砂漠のレインメーカー

夕暮れの 陰の廃墟に 病みを視る
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価値なき日本の保守主義

2011-07-02 03:27:57 | 人文・社会思想

最近、ブログアップが滞っている。で、これはずいぶん以前に下書きしていたエントリ。下書きでもほぼ論旨や言いたいことはそろっているので、アップしておく。
ただ、いい加減な内容だとは思わない。
日本国の現代、および戦後民主主義の実情、および保守政治の実情に関する雑感かつ鋭利な問題意識だと思っている。

【本論】

いまアメリカ共和制に関する本を読んでいる。
いわゆる、アメリカの良心的保守主義側からの本。
共感できる部分、反駁したい部分いろいろある。
ただ、本エントリの主題ではない。

別の部分に感じたのは、日本の保守勢力、保守心情に対してである。

日本の保守心情には、「価値」というものがない。

本当に価値がないという意味ではない。意味がないということではない。
社会科学でいう、価値判断というのがない。
これこれ、こういう理由で、保守ですという価値判断がない。
じつは論争が出来ない。
空虚な内実に支えられているのではないか。

価値判断があれば、論争でき、少しづつでも物事が進むのではないか。

恩師は、スターリニズムの経験から、左翼およびマルクス主義者は自由主義者と対話するべきであると論じている。
もっともな、意見だと思う。
自由主義者は自由でありたいと望む。左翼・マルクス主義も自由でありたいと望む。
左翼側からは、自由主義者に「その政策で本当に自由が可能なのか、あなたや皆が一番重要だと思う自由や人間生活の根幹部分が自由主義政策で掘り崩されないか」と論争することが出来る。
同時に、自由主義側からの「その政策は、左翼独裁主義につながるのでは」や「大きな革命を指向すると、政策の逆機能問題をチェックできないのでは(修正主義からの発想)」という論争ができる。

しかし、日本の保守・自由主義にこの論争を期待できるのだろうか。
独特の空虚さから、彼らの保守心情(思想とは言わない)が生じているのではないか。
世間という、鵺のようなファシズム

PS
保守主義者に全面的に責任を押し付けているだけかもしれない。
僕が思考停止におちいり、ただ単に絶望しているだけか。



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