居心地

相棒のワンコとの暮らしの風景
他愛ない日常のあれやこれ

母の日記

2019年03月17日 | 母との45日間

来る10連休

どこか東北のお城へ行きたいねと言い出したのは

最近お寺や神社と共に

お城にも興味を持っている姫1。

 

確か生前父が残したお城の写真集があったはず。

 

ここじゃないかと

押し入れ奥のアタッシュケースを引っ張り出す。

暗証番号は両親の誕生日のはず

で、ビンゴ!

 

すると

中から出て来たのはびっしりの大学ノート

うん?これは?

 

そうだ!母の遺品を整理した際

良く見もせずに詰め込んだ母の雑記帳。

晩年 俳句を作っていたので

時間ができたらゆっくり読もうと思っていたのだ。

 

確かに俳句のノートでもある

が、それだけではなかった。

 

お母さん、読んじゃって良い?

ほんの少しだけ躊躇って目を通す。

 

たまたま手にしたのは

私と同じ年齢に書かれていた日記。

姫1が丁度今のツグミんと同じ頃。

膝に抱いた姫1を

...マシュマロの様な柔らかさ...と

 

 

パラパラとめくって行く

私が知らない母もそこにはあった。

 

 

お母さん、こんなにマメに日記付ける人だったの?

折しもその日は母の誕生日。

 

 

少しずつ ゆっくり母に出会う旅をしてみよう

 

 

で、肝心の父の残した城の写真集は

全く別の所から出てきましたとさ

 

 

本日もご訪問ありがとうございました

 

 

 

 

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1106

2018年11月06日 | 母との45日間
13年前のふるさとは
引き締まる様な冷たい風が
吹いていた。
いつも鼠色の空の街

夜半から
まるでマラソンでも走り終えたように
呼吸が深くなる

聴こえてると信じ
好きだった 埴生の宿を
耳元で口ずさむ


最期まで夢見る夢子ちゃんだった母
まるで子鹿のように
興味のあるものを見つけては
目をクルクルさせていた。

六十の手習いで始めた水泳
私 イルカだったのかも と
真面目な顔で言うものだから
みんな大笑いした。

独りになってからの7年が
一番貴女らしい時間だったのかな




いつもいつも 私の心に
お母さん 貴女がいます。



命日によせて‥
娘より

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母のフェイラー

2017年05月19日 | 母との45日間
母は大のフェイラー好きと思われる節もあるかと思うが
決してそうではない。
フェイラーと言う名前すら知らなかったのだ。

それがホスピスでの入院中に
「タオル地で花柄のポーチを持っている人を見かけるんだけどアレ素敵よね」

フェイラーの事?
「何だか知らないけどああ言うの好きなの」

その頃母の看病のため
東京と故郷を一週ごとに行ったり来たりしていたので
翌週の付き添いの日に
フェイラーの巾着ポーチをプレゼントした

銀座で買ってきたよ!
と言うと
「あ〜これだわ薬入れて持って歩くのに丁度良いよ」
「そうなの、銀座で買ってくれたの‥」

別に銀座でなくたって買えるだろう。
でも、もう東京へ来る事はないだろう母を
喜ばせたくて出た言葉だった。
 
こんな事が嬉しいのかと
看病で帰省する度にフェイラーの小物を持参したのだ。
 
 
 
ある日、母の病棟へ向かって廊下を歩いていると
看護師さんから声を掛けられた。
「東京のお嬢さんが銀座で買ってくれたと
お母様大喜びでしたよ
 
嬉しくて母がはしゃいでいるらしい
 
 
 
が、それからほどなく
母はその病室から出ることも出来なくなった。
 
 
 
こんなことなら もっと早くに好きなもので
喜ばせたのに...
お母さん ごめんね...
 
 
そんな私の気持ちを 当時高校生だった姫1は知っていたのだ。
 
母にあげた小物は訳あって私の手元には無い。
だからこの度のプレゼントは
母と一緒に頂いた気がして二重の嬉しさがこみ上げてきた。
 
 
お母さん、姫1も姫2も優しい娘に育ってくれたよ
 
 
 
 
 
本日もご訪問ありがとうございます
 
 
 
