I ▲ ロシア連邦 と旧ソ連圏の動き
・2000年 a プーチン 大統領 就任。
国内経済の安定と政権の強化に努める。 → 新興財閥の解体、石油・ガス資源の掌握などに成功。
b チェチェン紛争 1994年から続く。強硬姿勢をとり軍事作戦を再開。
・2003年 c グルジア のバラ革命 経済悪化に伴う混乱でシュワルナゼ大統領辞任。
→ 親欧米派のサアカシュヴィリ大統領が新大統領に選出される。
ロシア系住民の多いアブハジア、南オセチアの分離運動起こる。
・2004年 d ウクライナ の オレンジ革命 民主的な大統領選挙を実現。ロシアの影響弱まる。
→ ロシアとの対立強まる。
同 年 チェチェンでイスラーム過激派によるベスラン学校占拠事件起きる。プーチン政権が軍事制圧。
・2008年 ロシア、メドベージェフ大統領就任。a プーチン は首相として影響力を残す。
2008年 c グルジア が南オセチアに侵攻。ロシアも反撃。e グルジア問題 の深刻化。
国内経済の安定と政権の強化に努める。 → 新興財閥の解体、石油・ガス資源の掌握などに成功。
b チェチェン紛争 1994年から続く。強硬姿勢をとり軍事作戦を再開。
・2003年 c グルジア のバラ革命 経済悪化に伴う混乱でシュワルナゼ大統領辞任。
→ 親欧米派のサアカシュヴィリ大統領が新大統領に選出される。
ロシア系住民の多いアブハジア、南オセチアの分離運動起こる。
・2004年 d ウクライナ の オレンジ革命 民主的な大統領選挙を実現。ロシアの影響弱まる。
→ ロシアとの対立強まる。
同 年 チェチェンでイスラーム過激派によるベスラン学校占拠事件起きる。プーチン政権が軍事制圧。
・2008年 ロシア、メドベージェフ大統領就任。a プーチン は首相として影響力を残す。
2008年 c グルジア が南オセチアに侵攻。ロシアも反撃。e グルジア問題 の深刻化。
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ソ連崩壊後の新しい東欧諸国

旧ソ連
a. エストニア b. ラトヴィア
c. リトアニア d. ベラルーシ
e. ウクライナ f. モルドバ
旧チェコスロヴァキア
g. チェコ h. スロヴァキア
旧ユーゴスラヴィア
i. スロヴェニア j. クロアチア
k. ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
l. セルビア m. モンテネグロ
n. マケドニア o. コソヴォ
oは未承認国多く、国連にも未加盟。
1.中国
A 文化大革命 の行き詰まり 1966年から混乱続く
・1971年 a 林彪事件 b 林彪 、毛沢東の排除を画策し失敗、ソ連に亡命途中、墜落死。
→ c 鄧小平 ら旧幹部の復権。文革派と反文革派の抗争続く。
→ 同年、国連代表権承認される。72年、 ニクソン訪中 。日中国交正常化。
1973年 毛沢東、d 批林批孔 運動を提唱。四人組による周恩来追い落としがねらいか。
→ c 鄧小平 ら旧幹部の復権。文革派と反文革派の抗争続く。
→ 同年、国連代表権承認される。72年、 ニクソン訪中 。日中国交正常化。
1973年 毛沢東、d 批林批孔 運動を提唱。四人組による周恩来追い落としがねらいか。
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B 天安門事件 (第1次)
・1976年1月 a 周恩来 首相の死 → 文化大革命・毛沢東への批判強まる。
同 年4月4日~5日 a 周恩来 追悼集会に集まった民衆に四人組の指令で軍が発砲。
→ b 鄧小平 、また失脚。文化大革命への民衆の不満強まる。
同 年4月4日~5日 a 周恩来 追悼集会に集まった民衆に四人組の指令で軍が発砲。
→ b 鄧小平 、また失脚。文化大革命への民衆の不満強まる。
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C 文化大革命の終了
・1976年9月 a 毛沢東 が死去。
→ b 華国鋒 首相、毛沢東未亡人のc 江青 ら、文化大革命指導者(四人組)を逮捕。
1977年 a 華国鋒 首相が文化大革命の終了を宣言。犠牲者の名誉回復。
→ b 華国鋒 首相、毛沢東未亡人のc 江青 ら、文化大革命指導者(四人組)を逮捕。
