~回る回るよ宇宙は回る(click!)~
天球儀の図像は反転している.彼方から地球を覆う天球を見下ろしている格好だ.使い方は,始めに緯度(東京なら北緯35度)を子午線環の目盛りに合わせて(⇒)天球を台にセットする.もともとは天の北極(↓)に位置する部分に時刻ダイヤル環があるのだが,無くなっており,あれば時刻を合わせて球を回転させればその地その時刻の星空が再現されるわけである.方位も本来は球を囲む台と一体となった木製の水平環上に目盛られているのだが,これも無くなっているのは残念.
過去には劣化したニスに覆われていたはずだが,洗浄が施されているため,見栄えは良い.紙の漉き跡が細かい縦縞の目地になっており,銅版の線はよく残っている.彩色は使用とニスの洗浄で割りに落ちているが,とくに南天は良好に見える.赤(・桃)・橙・黄・緑・青・褐色の六色以上が使用されている.
この天球儀にはまた1728年までの彗星の航跡が多数描かれている(←)のが特徴である.
うみへび座はべた塗りではなく,背と腹で緑と桃色に塗り分けられているようだ.てんびん座の朱色(黄褐色)をみるとニスの洗浄は軽度にとどめているのが分かり,周囲も含めて認められるひび割れはニスが塗られたいた名残である.銘版はほうおう座の北に後から貼り付けられ(紙の縞模様の方向が異なる),その後でカルトゥーシュの縁が褐色に塗られている.
ドッペルマイヤーの天球儀の星座図柄はヘヴェリウスに拠っているので,かに座はロブスター.
十数年前に小林頼子先生とお話していたときに,「オランダ絵画に描かれる天球儀はしし座が正面になっている」とおっしゃっていたが,当時は話はそこで終わってしまった.今にして思えば,その部分が見栄えがすることもあろうし,獅子は太陽と関連付けられることから(生命・活力の象徴?)崇拝されたためか,オランダの紋章に獅子が描かれていることと関係があるかもしれない.
天の南極部と北極部(こちらは斜めになってしまったので機会があれば撮り直します)
Johann Gabriel Doppelmayr published three pairs of globes of 10,20 and 32cm diameters between 1728 and 1736, which were updated and republished by Jenig between circa 1789 and 1795.
今回は参考図書について.
(1)千葉市立郷土博物館 天文資料解説集No.1 「グロティウスの星座図帳」
126頁(モノクロ) A4変形 1999年刊行
前掲したとおり,古書として購入しすでに本棚に入っていたが,挿入されている星座図の印刷の質については,残念ながら満足のいくものではなく,コントラストを高く設定しすぎて,暗部はつぶれ,明部の細い線も消えて途切れてしまっていた.もともと漠然とこんなものかと思っていたのだが,最近実物を見て違いがわかった.ただし,これは裏の印刷活字が表に見えてしまっているため,やむを得ずの設定だったのかもしれない.重ねて述べるが,テキストのラテン語の邦訳は極めて貴重である.
・同館サイトよりの引用
同館では平成8年度から所蔵資料の翻訳調査おこなっており、その成果報告として天文資料解説集を刊行している。第1集は17世紀に活躍した法学者フーゴー・グロティウス(Hugo Grotius 1583-1646)の「星座図帳」(『シュンタグマ・アラテオルム-研究者にとってきわめて有益な詩的・天文学的著作(SYNTAGMA ARATEORVM:OPVS POETICAE ETASTRONOMIAE STVDIOSIS VTILISSIMVM)』を収録した。1600年にライデンのプランタン書店から刊行された天文書で、前半はギリシャ時代の詩人アトラスの天象誌「ファイノメナ」がギリシャ語とラテン語で紹介され、後半はオランダの美術家ヤーコブ・デ・ヘイン(Jacob de Gheyn 1565-1629)による星座絵の銅版画が掲載されている。「ファイノメナ」は現存する著作の中で星座について組織だった記述が見られる最古のものとされ、星座の歴史を探る貴重な資料である。本書では「ファイノメナ」の邦訳とヤーコブ・デ・ヘインの星座絵についての解説を掲載した。
その後,「天文古玩」のサイトの同博物館の「大星座展」の記事を拝読させていただいて,同館の刊行物のバックナンバーの存在を知り,以下の四冊を購入した.
