「生協だれでも9条ネットワーク」

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【本の紹介】都立戸山高校1962年卒有志『私たちの“戦争”体験 終戦直前に生まれた世代から』

2016-06-12 13:59:50 | 本の紹介、学習の参考


<管理人より>
 こちらのブログでは、これまで役職員OBお二人分の「戦後70年に思う」というテーマの文章をご紹介してきた。
●山本邦雄さんの文章はこちら(昨年12/17掲載分)
●大野省治さんの文章はこちら(2/6掲載分)

 今回は、藤岡武義さんも寄稿された東京都立戸山高校1962年卒有志『私たちの“戦争”体験 終戦直前に生まれた世代から』をご紹介する。日生協友の会の春の交流会で頒布をされていて入手させていただいた。冒頭の写真は、体験集の自費出版の取り組みを報道した1/31付けの東京新聞の紙面のコピーと体験集の表紙。1/11付けの毎日新聞での報道の紙面のコピーとともに頒布されていた。

 報道によると、集団的自衛権行使容認に向けた解釈改憲の議論が高まっていた2014年5月、同窓会誌に「私たちの記憶を残す必要がある」と寄稿され、終戦70年の昨年2015年7月の同窓会で「本にまとめよう」との提案が同意を得たという。400人以上の同期生のうち35人が寄稿され、編集委員会により2015年12月に発行された。新聞報道もあって申し込みが増え、今年の2月に第2刷として増刷されていて、それが冒頭の表紙の分も第2刷である。

 多くの方は疎開を経験され、旧満州や朝鮮半島から引き揚げた人も多かった。藤岡さんも昭和18年6月に旧満州新京特別市(現・長春)で生まれ、父親は満州鉄道の技術者だった。当時の満鉄は国策の大会社で、植民地での生活ということもあり、今でいうメイド付きの社宅生活だったという。同じ満鉄の社宅にいた澤地久枝さんとは、父親の職位との関係で違いがあったのではないかと思えた。その関係からか、引き揚げにおいても鉄道を優先的に使えて1947年9月に引き揚げてこられたようだ。

以下、藤岡さんの文章から一部を引用してご紹介。

 わたしの現在の思想形成のうえで重要なファクターとなったもののひとつに、満州出身の引揚者だったという出自がある。他の多くの戦争被害にあわれた方に比べ、それほど過酷な幼少時を送ったとは言えないが、戦争に翻弄されたことは事実である。そして何よりも中国侵略の一員であったものの家族だったという自覚は、社会や政治を考える上で避けては通れなかった。その結果わたしは中国に対して贖罪意識を持っている。日本国民は世代を問わず植民地支配と侵略に対して謝罪すべきであり、安倍首相の、次世代に謝罪を続けさせられない、との談話は全く受け入れられない。そのことと現在の中国政府の覇権的行動への批判とは、全く別問題である。

※澤地久枝さんの著書はこちら→『14歳〈フォーティーン〉 満州開拓村からの帰還』(集英社新書)

 藤岡さんの文章のこの部分には共感至極だった。現在の中国の覇権的行動に対する反感は、安倍政権がマスコミも動員して煽っていることもあり、国民全体に広まっている。韓国の従軍慰安婦問題、中国と韓国との間の領土問題など、中国、韓国との友好関係を築く上での障害を言い立てて、日本の軍事大国化、アメリカとの安保体制の強化に利用していることは明白である。
 生協でも、中国製の冷凍ギョーザ事件で大きな打撃を受けたが、役職員は中国への植民地支配と侵略についての歴史認識をきちんとした上で、現在のビジネスの信頼関係を築くべきだと考えている。私も業務で中国の工場点検をしたことがあり、中国での生産労働の現場をこの目で見ている。日本では考えられないような労働の結果の安い商品を扱うことができていることについても、もっと痛みを感じながらすべきだと後輩の皆さんにもお伝えしたい。

 この体験集の第2刷の残部も少ないそうだが、藤岡さんの手元に数部あるとのことと、日本生協連の資料室の平和分類の書架にあるので、閲覧をおすすめしたい。
 なお、行動提起や、企画への参加報告だけでなく、このような情報提供も続けて行きたい。


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