 
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生き様が決める。

2010年06月05日 | 母との45日間
母の様に死んで行くには

母の様に生きて行かねば。



末期癌の末、亡くなった母は理想の死に方だった。

母は最期まで生きている事を噛みしめていた。

それなりの生き方をしなければそのような逝き方は望めないのだと気付く。



死に様は生き様が決めるのだ。


~建設中のスカイツリーを眺めながら~




お立ち寄りありがとうございます
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終末への始まり

2009年09月13日 | 母との45日間
4年前の今日は

今は亡き母が一般病棟から緩和ケア病棟へ移った日である。

そして、この日から母と私の45日が始まったのだ。


膵臓癌が見つかった時点ですでにステージはⅣ

一般病棟では痛みを取る手立ては限られていて

母の苦しみも日に日に増してゆく。

母の苦しみを取り除くのが最優先。

妹と私はこの事だけは絶対に譲れない。


緩和ケアへ入るには

* 癌患者である事

* 余命半年以内である事

* 本人が了承している事

などがそこの病院での条件であった。

母の場合はどれもクリアをしていた。


移動の朝は良く晴れていた。

引っ越しさながらに大きな台車に母の荷物をまとめる

移動のベッドに揺られながら

長い長い廊下を渡って行く。

お世話になった看護師さんや先生が廊下の両脇で見送って下さった。

この廊下をもう母が戻ってくる事はない。

「先生、看護師さん、お世話になりましたね」

そんな事を知ってか知らずか母はお礼を言いながら進んでゆく

深々と頭を下げる先生と看護師さん達

インターンの先生は目が真っ赤だった。


この先にこんな廊下があったのかと思うほど先へ進んでゆくと

そこには聖なる場所へ続く扉が厳かに聳えている。

扉の向こうは別世界のコロニー。


母と私に用意された部屋は小さなキッチンに

畳のスペース付きの燦々と日が入る角部屋

バルコニーから直接お庭に出ることもできる。

花壇はボランティアさんが手入れをして下さっているので

季節のお花が風に揺られている。

大きなお風呂や図書室、小さなバーも有り

付き添い家族も一緒に利用できる。


「ここが終の棲家になるんだね」と呟く母。

お家からタンスを持ち込む方もあると言う。


担当の先生や看護師さんや栄養士さん

カウンセラーの先生や付添婦さん、総勢6人もの方が集まって下さった。


「痛みはすぐに取れますよ。体が楽になったら

どんどんやりたい事が浮かびますからね」

そんな夢のようなお話が翌朝には本当になっていた。


「とっても体が楽なの!もう私治っちゃったかな?」

そんな事あるはずないがこの一時だけはそう思いたかった。


母はこの部屋で終末に向けてのスタートを

静かに切ったのだった。



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ハロウィンの想い出

2008年10月31日 | 母との45日間
.............................

このブログを始めて一年余りが過ぎたが

実は4年前にも一度ブログを始めてみようと考えた事がある。

それは母が末期癌だと分かった時...

その頃の私は今よりもっともっとパソコン音痴で

そこまでの勇気をとうとう持てないまま通り過ぎてしまった。

自分のブログを持った今

ホスピスで終末医療を受けた母との45日間の偲い出を

ポツポツと綴り残しておこうと思い新しいカテゴリーを作ってみた。

..............................

9月下旬

母の病室から大きな大きなオレンジの南瓜が見える。

ハロウィンに顔をくり抜きみんなでパーティーをするのだと言う

「ハロウィンて何?」素朴な母の疑問

昭和一桁世代には馴染みの薄い行事である。

ここホスピスでは様々な催しが組み込まれている。

ハロウィン自体を良く知らない母も

南瓜の成長とハロウィンとやらを心待ちにするようになった。


いよいよ当日、車椅子も含めて動ける方達は

ホールに待つ大きなオバケ南瓜の下へ集まる

南瓜のおやつを食べながら楽しいパーティーの談笑が

母の部屋へも聞こえてくる

「お母さん、あの南瓜が大きなオバケの様に顔をくり抜いて飾られてるよ」

「あら、そうなの?どんな風になってるのか見たいわね」


その頃はもうベットで起きあがる事もままならなくなっていた母に

なんとか南瓜を見せたいとホールで写真を撮っていると

看護師さん達が「お部屋へ運んじゃいましょう♪」と

台車に乗せて母の部屋まで運んでくれた。


ちょっとウトウトしていた母に

「お母さん、ハロウィンのおばけ南瓜だよ」と声を掛ける

母は目の前の大きなオレンジのオバケにビックリ!

大きな南瓜をなでてなでて「こんなに大きくなったんだぁ」

「ありがとう、ありがとう...良いモノ見たよ」と

何度も看護師さん達にお礼を言う


みんな笑った...笑って笑って...みんなの顔が滲んで見えなくなった






コメント (8)
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