(2)星の美術展
49頁(カラー4頁) B5判 1989年刊行
巻末のリストをみると,20年前すでに同館が収集を始めていてシラー星図の原書やゾイッター星図を所蔵していたことがわかる.ほかに「覆刻」とされているものが少なからずあるが,セラリウス星図は初版,バイエル星図やボーデ星図(ウラノグラフィアでは無く,Vorstellung der Gestirneの初版[フラムスティードパリ版の独語訳にあたる])についても誤解があり,後述「星座の文化史」では訂正され実物になっている.当時,草下英明氏(氏所蔵のセラリウス星図の1枚は初版と思われるが右下に番号はない)や金子功氏もこの分野で蒐集されていたこともわかる.カラー図版が少ないのが残念.
・同館サイトよりの引用
平成元年に開催した特別展「星の美術展―東西の貴重な古星図を集めて―」の展示資料解説図録。東洋・西洋の古星図や星を題材にした美術作品を展示し、星座の歴史と星図の変遷、美術作品に込められた人々の星空への想いを探った。
<収録資料>ゾイッター天球図、地球・天球・渾天儀図、天文分野之図、天文成象、天象総星之図、佐倉藩天球儀(複製)、シラーのキリスト教星図、天球豆図、鹿児島征討記之内西郷星之図、西郷星の珍説、他
(3)大航海時代の天文学
43頁(カラー4頁) B5判 1992年刊
ややくだけた内容で解説されていて,望遠鏡や四分儀・六分儀,世界地図なども展示されていたらしい.3年の間に同館の収蔵品は増えていたかのようで,例えばアピアヌスの書籍やドッペルマイヤーの天文図などが追加されている.憶測で間違っているかもしれないが,金子氏などの所蔵品が同館に譲られたとすれば他の所蔵品の変化が説明しやすいかもしれない??
・同館サイトよりの引用
平成4年に開催した特別展「大航海時代の天文学」の展示資料解説図録。「星と航海術」をテーマに古星図や航海関連資料を展示し、15世紀の大航海時代の天文学の役割を探った。
<収録資料>レギオモンタヌス「天体暦」、アピアヌス「宇宙形状誌」、アピアヌス「天文学教科書」、バイヤー星図、シラーのキリスト教星図、セラリウス天球図、ヘヴェリウス「月面誌」、フラムスチード星図、ゴルトバッハ星図、ドッペルマイヤーの天文図、天球豆図、ゾイッター天球図、地球・天球・渾天儀図、携帯用地球儀天球儀 他
(4)天文資料解説集No.3 東西の天球図
60頁(モノクロ) A4変形 2002年刊行
パルディー天球図(彩色された6枚)やド・ラ・イール天球図(彩色された北天・南天2枚)などをさらに購入したらしい.大したものである! パルディー天球図の年代は特定されていなかったが,うしかい座の右足元に1682年の彗星の軌跡が描かれていることから1690年の第二版(LHLによる[Warnerの1a?])と推定される.ド・ラ・イール天球図のほうは北天図が1766年,南天図が1760年とあり,少なくとも北天のほうはWarnerの4aだろう. 印刷がカラーでないのが残念だが,比較的大きく図版は掲載されており,星図の周囲に印刷されている献辞や解説も翻訳して載せられている.
・同館サイトよりの引用
同館が所蔵する天球図8点と,仙台市天文台が所蔵する「黄道中西合図」を掲載しました。掲載資料は,「淳祐天文図」(1247年・中国),「天象列次分野之図」(1395年・朝鮮),「天文分野之図」(1677年・日本),「天文成象」(1699年・日本),「黄道中西合図」(1807年・中国),「ブルナッチ天球図」(1687年・イタリア),「ド・ラ・イール天球図」(18世紀後半・フランス),「パルディー天球図」(17世紀後半・フランス),「コルデンブッシュの天球図帳」(1789年頃・ドイツ)の計9点です。各資料には,星図の部分だけではなく,その周りに様々な解説文が書かれています。ラテン語やフランス語,中国語などで記述された解説文には,いったい何が書かれているのでしょうか。本書では各資料の写真とともに解説文の翻訳を掲載しています。東西の天球図の詳細を比べていただき,当時の天文学の概要や東西の民族による星空の見方,星座や宇宙観の違いなどをご覧ください。
(5)天文資料解説集No.4 西洋の天文書
60頁(モノクロ) A4変形 2002年刊行
ガリレイのディアローゴ,へヴェリウスのセレノグラフィア,ドッペルマイヤーのアトラス・ヌーヴス・コエレスティスなどが追加されている.このレベルになると研究者やマニア向けになるかもしれず,日本に原著が存在していること自体稀で,他では一部の大学図書館の稀覯書部門に数冊あるかどうかであろう.一般向けにはその図版でどのような書物なのかが良くわかるように構成紹介されている.