1977年 a 華国鋒 首相が文化大革命の終了を宣言。犠牲者の名誉回復。
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D 鄧小平 の復権 毛沢東の死後、1977年に復権。
・1978年 中国共産党11期3中全会 a 改革開放 に転換。華国鋒は自己批判し失脚。
b 「四つの現代化」 を推進。(周恩来が提起したものを、再提起したもの) 内容:c 国防・工業・農業・科学技術 の育成をはかる。 意義:文化大革命による、社会の混乱を修復し、生産を高める方向に転じる。 ・国際社会への復帰 1979年 ▲d 米中国交正常化 アメリカ(カーター大統領)、e 台湾 と断交。 同 年 ▲f 経済特区 を設置。外国資本と技術を導入し合弁企業の税制優遇。 同 年 カンボジア問題で対立し、ベトナムに侵攻、g 中越戦争 を起こす。 同 年 h 中ソ友好同盟相互援助条約 失効をソ連に通告。翌年失効。 |
![]() D 鄧小平 |
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E 鄧小平政権 1981年~1994年
・1981年 ▲a 胡耀邦 党主席、b 趙紫陽 首相。c 鄧小平 は最高実力者となる。
1982年 憲法を改正し、「四つの現代化」を国家目標として掲げる。
1985年 d 人民公社の解体 、農業生産の請負制、外国資本、技術の導入による開放経済、
国営企業の独立採算制など、e 社会主義市場経済 化を進める。
→ ソ連との関係修復。一方で保守派との対立激しくなり、87年a 胡耀邦 解任。
1989年 ソ連のf ゴルバチョフ 大統領の訪中 →関係修復され、中ソ対立が解消される。
1982年 憲法を改正し、「四つの現代化」を国家目標として掲げる。
1985年 d 人民公社の解体 、農業生産の請負制、外国資本、技術の導入による開放経済、
国営企業の独立採算制など、e 社会主義市場経済 化を進める。
→ ソ連との関係修復。一方で保守派との対立激しくなり、87年a 胡耀邦 解任。
1989年 ソ連のf ゴルバチョフ 大統領の訪中 →関係修復され、中ソ対立が解消される。
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F 天安門事件 (第2次)
情勢 急速な近代化政策で市民の権利意識向上するも、政治改革は進まず。そこにa 東欧革命 の動き伝わる。
・b 1989 年6月 北京で学生、労働者の「動乱」起こる。戒厳令が敷かれ、軍隊が出動して鎮圧。
原因:c 「民主化なき経済改革」への不満、共産党一党支配に対する民主化要求が高揚した。
d 趙紫陽 は解任、e 江沢民 総書記となる。アメリカなど、共産党政府の人権抑圧を批判。
※補足:
・b 1989 年6月 北京で学生、労働者の「動乱」起こる。戒厳令が敷かれ、軍隊が出動して鎮圧。
原因:c 「民主化なき経済改革」への不満、共産党一党支配に対する民主化要求が高揚した。
d 趙紫陽 は解任、e 江沢民 総書記となる。アメリカなど、共産党政府の人権抑圧を批判。
※補足:
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Text p.366
G 江沢民 の政治 1993年より国家主席。
・1990年 ASEAN諸国と国交正常化。
1993年 ▲憲法を改正。a 社会主義市場経済 ※を基本方針として盛り込む。
※b 政治面では共産党一党独裁を維持しながら、経済面では市場経済化を進める。
・1997年7月 鄧小平死去。イギリスよりc 香港返還 される。→▲d 一国二制度 をとる。
1999年 ポルトガルより▲e マカオ返還 される。
・価格の自由化、国営企業の民営化など市場経済導入を推進、積極的にIT化を進める。
→ 中国経済、急速に発展。
1993年 ▲憲法を改正。a 社会主義市場経済 ※を基本方針として盛り込む。
※b 政治面では共産党一党独裁を維持しながら、経済面では市場経済化を進める。
・1997年7月 鄧小平死去。イギリスよりc 香港返還 される。→▲d 一国二制度 をとる。
1999年 ポルトガルより▲e マカオ返還 される。
・価格の自由化、国営企業の民営化など市場経済導入を推進、積極的にIT化を進める。
→ 中国経済、急速に発展。
