泰西古典絵画紀行

オランダ絵画・古地図・天文学史の記事,旅行記等を紹介します.
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「栄光のオランダ絵画展」 ホテルオークラ・アートコレクション展

2009-08-14 16:54:17 | 古典絵画関連の美術展メモ
 ホテルオークラ東京のホールで毎年この時期に催される「秘蔵の名品 アートコレクション展」は過去数回訪れました.学術ではいつも井出洋一郎先生が中心となってらっしゃったようですが,今回監修は立入先生に譲られ顧問になられたようです.さて今年は15回目で「日蘭通商400周年記念 栄光のオランダ絵画展」と題して8/4-8/30まで開催されています.このタイトルからは17世紀オランダ絵画展を想像するのですが,今回は同時代から現代物までを手広く展示しています.

 先日,17世紀オランダ絵画の権威で本展覧会の監修者でもある東京藝術大学大学美術館のassistant professor熊澤 弘 先生の「セミナー&ギャラリートーク」を拝聴させていただきました.ホテルオークラのティー&ケーキ付で,入場券に図録パンフと出来のいい絵葉書5枚のセットがついて3000円は主催者のチャリティ精神の表れでしょうか,ありがとうございました.この企画は8/25にあと一回催されるので,参加ご希望の方は早めにお電話で申し込まれたほうがいいでしょう.

 熊沢先生のレクチャーは,17世紀オランダ絵画の多様性や同時代のヨーロッパ美術における位置づけ,絵画が権力の象徴から市民の愛好の対象に変遷していく過程,さらに,18世紀以降のオランダ絵画の流れについてゴッホを経て現代まで,最近開かれた展覧会の話も含めて,1時間ほどでまとめられたわかりやすいものでした.
 この展覧会の企画は約1年前から計画されていたそうで,特別協力として名前の上がっているオランダの保険会社INGグループが展覧会の趣旨チャリティを汲み取って惜しみなく協力してくれたとのことで,フィリップスなどとともに同社はアムステルダム国立美術館の大スポンサーであることから,同館から今回の展覧会の核となるレンブラント工房作「聖家族」とレンブラントの銅版画7点などを拝借することが出来た,よく貸してくれたものだと思うとのことでした.また,同社はメセナとして現代に至る具象画の膨大なコレクションを有しており,オランダ銀行と同国外務省から各十点ほどの提供と併せて,今回の展示の大半を占める作品を貸し出されているそうです.これに日本側がゴッホについて国内の所蔵先に依頼されて吉野石膏コレクションや東京富士美術館などから,パリに移るまでの1884-6年にかけての作品4点を借用されたとのことでした.
 ギャラリートークでは,まず19世紀絵画として,ゴッホの展示があり,吉野石膏の「雪原で薪を集める人びと」は山形美術館寄託作品で先日の都美の「日本の美術館名品展」にも出品されていましたが,ミレーの作品に着想を得た人物像は宗教的色彩が強いらしく,これに対して「静物,白い壷の花」の色彩の変化はキャプションによればモンティセリの影響が現れ始めているようで,本邦初公開だそうです.
 19世紀オランダ絵画は11点の展示があり,17世紀の残照としての写実性とドイツ・ロマン派の馥郁さがブレンドされていたりする作品もあるのですが,とくに風景画については,写実表現の中にバルビゾン派の「絵画における宗教性」の影響を受けた「ハーグ派」と呼ばれる画家のグループが現れ,その創始者の一人メスダッハ(メスダフ)の典型的な作品「日没の穏やかな海の漁船」という作品が展示されています.熊沢先生によると中央を外した太陽の位置とそれに二分されながらも左にやや大きく船を置いた構図が大変すばらしく,これはオランダ大使館からの作品とのことです.メスダッハの作品はオランダのデン・ハーグにいけば壮大なパノラマ絵画を見ることが出来ます.ハーグ派はゴッホ絵画の宗教性に影響を与えたらしく,このほかヤーコプ・マリスの,バルビゾン派のたとえばミッシェルを思わせるような「河辺の風車」などが展示されていました.熊沢先生のもう一点のお勧めはブレイトネルのアムス移住後の作品「ローキンの眺望」.暗い作品ですが行き交う馬車の動きが一瞬をとらえた写真のようです.

メスダッハ「日没の穏やかな海の漁船」  マルモッタン美術館にある,同時代の第一回印象派展に出品されたモネの「印象 日の出」1872年 を比較として提示されていました.

 20世紀以降の作品については,ハインケスの「静物」(1935年)は,前景の静物の写実性と背景の風景の幻想性がマグリットのような魔術的リアリズムを感じさせるとのことでした.続くケットの「・・・ハインケスの自画像のある静物」は日常的なものを描きながら視点の非日常性によって,仏キュビズムの画家ジョルジュ・ブラックを想起させるとのこと.残念ながら重要なモンドリアンは展示されていません.
 オランダ人画家による1951年の油彩画「Red trilogy」は北野武氏の顔を巨大に描いていますが(INGのサイトでみられます),一時サブタイトルを「レンブラントからタケシまで」としようかという話まであった?とのことで,右頬に縦書きで書かれている日本語らしきものは一部は判読できるが結局意味を持つものかどうか調べられなかったとのことでした(作家あてに確認が出来なかったそうです).
 また,同サイトにある一見日本人カップルにみえる写真はオランダ人が日本人に扮装してハウステンボスで撮影したものだとのこと.
  20世紀以降の作品は著作権が残っている可能性があるので図版写真は掲載しません
 部屋を移して,17世紀絵画の展示は,熊澤先生苦心の作で,左奥にケッセルの「ダム広場と市庁舎」,正面にニッケレンの「聖バーフ教会の内部」,右手を仕切ってレンブラントらの銅版画群の奥正面に「聖家族」を展示されていました.とくにレンブラントの銅版画や素描は先生の主要な研究テーマの一つでもあるようで,版画の見方についても熱心にご説明くださいました.
 絵画は11点の展示にとどまり,上記とS・ライスダールの「エマオへの道」を除けば,作品の質やコンディション,研究途上などでまだ問題の残る作品も見受けられましたが,一見の価値は大いにあり,とくに「聖家族」と「キリストの生涯」が隠れたテーマになっているようです.

