泰西古典絵画紀行

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18世紀オランダ製望遠鏡

2010-09-26 00:06:18 | バロック以降の西洋工芸品


 反射鏡の精度の高さで18世紀オランダでは有名な望遠鏡製作者であったフリースラント州のJAN VAN DER BILDT (1709-1791)作の真鍮製望遠鏡で全長35cm,高さ約40cm.鏡筒の接眼部側にJ.van der BILDT.FRANEKER.No.543の銘あり.反射鏡は金属製でスペキュラム合金という青銅の一種らしく,これは銅Cu68.2%,錫Sn31.8%と錫の含有率が高く,それによって反射率の高さ(61%程度)と分光反射率の均一性(銅だけでは長波長の反射率が高くて赤みが残る)と耐蝕性が期待出来ますが,脆いので20世紀半ば以降はもう作られていないそうです.
 現物が届いていないのですが,グレゴリー型反射式望遠鏡で,長野市の真田宝物館に現存するオランダ製の金属製反射望遠鏡と写真で見る限りは瓜二つでした.


 望遠鏡を発明したのは一説にはダ・ヴィンチであるとか,1611年のケプラー書「屈折光学」にナポリのデラ・ポルタが20年前に望遠鏡を発明したといった記述などもあるらしいが,一般的には1608年にオランダ・ミッデルブルクの眼鏡職人ハンス・リッペルスハイHans Lippershey(1570-1619)がレンズ2枚を組合わせた望遠鏡を特許申請したことが起源とされ,その報を受けて,イタリアのガリレオも1609年に望遠鏡を自作して初めて天体を観測したため,この低倍率正立像を生む対物凸・接眼凹レンズの組合わせをオランダ式(ガリレオ式)と呼んでいます.日本への伝来は1613年とかなり早く,イギリスのジェームズ1世から徳川家康に献上され,諸大名は天球儀とともに望遠鏡「遠めがね」も実用を兼ねて競って長崎から入手したようです.

 望遠鏡の開発は,倍率と分解能を得るための大口径化と収差(色収差や球面の屈折によるザイデルSeidelの五収差[球面・コマ・非点・歪曲・像面湾曲収差])との戦いでした.グレゴリー式は1663年イギリスのジェームス・グレゴリーが記載した初めての反射式望遠鏡で(実際に製作されたのは1668年のニュートン式のほうが先んじた),反射式では色収差が生じず,反射鏡のほうがレンズより研磨面が少なく,かつ裏面を支えられるので大レンズのような自重によるたわみが無く製作しやすいため,より大口径の光学系の製作が可能であるという長所がありました.このシステムでは球面収差の対策として主鏡は放物凹面,副鏡は楕円凹面鏡で,主鏡から副鏡を経た光を主鏡中央の穴から後方に導く方式で,正立像となるため地上用としても用いることができ,焦点距離が長く倍率も稼げたようです.比較的小型のものでは,筒の横から覗くニュートン式よりも使い勝手に優れていたので18世紀の欧米では盛んに製作され,紳士のたしなみとして‘gentleman-scientist’,あるいは知識人のアマチュア天文学者がこぞって求めたといわれています.

小型反射望遠鏡の回りに集う商人にして天文学者のJan De Munck?とその家族 1750年頃 アムステルダム国立美術館

 18世紀初頭,光学は英国がその中心だったようですが,オランダでは前世紀末にHuygensホイヘンス(ハイヘンス・ハイゲン)がレンズの製作において有名で,グレゴリー式反射鏡の製作は英国からアムステルダムを経てフリースラント州に広まり,18世紀後半には反射望遠鏡生産の中心地の一つとなりましたが,なかでもJan Pietersz van der Bildt I世はその第一人者でした.詳細はZUIDERVAARTの論文Reflecting‘Popular Culture’: The Introduction, Diffusion, and Construction of the Reflecting Telescope in the Netherlands(ANNALS OF SCIENCE, 61,2004 英文)に記述されていますが,彼は1745年から40年間のうちに少なくとも反射望遠鏡550台を製作したそうで,その大多数はグレゴリー式でした(同論文p.444-6).自分の子供がより質の劣る製品を作り始めたため,1768年頃から通し番号を入れ始めたとのこと,現存で知られているのはNo.316からLouwman collectionの536と同論文には記載されていますが,当館所蔵品No.543はそれを上回り,晩年の1770/80年代の製作でしょう.ユトレヒト大学博物館やライデンのBoerhaave博物館などにも彼の望遠鏡が所蔵されて残っているそうです.

望遠鏡を持つJan van der Bildtの肖像(フラネケル市所蔵)

 江戸時代には国友藤兵衛(一貫斎)が1834年に日本で初めて同形式の望遠鏡を製作しました.口径60mm・合成焦点距離3500mm,焦点距離50数mmの接眼レンズでは倍率70倍弱で,この中には現在でも使用に耐える反射能を残すものがあるそうです.

 私も20世紀天文少年で,反射望遠鏡を自作したり,天文ガイドという雑誌に投稿写真が掲載されたこともありました.遠い昔の話です....事の始まりは小学生低学年の頃,模型店で買ってきてくれたのでしょうか,父親がプリンス光学(いまでも営業されているのですね)の口径8cmの天体望遠鏡自作キットを,架台も木工で作ってくれたのです.鏡筒がボール紙製だっので夜露にぬれないようにと父の塗ってくれたニスの匂いが,思い起こすと鮮明に蘇ります.その説明書小冊子にザイデル収差のこと,「色消し」アクロマート・アポクロマートレンズのことが書かれていました.それから5年ほどして,高橋製作所の10cmニュートン式反射赤道儀を誕生祝に買ってもらったのを手始めに,自作・既製品を含めて社会人になるまで望遠鏡は増えて行き,よく天体写真の撮影に出かけたものでした.


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