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・現在の中国 2001年 ▲a WTO(世界貿易機構) 加盟。
2003年 b 胡錦涛 主席となる。
2005年7月 対米輸出の増加 → アメリカの要請で、▲通貨c 元 を切り上げ。
2008年 北京オリンピック開催。
2010年 上海万博開催。 同年10月 民主化運動指導者で獄中の劉暁波、ノーベル平和賞受賞。
2011年3月 GDP、日本を抜いて世界第2位となる。
2003年 b 胡錦涛 主席となる。
2005年7月 対米輸出の増加 → アメリカの要請で、▲通貨c 元 を切り上げ。
2008年 北京オリンピック開催。
2010年 上海万博開催。 同年10月 民主化運動指導者で獄中の劉暁波、ノーベル平和賞受賞。
2011年3月 GDP、日本を抜いて世界第2位となる。
2.アジア・アフリカ諸国
A. モンゴル国 ソ連解体に伴い、社会主義体制から離脱。
・1990年 モンゴル人民共和国、自由選挙を実施。
1992年 国名をモンゴル国とする。
1992年 国名をモンゴル国とする。
B. ベトナム ベトナム戦争の終結 → 76年、ベトナム社会主義共和国。
・中国との対立
1978年 a カンボジアに侵攻 、ポル=ポト政権を排除。 → 中国と対立強まる。
1979年 中国軍が越境、b 中越戦争 起こる。 → 経済悪化、南部ベトナム人の難民化。
・c ドイモイ(刷新) 政策への転換
1986年 市場開放政策に転換。原油生産など増加。経済の活性化を目指す。
1995年 d ASEAN に加盟。さらに アメリカとの国交正常化 に踏み切る。
1978年 a カンボジアに侵攻 、ポル=ポト政権を排除。 → 中国と対立強まる。
1979年 中国軍が越境、b 中越戦争 起こる。 → 経済悪化、南部ベトナム人の難民化。
・c ドイモイ(刷新) 政策への転換
1986年 市場開放政策に転換。原油生産など増加。経済の活性化を目指す。
1995年 d ASEAN に加盟。さらに アメリカとの国交正常化 に踏み切る。
C. カンボジア
・a ポル=ポト政権 1976年 成立。 民主カンプチアと称す。
→ 農業を基盤とした共産主義社会の建設を強行、都市住民の多数が虐殺される。
1978年 b ベトナム軍 が、反ポル=ポト派を支援してカンボジアに侵攻。
・内戦の激化
1979年 首都プノンペンを制圧。カンボジア人民共和国成立(c ヘン=サムリン 元首)。
→ 中国、民主カンプチアを支援し、ベトナムに侵攻(d 中越戦争 )。
政府軍(ヘン=サムリン派)とシハヌーク派・ポル=ポト派など三派が対立。
e カンボジア内戦 が続く。→カンボジア難民、タイなど周辺諸国に大量流出。
1989年 ベトナム軍、カンボジアから撤退。
・和平の成立
1991年 パリ和平会議でf カンボジア和平協定 調印。各派が最高国民評議会を組織。
→ 国連のg カンボジア暫定統治機構(UNTAC) (代表明石康)が監視。
1993年 総選挙実施 国連のh PKO活動 による運営 日本の自衛隊が参加。
→ カンボジア王国(i シハヌーク 国王)成立、議会政治(首相フン=セン)始まる。
1998年 ポル=ポト死去。ポル=ポト派壊滅する。
→ 農業を基盤とした共産主義社会の建設を強行、都市住民の多数が虐殺される。
1978年 b ベトナム軍 が、反ポル=ポト派を支援してカンボジアに侵攻。
・内戦の激化
1979年 首都プノンペンを制圧。カンボジア人民共和国成立(c ヘン=サムリン 元首)。
→ 中国、民主カンプチアを支援し、ベトナムに侵攻(d 中越戦争 )。
政府軍(ヘン=サムリン派)とシハヌーク派・ポル=ポト派など三派が対立。
e カンボジア内戦 が続く。→カンボジア難民、タイなど周辺諸国に大量流出。
1989年 ベトナム軍、カンボジアから撤退。
・和平の成立
1991年 パリ和平会議でf カンボジア和平協定 調印。各派が最高国民評議会を組織。
→ 国連のg カンボジア暫定統治機構(UNTAC) (代表明石康)が監視。
1993年 総選挙実施 国連のh PKO活動 による運営 日本の自衛隊が参加。
→ カンボジア王国(i シハヌーク 国王)成立、議会政治(首相フン=セン)始まる。
1998年 ポル=ポト死去。ポル=ポト派壊滅する。
D. エチオピア
・a ハイレ=セラシェ 皇帝の専制のもと、貴族制度を維持。