・同館サイトよりの引用
同館が所蔵する西洋の天文書13点を掲載しました。掲載資料は、ゲルマニクス「アラテア」(9世紀)、ヨハネス・レギオモンタヌス「天体暦書」(1474年頃)、ヒギヌス「宇宙と天球について」(1517年)、パオロ・ニコッティ「宇宙の構造について」(1525年)、ペトルス・アピアヌス「天文学教科書」(1540年)、ペトルス・アピアヌス「宇宙形状誌(コスモグラフィア)」(1544年)、ガリレオ・ガリレイ「天文対話」(1632年)、スタニスラフ・ルービエンニッツキー「彗星の世界」(1640年)、ヨハネス・へヴェリウス「月面誌(セレノグラフィア)」(1647年)、フーゴー・グロティウス「星座図帳」(1600年)、ヨーハン・ガブリエル・ドッペルマイヤー「最新天文図帳」(1742年)、ジョゼフ・ハリス「天球儀・地球儀・太陽系儀の利用法」(1768年)、G・ルビー「英国天体図帳」(1830年)です。
すでに品切れになっている2000年に刊行された天文資料解説集No.2は「ボーデの星図書」で無料頒布だったことがわかった.ここで平成7年の特別展図録「星座の文化史」の存在を知り,手を尽くして検索した結果,共同開催で巡回した府中市郷土の森博物館に残っていることがわかり,入手することが出来た.
(6)星座の文化史
71頁(カラー図版多数) A4版 1995年5月
結局,千葉市立郷土博物館ではド・ラ・イール天球図・パルディー天球図もドッペルマイヤーの最新天文図帳も95年以前に購入されていたことがわかった.この図録をみると,同館の天文書以外の蒐集品の全貌が明らかになる(多分).古星図としてはピッコロミニ星図初版,グロチウスのアラテア初版,バイエル星図第6版(第4版ではなくWarnerによると1655年は第6版になる),シラーのキリスト教星図第二版(初版とされているが天球図のタイトルのラテン語がDeiでなくDEIなので,第二版[Warnerの1a]),セラリウス天球図は3枚とも初版(右下に番号あり),ヘヴェリウス星図初版,パルディー天球図第二版,ド・ラ・イール天球図第二版,フラムスティード星図第三版(1795年パリ版第二版),ボーデ星図(Vorstellung....)初版を所蔵されていることがわかった.
さらに驚くべきことに,ドッペルマイヤーの天球儀も所蔵されていた! 直径20cmの1730年初版もののW.P.イェーニッヒによる1790年代の再版である(じつは当館所蔵品もそうだったのだが32cm).ニスの軽い黄変以外,コンディションは良好で,当館所蔵品に無い水平環の目盛りと北極の時刻ダイヤルが残っている.
(7)特別展「遠くを望む~江戸時代の望遠鏡」
B5版20頁 1991年7月
府中市郷土の森博物館を検索したときに発見したので併せて購入したが,同館の特別展で,いまは無き五島プラネタリウム所蔵の1820年製グレゴリー式反射望遠鏡以外は,和物であった.望遠鏡以外で,北斎の富岳百景の「鳥越の不二」の中に浅草天文台の渾天儀が前景に大きく描かれていたのがわかって新鮮だった(展示は複製).
(Ⅰ)"Out of This World"
112頁 A5版 2007年
Linda Hall Libraryでの'96.11/1~'97.2/1の企画展"Out of This World"の図録で展示された43点が掲載され,2007年に補遺の"Further Out"(15点;36頁)の出版とともに再版され,改めて展覧された.すべてカラーで解説も平易なため,初学者(私)向きの入門書として大変重宝している.サイトのほうで同一のテキストと図版を見ることが出来るし,直販もある(二冊で$20).
(Ⅱ)"The Sky Explored:Celestial Cartgraphy 1500-1800"
293頁 A4版 Deborah J.Warner, N.Y.,1979
出版されてから30年経過しているが,主要な古星図の目録としていまでも有用である.図版は多いが,個々の星図の版による差についてはテキストに表記されているだけなので確認に時間がかかる.天球儀が載っていないのが残念.