ケッセル「ダム広場と市庁舎」1668年 97x124cm 板 オランダ銀行
 これはオランダ銀行の総裁室に飾ってある作品で,そのため,オランダ人が最もよく見る機会のある市庁舎の絵だとオランダ側の人が冗談をいっていたそうです.
ダム広場はもとはアムステル川の堰(ダム)があった場所で,アムステルダムの語源であり,市の歴史的な中心地でした.手前の旧河口のダムラックは19世紀に埋め立てられてしまうので,川向こうから描いた作品は珍しいとのこと.
 私見ながら,ケッセルはライスダールの弟子で森や田園の風景などの作品が多いが,アムステルダムの都市景観画をいくつか残しており,本作品はケッセルに関するA・ディビスのモノグラフ(レゾネ)"Jan van Kessel(1641-1680)",1992には掲載されていなかった.これだけの作品が載っていないのはおかしいと調べてみたところ,下図①のダブリン・アイルランド国立美術館所蔵作品の項で,「これよりやや大きく(39x50")1668年に描かれた作品が1794年にアムステルダムで競売にかけられており,1882年の競売以後姿を消した」p.107と記載されていた.まさにこれが当該作品である.①は本作の右寄り,新教会と手前の建物(1808年に取り壊された計量所だろう)の間から市庁舎に寄って描いている.
 本作品自体のコンディションは比較的良いものの,左下の運河に浮かぶ人の乗った船は倒してあるマストを残して消えかけているが,これは過去の洗浄によるものだろうか.
 描かれている人物像はあまりうまくないと思うがアブラハム・ストックという説もあるがJ・リンゲルバッハ風かもしれない.

以下の二点は参考図版です.展示されてはいません

①ケッセル「アムステルダムのダム広場・新市庁舎と新教会」1669年 68x83cm ダブリン・アイルランド国立美術館蔵

②ケッセル「冬のアムステルダム・ハイリゲウェグス市門」77x122cm アムステルダム国立美術館蔵
 ケッセルはこの題材が売れ筋だったようで,4点以上細部を修正しつつ製作している.

ニッケレン「ハールレムの聖バーフ教会の内部」177X136cm 画布 INGコレクション
 この大作は展示に最も苦労されたそうで,消失点のある下から1/5程度が目線の高さにくるのがもともと理想的だが十分な高さまで高く展示することが出来なかった由.ただ,フェルメールの作品でよく話題になるように,消失点から放射状に線を引くために,押しピンをとめた後があるのではないかと調べていたら,本当にピンホールが奥の黒服の男性の頭部より1cmほど右上に確認できたのが収穫だったとのことでした.近づいてみると確かに穴が開いています.
 ニッケレン自身は建築画家としてこのような教会内部を描いていますが,よく名の知れた画家ではありません.

レンブラント派「聖家族」アムステルダム国立美術館
 この作品は2003年の国立西洋美術館「レンブラントとレンブラント派」展で工房作品として展示されており,同展の図録にアムス国立美術館のディビッツ部長の論文に帰属の変遷が詳述されています.要約すると,すでに17世紀半ばから,その明暗の対比の見事さと素朴な家族の親密さを写実的に描いていることから,レンブラントらしい作品として高く評価されていたが,1950年代以降疑義が提起され,ゲルソンもおもにレンブラントの年代的特徴(1630年代の構成上のキアロスクーロと1640年代の乾いた雰囲気)が混在していることから工房作品と推定し,最近のRRPによる検討では,使われている板がオークではなくスペイン産の杉でこれは1630-40年代のレンブラント作品では良く見られること,人物の位置取りの跡と小さな描き直しは模写ではないこと,は確認されたものの,光と影の配置の乱れ(輝度を表す厚塗りインペストを遠い燭台にも使っている・聖アンナの影が大きすぎるなど)や構図の空間的曖昧さ(遠近の二平面的配置・階段の構造の不自然さなど),重要でない対象物も細部にわたって描写していてメリハリのないこと,からレンブラントの真筆ではないが,1640年代に製作されたレンブラントおよびその工房での一連の「聖家族」のグループの一つとして考えられると結論付けられている.
追記  Gersonの1640年代の様式についての記述は赤褐色に支配されたやや生気に乏しい画面という意味かもしれないと思ったが,原文を確認したところ,「描き方は1640年代様式だが1645年の『聖家族』などと比較すると"much dryer"」と述べているだけで,いずれにしてもこれに1630年代の構図が共存しているという主張であった.

S・ライスダール「エマオへの道」1668年 画布 INGコレクション
 私見ながら,サロモンの晩年の作品で筆致は彼のものですが,色遣いは小ヤコブとして知られる息子のヤコブ・サロモンスゾーン・ロイスダールをも連想させ,構図は決まっているが様式的.前景の土手の褐色の部分などのコンディションもあまりいいとはいえません.中央に立っている三人は復活したイエスとまだそれとは気づいていない弟子たちです.