・1974年 b エチオピア革命 軍が蜂起、皇帝廃止、社会主義を宣言。経済改革に失敗。
・1974年 b エチオピア革命 軍が蜂起、皇帝廃止、社会主義を宣言。経済改革に失敗。
Text p.367
1991年 エリトリア解放戦線など反政府勢力により社会主義政権倒される。E. 朝鮮民主主義人民共和国 a 金日成 独自の社会主義= 主体(チュチェ)思想 を掲げる。
1980年代 韓国とも対話を模索。(韓国については17章3節参照)。
一方で83年のラングーン事件、87年の大韓航空機事件などテロ、破壊工作を行う。
1991年 南北同時にb 国際連合加盟 。
・c 金正日 、 1994年a 金日成 死去にともない後継者として権力握る。98年、国家元首。
2000年6月 韓国大統領d 金大中 の北朝鮮訪問。初の両首脳会談。
2002年9月 日本の小泉首相、北朝鮮訪問。 平壌宣言 を発表。北朝鮮が日本人拉致を認める。
2003年1月 e 核拡散防止条約(NPT) からの脱退を宣言。 IAEA の査察を拒否。
→ 北朝鮮の核開発問題で、米・中・韓国・ロシア・日本とのf 六者協議 が始まる。
2003年 北朝鮮、日本人拉致被害者を帰国させる。
・核開発問題
2005年 北朝鮮、核開発を認める。7月 f 六者協議 を再開、核放棄で合意。
→ アメリカの金融封鎖に反発し、協議を離脱。
2006年10月9日 g 核実験 を強行 → 国連安保理の非難決議。
2010年11月 北朝鮮、韓国の延坪島を砲撃。朝鮮戦争停戦以来の直接砲撃を加える。
一方で83年のラングーン事件、87年の大韓航空機事件などテロ、破壊工作を行う。
1991年 南北同時にb 国際連合加盟 。
・c 金正日 、 1994年a 金日成 死去にともない後継者として権力握る。98年、国家元首。
2000年6月 韓国大統領d 金大中 の北朝鮮訪問。初の両首脳会談。
2002年9月 日本の小泉首相、北朝鮮訪問。 平壌宣言 を発表。北朝鮮が日本人拉致を認める。
2003年1月 e 核拡散防止条約(NPT) からの脱退を宣言。 IAEA の査察を拒否。
→ 北朝鮮の核開発問題で、米・中・韓国・ロシア・日本とのf 六者協議 が始まる。
2003年 北朝鮮、日本人拉致被害者を帰国させる。
・核開発問題
2005年 北朝鮮、核開発を認める。7月 f 六者協議 を再開、核放棄で合意。
→ アメリカの金融封鎖に反発し、協議を離脱。
2006年10月9日 g 核実験 を強行 → 国連安保理の非難決議。
2010年11月 北朝鮮、韓国の延坪島を砲撃。朝鮮戦争停戦以来の直接砲撃を加える。
F.▲ チベット問題 1951年 中国軍、チベット東部に進駐。
・a チベットの反乱 が起きる。1959年。
→ 60年 b ダライ=ラマ14世 、インドのダラムサラにチベット亡命政府を樹立。
・c 中印国境紛争 起きる。1962年 (以上、前出)
・中国による統治
1965年 中国の「チベット自治区」成立。社会主義化を進める。
1989年 亡命政府b ダライ=ラマ14世 にノーベル平和賞。
1990年代 中国=インド関係の修復進む。
2003年 インドのマジパイ首相の訪中。チベットを中国領と見なす。
2008年3月 チベットで暴動起こる。
・同年 中国西部のd 新疆ウイグル自治区 でも、分離独立運動によるテロ事件が起きる。
→ 60年 b ダライ=ラマ14世 、インドのダラムサラにチベット亡命政府を樹立。
・c 中印国境紛争 起きる。1962年 (以上、前出)
・中国による統治
1965年 中国の「チベット自治区」成立。社会主義化を進める。
1989年 亡命政府b ダライ=ラマ14世 にノーベル平和賞。
1990年代 中国=インド関係の修復進む。
2003年 インドのマジパイ首相の訪中。チベットを中国領と見なす。
2008年3月 チベットで暴動起こる。
・同年 中国西部のd 新疆ウイグル自治区 でも、分離独立運動によるテロ事件が起きる。
G.▲ 中央アジア 1991年 旧ソ連の5ヵ国が独立宣言。
・ ウズベキスタン共和国 ・ カザフスタン共和国 ・ キルギス共和国 ・ タジキスタン共和国 ・
トルクメニスタン共和国 の西トルキスタン5ヵ国 → CIS(独立国家共同体)に加盟。
トルクメニスタン共和国 の西トルキスタン5ヵ国 → CIS(独立国家共同体)に加盟。
・補足:中央アジア諸国の現状