ドッペルマイヤーの天球儀を購入してからというもの,天文史史料の収集に情熱を燃やしている.
前掲のヤン・ファン・デル・ビルト作の反射望遠鏡(1770/80年代)のほか,
・グロティウスの星座図帳の第二版(1621年)Arataea sive Signa Coelestia
初版は「アラテア集成」Syntagma Arateorum(1600年)でライデンのプランタン書店で出版されており,「国際法の父」フーゴー・グロティウス17歳の著作である.紀元前4世紀ギリシアの詩人アラトスの星座詩「ファイノメナ」(天空の現象:前半が星座の位置と形状,その出没が神話伝説とともに語られる)にはプトレマイオスの48星座のうち45星座と,独立してプレアデスが登場し,星座の系統的著述として現存最古のもので星座の歴史研究に極めて貴重な資料と考えられているが,初版には,これに「ディオセメイア」(神ゼウスの兆候:雷や雨のこと)を付け加えてギリシア語原文で掲載し,これにキケロやゲルマニクスのラテン語訳文が続き,グロティウスの注釈が綴られている.
後半には,グロティウス訳によると思われる[要確認]「ファイノメナ」のラテン語のテキストとそれに対応する星座図が挿入されているが,この星座図は,グロティウスがゲルマニクスの「アラテア」(アラトスのラテン語訳のこと)写本(9世紀)を所有していた状況もあって,写本の図版を参考に(おもに輪郭線を踏襲),著名な銅版画家ヤーコプ・デ・ヘイン(Jacob de Gheyn 1565-1629)がエングレーヴィングで製作している.この「アラテア」写本の図像は39点(36星座に惑星図・円環(黄道・赤道・回帰線)・前兆についての断片*)であったが,ヘインがてんびん・おとめ・ケンタウルス座と銀河・十二宮図を創作し付加して44枚となっている.星々の配置には正確性を欠いているが,精緻な図像は審美的価値が高く,バイエルの「ウラノメトリア」の星座図にも利用されている.
装丁概観 タイトルページ いて座
初版では残念ながら銅版画の裏面に活字が印刷されていて鑑賞の妨げになっている.これに対し,第二版は図版部分だけで裏に次のテキストが印刷されていないため,版の磨耗が無いとすれば,より見やすいようだ.当初17世紀オランダのヘインの版画だからと思っての購入であったが,これで蒐集熱にさらに火がついてしまった.
こぐま座・おおぐま座・りゅう座 てんびん座 前頁裏面は白紙である 十二宮図 上下の余白が広く残っている
*以上は千葉市立郷土博物館 天文資料解説集No.1 「グロティウスの星座図帳」1999年刊 より,伊藤博明氏論文を参照したが,*については四季の図像であろう.同書は本邦ではたいへん貴重な解説書である.残念ながら同書にある十二宮図は見開き図版で,装丁の関係で原寸掲載が困難であったようだ.
・セラリウスのキリスト教天球図・第一面(1660年?)43x50cm Coeli Stellati Christiani Haemisphaerium Prius (Celestial Chart Religion, Christianity, Constellations First/Anterior)
アムステルダムで出版されたAndreas Cellarius(c.1596-1665)のHarmonia macrocosmica sev atlas universalis et novusは,美本ならオークションで10-20万ポンドもするが,29枚の見開き図版があり,この中には通常の星座図が6枚(図像は当代の天球儀の図版に基づいていると思われ反転・鏡像で描かれ,かに座がロブスターとして描かれ,こがに座も付け加えられている点はプランシウスに,牛飼いやケフェウスが冬の装いで描かれているのはブラウに類似),シラーが1627年に出版したキリスト教星図の中の半球図を忠実に描きなおした銅版画が2枚含まれていて,これらは1枚で当時の彩色でコンディションが良いと3000ポンド前後ないしそれ以上で販売されている.1708年にPeter SchenkとGerard Valkによって再販されているが,こちらのほうは美本で5万ポンド前後.
1660年初版?の通常の星座図のうち,北天・地球図で,右はファルクらによる1708年の第2版 一般に初版のほうが彩色が多彩で豪華で,シェンク&ファルク版にはカルトーシュないし版面の下枠中央などに彼らの名前が刻まれている.
