砂漠のレインメーカー

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大阪市長選 白票か平松か ―橋下か平松しか選択しえないという希望なき絶望―

2011-11-12 16:48:52 | 人文・社会思想

TPP問題とともに注目されている問題として、大阪市長選および大阪府知事選のダブル選挙がある。

そのなかで現職の平松市長の手記が文藝春秋11月号に掲載され、この全文が大阪市長公式HPに掲載されている。
現大阪府知事の橋下氏の独裁的・独善的手法を批判するものなので紹介しておく。
「大阪は独裁・橋下知事に屈しない」

平松氏は、橋下府知事の人権や民主主義、そして公共性を無視しした独善的手法を批判している。
と同時に、その経済効率主義的な発想に対して苦言を呈している。
この面について、僕は非常に共感をもって読ませて頂いた。

しかし僕は平松市長の政治性も、評価していない。
この極論的表現に注意してほしい。これは、あえてこれから取り上げる問題に焦点をあてたいからである。

平松氏は、橋下氏を拝金主義的かつ経済効率主義的で弱者を切り捨てていると批判している。
しかし、平松氏自身が極めて重大な「弱者切り捨て政策」を公的に発表しているのだ。

平松市長ふむめた大阪市は、生活保護に関する重要な改革提言(僕の視点では改悪提言)をしている。
それは生活保護受給期間を「数年に限定し、その後は打ち切りとする」、「受給資格に就労義務をかし、それが守られなければ生活保護の支給を停止する」という内容である。

平松氏のこの生活保護改革構想も、極めて重大な「弱者切り捨て政策」ではないか。
これは憲法25条の規定に、真っ向から敵対する構想というほかない。
貧困を解消する政策ではなく、貧困を犯罪化させる政策である。

僕がこの提言から想起するのは、かつてNHKで放送された湯浅誠氏と内橋克人氏の対談だ。
このなかで湯浅氏は、「今の日本の風潮や政策思想は、貧困が犯罪の温床となると言うことではなく、貧困を犯罪化するのではないか」という趣旨のことを述べられていた。
どういうことかというと、アメリカではすでに日本の生活保護に類する福祉制度において、まさに受給資格に就労義務を課す規定があるからである。
この対談の中で内橋克人氏は、イギリスのワークハウスの歴史を述べておられた。
これは産業革命・資本主義革命がおこったイギリスで、「救貧政策」と称し、失業した浮浪者等をワークハウスに強制的に住まわせ労働させたという政策である。実質的な浮浪者の強制労働といっていい。
貧困が、犯罪化された歴史が実際に存在していたのである。

平松提言は、その歴史を繰り返す様な提言がなのだ。
(橋下府知事からは、そのような提言は聞かれていない。だからといって、僕が大阪市民だとしても橋下氏に投票する気はないが)

現在、日本の生活保護受給者の捕捉率(つまり生活保護を受ける資格、あるいは情況にある人がどれだけ生活保護を受けているか)の公式的な調査は行われていない。
しかし、研究者の調査によると15~20%程度と言われている(湯浅誠『反貧困』岩波書店 2008年 p28参照)

また社会哲学者・文化社会学者で、横浜市立大学教授の中西新太郎氏は自著の中でこのような事を述べられている。

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米国の典型的な政策言語の一つに、welfare motherがあります。文字通りの意味は「福祉を受給している母親」ですが、「自分で働けるのに働こうとせずに福祉受給によって生活している母子家庭の母親」という表象がつきまとわされ、社会のお荷物だという屈辱感をあたえます。アフリカン・アメリカンの人たちが非常に多いことを想定しながら、その人たちが権利を要求しにくくなるような言葉として遣われている。「ニート」という言葉によく似ています。
(中西新太郎『〈生きにくさ〉の根はどこにあるのか』前夜セミナーBOOK p100-101)
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※この著作は残念ながら現在極めて入手困難である。しかし公共図書館に所蔵がある場合がある。ぜひ皆さんに読んで頂きたい著作である。また、中西氏の同種の著作として『若者たちに何が起こっているのか』花伝社2004年がある。こちらも推薦させて頂く。

生活保護に関する平松提言は、憲法第25条に真っ向から対立し、「貧困の犯罪化」かつ「権利要求の抑圧」をより推進する政策提言である。

僕たちは、現在の大阪市長選において平松氏か橋下氏かという現実的選択肢が無いことに、むしろ絶望すべきではないか。



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