私は死にました。
長い暗闇をジャスミンの匂いに誘われて導かれるまま、けれども歩みを止めたら真っ黒いわたあめのような暗闇に巻かれ自分の足の存在さえ分からなくなる気がして。だから、足を止めないのはきっと自分の意思。私はそこに行きたいのだと思う。
「清正……さん……」
辿りついたそこは、私の臨終一分前だった。
ジャスミンの香る真白な病室に白いカーテンがはためき、もう医者の姿も見えない。隣でパイプ椅子に座り涙を流しているのは夫の清正さん。死相で真っ青になっている私を見て、涙を堪え切れなかったのかもしれない。
「なんだい、茉莉?」
平静を装っているのに、声が震えているのはなんだか清正さんらしくない。私の知っている彼は涙なんか人前で見せるような弱い人じゃなかった。弱いというより、素直じゃなかった清正さんは。
「……私に……あなたの言葉を下さい……一言でいいの……お願い」
私はここで記憶を失った。もうちょっと生きていられれば、彼の言葉を聞けたかもしれないのに残念だ。
でも、彼は気を失った私に動転して何も言ってくれなかったのだろう。素直じゃない清正さんはきっとそうだ。
「茉莉……? ――ま、茉莉ッ。茉莉茉莉……」
垂れた細いニンジンのような腕を必死に握り返す清正さんは、嗚咽しながら泣いた。結局、私の確実な死を医者から宣告されていた彼はただ泣くことしかできなかったのかもしれない。
私は清正さんに背を向けた。ここにいても私にかけてくれる彼の声は聞けないとわかったからだ。おそらく、私は彼が最後にかけてくれたであろうその一言が聞きたかったのだ。
暗闇がそこまで来ていた。
「な、なあ、茉莉。聴いているか? ――好きだ。俺は、俺はずっとお前が好きだ。お前が動かなくなったって構わない。好きなんだ。だから、最後のお願いだ」
私は振り返る。嗚咽を堪えた彼の真っ赤な目は私を見ていた。
「一生、これから先の一生、お前を好きでいさせてくれ。――茉莉、愛しているよ」
涙が頬に流れた。そして、暗闇に吸い込まれる。私は暗闇に溶けようとしていた。
最後の本当に最後の力を振り絞る。腕を伸ばして清正さんの頭にしがみつき、すうっと唇を寄せて、彼の前髪を掻き分けて口づけを、
「私も愛しているわ、清正さ――」
暗闇の中で最後に見た彼は、ジャスミンが香るその白い部屋で悲しげな笑顔を浮かべて「愛してる」と、そう唇を語らせてくれた。
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最近、サークルに顔を出さず申し訳ないです。
怪我をしてしまって当分は行けないかと。
何も得なかった出来事でしたが、人間は飛べないということは理解できました。
それでは。
長い暗闇をジャスミンの匂いに誘われて導かれるまま、けれども歩みを止めたら真っ黒いわたあめのような暗闇に巻かれ自分の足の存在さえ分からなくなる気がして。だから、足を止めないのはきっと自分の意思。私はそこに行きたいのだと思う。
「清正……さん……」
辿りついたそこは、私の臨終一分前だった。
ジャスミンの香る真白な病室に白いカーテンがはためき、もう医者の姿も見えない。隣でパイプ椅子に座り涙を流しているのは夫の清正さん。死相で真っ青になっている私を見て、涙を堪え切れなかったのかもしれない。
「なんだい、茉莉?」
平静を装っているのに、声が震えているのはなんだか清正さんらしくない。私の知っている彼は涙なんか人前で見せるような弱い人じゃなかった。弱いというより、素直じゃなかった清正さんは。
「……私に……あなたの言葉を下さい……一言でいいの……お願い」
私はここで記憶を失った。もうちょっと生きていられれば、彼の言葉を聞けたかもしれないのに残念だ。
でも、彼は気を失った私に動転して何も言ってくれなかったのだろう。素直じゃない清正さんはきっとそうだ。
「茉莉……? ――ま、茉莉ッ。茉莉茉莉……」
垂れた細いニンジンのような腕を必死に握り返す清正さんは、嗚咽しながら泣いた。結局、私の確実な死を医者から宣告されていた彼はただ泣くことしかできなかったのかもしれない。
私は清正さんに背を向けた。ここにいても私にかけてくれる彼の声は聞けないとわかったからだ。おそらく、私は彼が最後にかけてくれたであろうその一言が聞きたかったのだ。
暗闇がそこまで来ていた。
「な、なあ、茉莉。聴いているか? ――好きだ。俺は、俺はずっとお前が好きだ。お前が動かなくなったって構わない。好きなんだ。だから、最後のお願いだ」
私は振り返る。嗚咽を堪えた彼の真っ赤な目は私を見ていた。
「一生、これから先の一生、お前を好きでいさせてくれ。――茉莉、愛しているよ」
涙が頬に流れた。そして、暗闇に吸い込まれる。私は暗闇に溶けようとしていた。
最後の本当に最後の力を振り絞る。腕を伸ばして清正さんの頭にしがみつき、すうっと唇を寄せて、彼の前髪を掻き分けて口づけを、
「私も愛しているわ、清正さ――」
暗闇の中で最後に見た彼は、ジャスミンが香るその白い部屋で悲しげな笑顔を浮かべて「愛してる」と、そう唇を語らせてくれた。
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最近、サークルに顔を出さず申し訳ないです。
怪我をしてしまって当分は行けないかと。
何も得なかった出来事でしたが、人間は飛べないということは理解できました。
それでは。