セラリウスの天球図はD.Warnerによれば,JanssoniusのAtlas Majorの第11巻として1658,1661,1666年の3回発刊されているらしいが,1658年はHarmonia macrocosmicaを除くAtlasの刊行が終了した年らしく,Warnock Libraryの記述によればHarmonia macrocosmicaの出版は1661・1666年の2回とファルクらの1708年とされていた.2008年6月にクリスティーズNYに出品されたRichard Green Library旧蔵品は1660年出版となっており,これが初版ですでに右下に図版番号がある.初版については,結論として1660年版のリプリント版(Taschen2006年)におけるRobert van Gentの解説によると,1660年版と1661年版は年記以外全く同一であるとのことであった.
ユトレヒト大学のセラリウスに関するサイトに掲載されているリンクでは,1661年版でネット上で確認できる完本は以下の3つのサイトにある.同年版でも右下に図版番号のあるものと無いものがあり,このうちリンダ・ホール・ライブラリー(以下LHL)のもののみ図版番号が無く,残念ながら通常の星座図の北天・地球図が一枚欠落しているようだ.
Ruprecht-Karls-Universität (Heidelberg, Germany)
Warnock Library(California, U.S.A.;John Warnock氏の個人コレクションでRare Book Roomというサイトとして公開)
Linda Hall Library (Kansas City, U.S.A.)
購入したキリスト教天球図・第一面
収蔵品はキリスト教天球図のうち秋分点を中心にした半球のほうで,実際には太陽が春分点にあるときの深夜の星空の反転像に相当し,金彩を含んだ当時の彩色が施されている逸品.黄道座標に基づいていて天球儀と同様,星図は反転して鏡像で描かれている.南天に旧約聖書に基づく星座,北天に新約に基づく星座が描かれており,例えば,左下方には通常の旧「アルゴ船座」が「ノアの箱舟」として描かれている.1660年版という触れ込みであったが,彩色はLHLの1661年版と酷似しており,唯,向かって左の福音書記者聖ヨハネ(かに座)と聖トマス(しし座)の衣の色のみが異なっている.可能ならば春分点側の半球図Posteriusが望まれる.
キリスト教天球図・第一面の別の初版 彩色は同一ではない 同・第二面 ここには右下にエリダヌス座が紅海として描かれている
・フラムスティード天球図譜のいわゆる第三版(1795年)Atlas Céleste de Flamsteed, ... Troisième Édition
イギリスの天文学者ジョン・フラムスティード(1646-1719)の没後,1729年にロンドンで初版が出版された.バイエル星図は星空を見たとおり正像で描かれているが,おそらく天球儀の鏡像状態で人物像が前向きであることに配慮して,後ろ向きに描かれていた.フラムスティードはこれを良しとせず,プトレマイオスの星座の伝統的な図像に準じて,前向きに戻しているが,人物が不恰好なのが難点である.初版は54x38cmと大型本で24x20インチ(51x61cm)の図版26枚,1690年分点だったが,フランス王室御用達の地球儀製作者だったフォルタン(J. Fortin)がパリで1776年に1780年分点での縮小版として23x18cmの図版27枚(うみへび座が二分割された)いわゆる第二版を刊行し図柄も修正され美的観点からも満足できるようになり,第三版(仏語の2版で実際には5版目に相当)ではこの図版に「ハーシェルの望遠鏡座」などの5星座やメシエ天体もつけ加えて部分的に改訂している.6等星までが精密に描かれ,赤道・黄道座標がそれぞれ実線・破線で書かれている.
バイエル星図1661年版と1603年初版は値が嵩んで買えず,ゾイッター天球図は破格で売られていたが買い逃してしまった.
たばこと塩の博物館の特別展「阿蘭陀とNIPPON~レンブラントからシーボルトまで~」を見に日曜の渋谷に行きました.街は人が多くて疲れましたが,入場料が300円,会場には親子連れの方もあり,旅行の思い出を語っているご夫妻ありで,絵画展とは違った趣でなかなか好評のようです.
ボイマンス・ファン・ブーニンゲン美術館所蔵のレンブラントの銅版画7点を見に行ったつもりだったのですが,背の高いガラスケース内に展示されていたので老眼だと焦点が合わない!のと,展示の趣旨が和紙と洋紙の刷り分けに主眼をおいているようなのですが,ほかの展覧会でそうであったように同一作品での比較がなされていたほうが,意図が通じやすかったと思います.また,摺りのステートなどについても記載は無く,マニアや研究者向けの展示ではなさそうです.ここの展示全体を通じて,ガラスで囲われた展示スペースの外から観覧しなければならない造作となっているので,細部を鑑賞しづらいのが難点でした.A5版の図録もすべての展示作品が掲載されているわけではありませんが,江戸時代のアムステルダムの生活を図解していたり,読み物としてなかなか楽しめるものでした.
