――雨が桜を穿つ。それは、花を散らせる悪童のよう。夢幻の終わりを告げる、小鳥のさえずりか朝日のようだ。
「不思議な縁だな」
「宗次様と、わたしですか? そうですね」
湯佐は宗次のうなずきを見て、微笑んだ。婉曲したくちびるは、湯佐の元来の優しさを形どり、口端の震えは、人の弱さを示していた。近すぎて、壊してしまうことを知っている人の弱さである。湯佐は宗次と同じ時を過ごすことによって、少しづつ人になっていた。
元々、湯佐は人ではなかった。千曲川の紅孤という妖怪である。八ヶ岳より川を下る人間を取って喰らう、という化け物であった。それが今では、可憐に咲く百合の花のように、白い着物に身を窶した美女であった。
「それがしは、松代藩五代目藩主真田信安公の命により、水害の原因調査に参った屋田倉宗次という者である。そなたが、紅孤か?」
あっという間だった。一目見た瞬間、湯佐は自らが妖怪であることを忘れ、宗次は自分が妖怪退治に出張ったことを忘れていた。恋慕という、断ち切れぬ絆が、二人を縛ってしまったのだ。そして、二人は愛し合い、あっという間に一年が経ってしまった。
「それがしは、最初、あなたを討伐しようとしていた」
「ええ。知っていましたよ。水害の調査だなんて、見え透いた嘘ですもの。ただでさえ、宗次様は嘘がお下手なのに」
童女のように、からからと笑う湯佐を見て、宗次は胸が痛んだ。顔には出さないように、取り繕った笑顔を嵌めていたが、さすがに湯佐の眼は誤魔化せなかった。
「なにか隠しごとですか?」
「……いや。なんでもない」
「なんでも言ってくださいまし、わたしは宗次様のためになら、なんだってできます」
「……うん。あのな。実は、先日、久々に親元に帰省した折、縁談が持ち上がっていたのだ。若年寄竹丸様の御推挙で、家名にかかわるゆえ、こちらからは断れぬので、困っている。まぁ、きっと、それがしをこれ以上、あなたに近づかせないようにする画策だろうが……」
「……それは……それは良いことではございませんか」
「いいや、良くない! それがしは、俺はあなたと、湯佐とずっと一緒にいたいのだ」
毅然と言い放った宗次をよそに、湯佐はその実直な目から逃れた。顔をそむけて、面白味のない砂利を数えるように見つめている。何かを思案し、同時に決意しているようでもあった。
「湯佐?」
「宗次様。御提案がございます」
「ん?」
「わたくしも宗次様と一緒にいたい。一つ芝居を打ってみてはいかがでしょう?」
「芝居?」
「はい。わたしは、今から近くの村を襲います。そこで、宗次様はわたしを成敗しようとして、返り討ちになるのです。もちろん、すべては芝居ですが」
「なるほど。死んだ人間の縁談は無効だ。さすがは湯佐、機転がきくな」
目を見開いた宗次は、嬉しそうに口角を上げる。湯佐はにこりと微笑んで、一言付け加えた。
「しかし、いくら芝居でも、宗次様がわたしに何もしないのでは疑われてしまうやもしれませぬ。一度だけ、斬りかかってください。その時は首をぶすりと斬ってくださいまし。わたしは、それだけでは死にませんし、傷もすぐに癒えます」
「あ、いや、湯佐。それは……」
「わたしの血の痕が残ったほうが良いのでございます。斬り落とす勢いでやってくださいまし。御遠慮は無用です。良いですね?」
宗次は湯佐に刀傷を負わせるなど嫌だったが、湯佐の物言わさぬ迫力と、本来紅孤は刀では殺せないことを思い出し、うんと頷いた。
1743年、寛保三年。戌の満水と呼ばれた大水害から一年、ある朝、千曲川より北に行った今町という村に、狐の鳴き声のような雷鳴と赤い雨が降った。
「おお、お武家さま! なんと、千曲川の紅孤を一太刀で倒してしまうとは、ややお見事でございます。これでこの村も救われます。水害も止むでしょう。早速、藩主様に早馬を」
宗次は刀を落とした。そして、自分がしてしまったことの愚かさに、顔を歪めた。
「――宗次様」
「湯佐? 湯佐なのか」
「はい」
「どういうことだ!? 話しが違うではないか。死なぬ、と」
「ふふ。宗次様は、本当に誠実な人。わたしの嘘も見抜けぬなんて」
「まさか、斬られて死ぬと分かっていたのか?」
「人に近づきすぎた妖怪の末路です」
「……湯佐」
「さぁ、お別れでございます。お家に帰れば、英雄でしょう。ああ、宗次様を幸せに出来て、湯佐は満足でございます……――」
桜が散った。血の雨に驚かされたのだろう。その花弁は、宗次の肩にちょこんと乗った。まるで、湯佐が手を置いたような温かみを宗次は感じた。
「――俺は、湯佐、お前といられるだけで幸せだったのだ」
膝を屈した宗次は、紅孤の死体の前で、往来を気にせずいつまでも喚き泣いた。
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試験的二千字小説です。
少し長いでしょうか。申し訳ございません。千字では、収まらなかったです。
明るいモノを心がけたのですが、悲恋に……。
んー、これ、明るいかな?