大伴昌司の特集展示があって出かけてみたが、なるほどたいした才能だと舌を巻く思いがした。

ただ、「すべては大伴から」でもなさそうだ。大伴展の前だったか後だった忘れてしまったが、これも東京都内の、たしか逓信博物館かどこかで小松崎茂展があり、そこに出ていた戦前の少年雑誌の「グラビア」的なページが、『少年マガジン』流の「見せ方」を先取りしているように思えたのである。戦前の雑誌文化おそるべし。

さらにさかのぼれば、情報を「見せる」手法の革新、洗練は、江戸時代に起きていたのではあるまいか。江戸期の「観光ガイド」的な資料、とくに一枚ものには現代の作品とかわらないセンスがあると思う。

「見せ方」の革命が江戸時代のどこかで起きて、われわれは「それ以後」の「世界」のなかにいる・・・のではなかろうか。

竜馬がゆく

2017年11月13日 | 日記
われらは生まれた藩にたよることなどできん身の上じゃ.自分自身でしっかり立たにゃならん.しっかり立つんじゃ.今より,亀あたま社中を海綿隊と改める.

かくして竜馬は配下の荒くれどもと海綿隊を結成して,乱世に乗り出した.

一方,薩摩の芋侍,西郷・小松たち.父ちゃんこのイモなんのイモ,いいかよく聞けこのイモは,などと江戸上方の子供らに馬鹿にされていたが,革命のために竜馬たち海綿隊を利用することになった.討幕のための資金や物資のことを,公儀をはばかって「血液」とかれらは称した.合言葉は「海綿隊に血液を」だ.

いよいよ充血しきった海綿隊は,馬関海峡で幕府軍と対戦だ.砲撃じゃ,砲撃じゃ.撃ちまくるのじゃ.わしら,勤皇言うとけば,都でうまい酒を呑んだり,ええ女を抱いたりもできるんじゃ.国許じゃ考えられんかったのお.うひひひ.


まあ,明治維新なんてこんなもんですわな.

アジア情勢

2017年11月11日 | 日記
しばらく前ある雑誌に佐藤優が、中国は内陸の情勢がたいへんなのだから、海洋進出などと言っている場合ではないと書いていた。内陸情勢とはもちろん、「新疆ウイグル自治区」のイスラム教徒による、独立、反北京の動きの過激化を指すのだが、じつは「内陸」以外の方面もかかわっているのである。ことがあまりに重大なので、さしもの佐藤氏も、そちらの件はまだ表向きにするのをはばかったようだ。

その重大な事態とは、北朝鮮のイスラム化である。

北朝鮮は以前から、核技術の導入を通じて、パキスタンと親密であった。この筋から朝鮮労働党のイスラム化が始まったらしい。現在、党内では「主体(チュチェ)思想は六信五行への入口だった」という論文が回覧されているという(六信五行とは、周知のように、イスラム教徒のもっともたいせつな規範)。

近々、東で朝鮮イスラム人民共和国の樹立が、西でウイグル人による東トルキスタン国家の樹立が同時に宣言される。その際、東トルキスタンを援護するために、北朝鮮の核ミサイルの照準は北京に向けられることになっているという。

なるほど、中国は海洋進出どころではない。

いろいろ応用可

2017年11月10日 | 日記
なんともやりきれないような凶悪事件がしょっちゅう起きて、もうかんべんしてほしいところです。

このごろはマヒしてしまった人も多いのか、あまり聞かないようですが、よく「以前はこんなひどい事件はなかった。あったとしても、まれだった」などと言う人がいたように思います。

そのこと自体はおそらく正しいのでしょうが、思うに、以前は残酷なことや暴力が、社会全体にうすくひろく、まんべんなく存在していた。今はその点、日常生活は、いわばとても清潔になりました。ここにおいて、今も昔も、社会における暴力なり残虐なりの総量は変わらないという仮説が立てられるのではないか。

いわば暴力量保存の法則です。