その中で収穫だったのは,アムステルダムで18世紀中葉に製作された各1745年・1750年の年記のある地球儀・天球儀が展示されていたこと.収納箱に「天保十五年辰春」とあり,江戸時代に輸入され佐賀の武雄鍋島家が保管されていたもので,現在は武雄市立の蘭学館に所蔵されています.
一度実物を拝見したいと思っていた矢先のことで,星座は当然ながら西洋星座で,ファルク没後の工房で製作され,球体の直径は24.8cm,高さ34.5cmと想像していたよりも小ぶりで,舟形に印刷された図柄を張り合わせて手彩色を施してあるのですが,残念ながら,表面のニスの劣化だけなのかシミなのか遠目なのでよくわかりませんが,予想よりもくすんでいて,とくに地球儀のほうが状態は悪そうでしたが,天球儀にはうっすらと彩色の痕跡が見て取れました.
パンフレットの図版より
天球儀は実際の星空を鏡像として球体に描いたもので,中世に南独に広まり,15-6世紀を通じて商業と美術工芸の中心のひとつであった古都ニュルンベルクで盛んに製作されるようになりました.同市は天文学の都として16世紀初頭J.Schoenerらも輩出しており,天球儀製作の拠点として,いまでも同市の博物館には貴重な天球儀のコレクションが残されています.初期の天球儀は木製や真鍮製の球体の表面に手書きや彫刻で少数の星々を描いたものでしたが,ニュルンベルクはデューラーに代表される木版画印刷が盛んであったこともあって,16世紀初頭には紙片に星図を木版で印刷したものを湿らせながら球体に張り合わせ手彩色するようになり,同世紀末までには,より正確で装飾性にとんだ銅版が用いられるようになり,経度に沿った12枚の舟形を球体に張り合わせて製作する技法が開発されました.18世紀にはいると,フランスを中心に啓蒙主義の影響下で需要が高まるとともに,より精度を求められるようになり,その後,19世紀に入ってリトグラフが用いられるようになってから,大量生産が可能となりました.
一方,現在のような地球儀の原型は,地動説が定着し,新大陸が発見される1492年にやはりニュルンベルクでMartin Behaimによって始めて製作されましたが,これには残念ながら新大陸は描かれていなかったそうで,その後,新世界が発見される度に,測量術の発展も併せて,地図は塗り替えられていきました.多分当時からペアを意識したのでしょう,天球儀の製作も時を同じくして発展している点が興味深いと思います.じつは歳差運動(地球の自転軸が2.6万年ほどの周期で揺れるコマのように首振り運動をすることで,1.9万年前にはデネブ,1.4万年前にはヴェガ,約7000年後には再びデネブが北極星になります)にって1世紀に1.5°ずつ極点がずれて星々の位置も変わっていくので,天球儀も描き換えられてゆく必要があるのですが,良いものはルネサンス・バロック時代からの芸術品・装飾品として残されてきているわけです.
日本にあるアンティークの天球儀は富山天文台のホームページにまとめられていますが,長崎の平戸藩松浦家に伝わり松浦史料博物館に所蔵されている天球儀・地球儀〈長崎県指定有形文化財〉もファルク父子(父Gerard Valk[Gerrit 1652-1726 銅版画製作者として著名] & 子Leonard Valk[Leonardus 1675-1746])の存命中の1700年の年記があるらしく,球径31.0cm・高さ46.3cm,写真で見る限りではこちらのほうが状態はよく,より大きくより時代の古い点でも価値が高そうです.蛇足ながら,松浦史料博物館所蔵品の小ぶりの複製が現在も販売されていました.ファルクは1700年に後述するホンディウスの工房のあった建物に移り,3,6,9,12,15,18,24インチの地球儀・天球儀のシリーズを製作したようで,天球儀は,ポーランド出身のヘヴェリウスJohannes Heveliusが作製し没後1690年にドイツで出版された星図に基づいて,猟犬・小獅子・蜥蜴座など(画像で見ると六分儀座も描かれておりヘヴェリウスの追加になる7星座全てか,子狐・楯・山猫座については一応要確認)が新たに付け加えられていて,1700年と1750年の版が存在します.
