昨日の記事だと
母は大のフェイラー好きと思われる節もあるかと思うが
決してそうではない。
フェイラーと言う名前すら知らなかったのだ。
それがホスピスでの入院中に
「タオル地で花柄のポーチを持っている人を見かけるんだけどアレ素敵よね」
それがホスピスでの入院中に
「タオル地で花柄のポーチを持っている人を見かけるんだけどアレ素敵よね」
フェイラーの事?
「何だか知らないけどああ言うの好きなの」
その頃母の看病のため
東京と故郷を一週ごとに行ったり来たりしていたので
翌週の付き添いの日に
フェイラーの巾着ポーチをプレゼントした

銀座で買ってきたよ!
と言うと
「あ〜これだわ

「そうなの、銀座で買ってくれたの‥」
別に銀座でなくたって買えるだろう。
でも、もう東京へ来る事はないだろう母を
喜ばせたくて出た言葉だった。
こんな事が嬉しいのかと
看病で帰省する度にフェイラーの小物を持参したのだ。
ある日、母の病棟へ向かって廊下を歩いていると
看護師さんから声を掛けられた。
「東京のお嬢さんが銀座で買ってくれたと
お母様大喜びでしたよ
」

嬉しくて母がはしゃいでいるらしい

が、それからほどなく
母はその病室から出ることも出来なくなった。
こんなことなら もっと早くに好きなもので
喜ばせたのに...
お母さん ごめんね...
そんな私の気持ちを 当時高校生だった姫1は知っていたのだ。
母にあげた小物は訳あって私の手元には無い。
だからこの度のプレゼントは
母と一緒に頂いた気がして二重の嬉しさがこみ上げてきた。
お母さん、姫1も姫2も優しい娘に育ってくれたよ


