砂漠のレインメーカー

夕暮れの 陰の廃墟に 病みを視る
宿す闇こそ 塩の道なり

喪に服すと言うこと ―『3月11日、みんなで走ろう。日本を一周。32,000km。』について―

2012-03-01 02:52:37 | 人文・社会思想

「何なんだ、これは…」
スポーツメーカー某N社のインターネット広告を見た時の広告を見たときにでた言葉。

結論を先に言うと、僕は2011年3月11日の震災以降、被災地や人間の絶望に静かに寄り添うことが第一に求められていると考えている。
そして、そこで深く考え、言葉を紡ぎ出すこと。

それに対して、この言葉。
『3月11日、みんなで走ろう。日本を一周。32,000km。』RUN TOGETHER

この企画は、このN社のサービスに登録して3月11日に1kmあたり走ると500円が震災の被災地に寄付されるという企画らしい。

それは善意で発案された企画なんだろうけれど。善意ででた言葉なんだろう。
(資本主義的な広告言語であるけれど。同時に、ここからマーケットを獲得、拡大しようと言うシステム的力学も感じるけれど)
もうすぐやって来る、3月11日とは「祝祭」の日なんだろうか。

僕は、この広告と企画したN社、および担当者、そして広告代理店の言語的感覚を、言語的神経を疑う。
311とは祝祭なのか。

繰り返しになるけれど、絶望に静かに寄り添い、深く沈黙し思考し、言葉を紡ぎ出すこと。
それが求められていると、僕の身体と精神はそう振動している。

誤解のないように言うと、それは311以降、「笑うな」とか「楽しむな」とか「人生を謳歌するな」とかそういうことではない。
いや僕は「人生を謳歌すること」、それは人間の責任であるとすら感じている。

知人が若くして自死した出来事を、酒の席で何気なく言うと、そこに同席した人にこう言われた。
「それはおかしいよ。人間は、面白おかしく生きなきゃいけないんだよ」と。
この言葉を、僕は深く肯定する。

しかし
『3月11日、みんなで走ろう。日本を一周。32,000km。』RUN TOGETHER

別に怒りはしていない。この言葉の前に、善意の前に怒りは無意味だ。

ただ、
「何なんだろう、この陰影なき、光だけの言葉は」
と驚きと疑問を禁じえないのだ。

【追記】
このエントリあげた後、サクサクとネットをチェックしたけど。
僕のような疑問を感じると言う感想は、見つけられなかったな…
確実に浮いてるわ、僕の感覚。

【追記2】
どうやらこの企画、昨年からの延長の企画らしい。
http://news.goo.ne.jp/article/internetcom/business/internetcom-20110329018.html

でもなぁ。この間、何の疑問の声も上がらなかったのか?
しかも、今回のダイレクトの企画は、よりにも寄って3月11日当日だよ?
みなさん、どう思いますか?



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