
松山空港から車を走らせてやってきたのは内子町。
江戸時代の末期から櫨(はぜ)製品の商業で栄えた町で特に木蝋は代表的な工業製品だそうです。
平日(3月8日の金曜日)のせいか、人通りはほとんどありません。
木蝋資料館もあります、ここには入りませんでしたが。
白い漆喰の壁が並ぶ、明治時代の町並みが残っています。
各家とも、通りに面したところには縁側があり、わしらの世代でも古き昭和を思い出します。
商いと暮らしの博物館、入ってみますか。
こちらが見取り図。
こんな感じで、当時の商家の様子が人形で再現されています。
こちらは薬屋さんのようです。
おかあさん人形をみてはしゃぐteruterubouzさま。
升田幸三先生に似てらっしゃる人形もありますね、新手一生。
こちらはジュビロにいたゴン中山に似ています。
地元出身の偉い方。
観光地でこういう説明を読むたび、歴史の勉強をもっとしとけば良かったと若いころの怠惰が悔やまれます。
この資料館に入る前、土産物屋の御主人と、どこから来なさった横浜です、と話していたら、神奈川大学の創始者が内子町の出身者だ、という話を聞かせてくれました。浜田省吾もびっくり。
二階には見事な書の屏風が。
もっと書を学んでおけば良かったと若い頃の怠惰が悔やまれますが、まあ、今からでも知識を得るに遅くはないので、いろいろと勉強せねば。
懐かしのスキー毛糸、昭和の町並みも残っていますよ。
酢卵が名物のようです。酢卵ってマヨネーズと違うんか?と一人ツッコミ入れてました。
内子座は大正天皇の即位を祝って建造された芝居小屋。
改築をして、今でも現役で能や落語などが演じられているそうです。
桟敷席です、初めて実物を見た。
奈落もありますよ。
奈落の底はこんな感じ。落ちたくないものです。
2階席からの眺め。
内子は歴史の重みを感じる、素朴で長閑な町でした。
teruterubouzさまは、お土産に木蝋の飾り蝋燭を買っていましたよ。
私は記念に酢卵をいただこうかとも考えましたが、どうも気乗りせずにパス。
散策を終え、内子から松山へと戻ります。
これは松山道の伊予灘SAから見渡す松山市街。
[内子町]
愛媛県喜多郡内子町
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