このほか,世界地国帳で名を馳せたヴィレム・ヤンスゾーン・ブラウ(Willem Janszoon Blaeu)の天球儀の小品が,京都外国語大学付属図書館に所蔵されているようで,球径13.5cmと小ぶりですが,やはりオランダで製作されたもので1606年と相当古く,かなり珍しいと思います.
ところで,これまで小生の見たオークションのカタログで記憶に残っている天球儀はというと,2009年6月にアムステルダムで出品されたPaul Petersのglobe&mapコレクションの中の一点で,やはりファルク工房製作で1750の年記があり,球径39cm・高さ58cmと大きくかつ色彩も比較的良く残っているため,評価額1.5~2.5万ユーロから,手数料込みで34600ユーロで落札されていました.このタイプの天球儀はファルクの親族から版権を取得したComelis Covens(1764-1825)によってその後も再製作されていたようです.
ファルクの天球儀 1750年版・アムステルダム 旧Paul Petersコレクション
もう一点は,1999年6月に開催されたフランスのde Groussay城のセールで「オランダの間」に展示されていた天球儀・地球儀のペアで,これは球径が110cmもあり,ベニスのフランシスコ会の修道士Vincenzo Coronelli(1650-1718)によって1680年に製作されました.彩色された逞しい人物像などその豪華さから評価額80-100万仏フランが266万フラン(40.5万ユーロ)で落札されています.ヴェルサイユ宮にはルイ14世に捧げられた彼の手による球径3.86mのペアが飾られていますが,これらはバロック時代の天球儀・地球儀の最高峰と考えられています.
コロネッリの天球儀 1680年・ヴェニス de Groussay城旧蔵
大航海時代の観測から南天の星座,たとえば孔雀・不死鳥座などを標した最古のものとしては1598/1600年ごろ,ヨードクス・ホンディウスJodocus Hondius父の銅版画を用いたプランシウスPetrus Plancius製作の天球儀があり,これにはキリンや一角獣やヨルダン河などの星座も新たに導入されています.この天球儀の一例はロサンジェルス郊外のハンチントン・ライブラリーで写真に収めたことがありますが,記憶に間違いが無ければ球径40-50cmほどの比較的大きなもので,ディティールも色彩も綺麗で大変すばらしいものでした.1668年に製作されたフェルメールの「天文学者」に描かれているのは,じつはこのホンディウスの天球儀と考えられています.
ホンディウスの天球儀 1598年頃・アムステルダム ハンチントン・ライブラリー所蔵
18世紀のもっとも正確な天球儀としては,Johann Gabriel Doppelmayr(1671-1750)が古都ニュルンベルクで製作したものが有名ですが,オランダ・バロック絵画館で購入したものは1728年に制作された彼の版によるもののひとつで,やはりヘヴェリウスに基づきつつ1730年分点での星図が描かれ,多くの彗星の軌跡が描かれているのも重要な特徴です.残念ながら,これはオランダ製ではないのですが,彼自身はオランダとも縁が深く,ニュルンベルクの数学教授・数学者として啓蒙主義の時代,ニュートン・ホイヘンス・デカルトらの革新的研究を広く欧州に広める活動の傍ら,天文学書の翻訳や天球儀の製作も行っていたそうです.天文学が観測と計算の学問であるからでしょう.
ドッペルマイヤーの天球儀 1728年・ニュルンベルク 球径31.8cm(12.5インチ)・高さ48cm オランダ・バロック絵画館所蔵
Ex.Het Kralingsmuseum, Rotterdam (coll. Mrs. Elias-Vaes)
最後に展覧会の話に戻りますが,緑ガラスを使ったレーマー杯も10数cm程度の完品が1点展示されており,1670-1700年製と推定されていましたが,図録には載っていませんでした.ガラス器には詳しくないので名称が不正確ですが,stemの底部のスカート上の部分は新しくなるにつれ大きく高くなっていたと記憶していて,こちらは同部は小ぶり,また,サイズに応じてstemのラズベリー状のアップリケの列も変わるのですが,これは二列で,当館所蔵のものとほとんど同じでした.
解説によると,当時食事は手とナイフで食べていたので,そのラズベリー状の装飾は,手についた脂で杯が滑らないように実用性も兼ねていたとのことです.
左・12.7cm 17世紀末 中央・15.2cm 17世紀後半 右・13.4cm 18世紀 いずれもオランダないしドイツ製 オランダ・バロック絵画館所蔵