居心地

相棒のワンコとの暮らしの風景
他愛ない日常のあれやこれ

思うところ

2021年09月19日 | つらつら
自分で言うのもなんだが
子供の頃は
所謂「良い子」だった。
 
 
おっちょこちょいでは
あったが
親の言う事に逆らった事は無い。
 
先生の言う事も
まるっと聞いていた。
 
親や先生にとって
「都合の良い子」である。
 
 
家庭内の、
人様には言えないような事も
母の愚痴や困り事も
ぶつけられた言葉は
全て聞いた。
 
一度、母に言った事がある
「お母さんの話は私が聞くけど
私は誰に言えば良いの?」
すると母は困った顔になる。
 
まだ、子どもだったから
自分が出来る事と
出来ない事を
分けて考えられず
全て自分が何とか
しなければと思い込んでいた。
 
そして
そんな疑問を母にぶつけても
困らせるだけで
解決はしないのだと
口には出さなくなった。
 
 
だからなのか
赤毛のアンではないけれど
創造力は逞しかった。
逞し過ぎて
起こった事と
起こって欲しい事が
ない交ぜになった事もある。
 
 
 
 
本当にそう?
自分の頭で立ち止まって
考えるようになったのは
随分歳を重ね、いい大人になってから。
 
 
昨今の状況下
その機会は更に増えた。
 
 
そんな中
「群衆心理」の解説をしていた
武田砂鉄と言うライターを知る。
 
その言葉の質の様なモノが
気になり
著書を何冊か読んでみた。
 
すると、心に引っかかっていた事柄が
斜めに切るように
スルスルと書かれている。
 
良いとか悪いとか
同調するとかしないとか
そう言う事ではなく
ははぁ〜ん、
自分の引っ掛かりは
これだったかもと妙に頷く。
 
自分が抱いた違和感の正体が
垣間見えた気がしたのだ。
 
 
鵜呑みにした結果と
たとえ同じになろうとも
一度は脳を通したいと
少しは考えるようになったのだ。
 
 
今更、誰かに好かれようとか
嫌われたくないとか
そんな打算はもう必要ない。
 
 
さてさて
午後の読書のお供はどっちにしよかなぁ
 
 
 
 
 
本日もご訪問ありがとうございました
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コメント (6)
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