Text p.362
A ソ連社会の停滞
・1970年代の ソ連 a ブレジネフ 体制が続く。絶対的権力を握る。
西側とのb デタント を実現するが、農業生産力の低下、電子産業部門での立ち後れなど表面化。
1977年 最高会議幹部会議長を兼任。 → 経済成長の鈍化、言論の抑圧など停滞が続く。
・▲c 反体制知識人 に対する弾圧を強める。
d サハロフ 「水爆の父」と言われたが反核に転じ、75年ノーベル賞受賞。80年に軟禁される。
e ソルジェニーツィン 『イワン=デニーソヴィッチの一日』でノーベル文学賞受賞。74年、追放。
西側とのb デタント を実現するが、農業生産力の低下、電子産業部門での立ち後れなど表面化。
1977年 最高会議幹部会議長を兼任。 → 経済成長の鈍化、言論の抑圧など停滞が続く。
・▲c 反体制知識人 に対する弾圧を強める。
d サハロフ 「水爆の父」と言われたが反核に転じ、75年ノーベル賞受賞。80年に軟禁される。
e ソルジェニーツィン 『イワン=デニーソヴィッチの一日』でノーベル文学賞受賞。74年、追放。
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B アフガニスタン 情勢
・1973年 王政廃止。共産勢力の人民民主党が台頭。ソ連との連携強まる。
1978年 クーデターでアフガニスタン共産主義政権が成立。しかし内部対立から政権不安定となる。
・1979年 ソ連軍、a アフガニスタン侵攻 。制限主権論に基づく共産主義政権の支援を口実にする。
→ 反政府ゲリラの抵抗により、苦戦が続く。アラブ諸国も反政府活動を支援。国際世論も反発。
→ 1980年 アメリカ・日本などがb モスクワ=オリンピック をボイコット。
・この結果、70年代のデタントは終結し、c 「新冷戦」 に転換。
→ アメリカ合衆国のレーガン政権、SDI構想を発表、米ソ軍拡競争が再燃。
1982年11月 d ブレジネフ 死去 → 後継者アンドロポフ、チェルネンコ、相次いで死去。
→ 改革の機運高まる。
1978年 クーデターでアフガニスタン共産主義政権が成立。しかし内部対立から政権不安定となる。
・1979年 ソ連軍、a アフガニスタン侵攻 。制限主権論に基づく共産主義政権の支援を口実にする。
→ 反政府ゲリラの抵抗により、苦戦が続く。アラブ諸国も反政府活動を支援。国際世論も反発。
→ 1980年 アメリカ・日本などがb モスクワ=オリンピック をボイコット。
・この結果、70年代のデタントは終結し、c 「新冷戦」 に転換。
→ アメリカ合衆国のレーガン政権、SDI構想を発表、米ソ軍拡競争が再燃。
1982年11月 d ブレジネフ 死去 → 後継者アンドロポフ、チェルネンコ、相次いで死去。
→ 改革の機運高まる。
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C ゴルバチョフ政権
1985年3月 a ゴルバチョフ 共産党書記長に就任。
・内政:情報公開(b グラスノスチ )と改革(c ペレストロイカ )を掲げる。 1986年 d チェリノブイリ原子力発電所 の放射能漏れ事故おこる。 → 約30万人が死亡。ソ連社会の管理体制の欠陥が明らかにされる。 1989年 複数候補者制選挙による連邦人民代議員大会・連邦最高会議制が実現。 1990年 共産党の指導に代わり、e 大統領制 に移行 初代大統領となる。 → 社会主義計画経済から、f 市場経済 への移行に踏み切る。 Text p.362 ・外交:アメリカとの協調と軍縮の進展につとめる。(g 「新思考外交」 を唱える。)1987年 アメリカ(レーガン大統領)との間でh INF全廃条約 調印(前出)。 |
![]() a ゴルバチョフ |
1988年 i 新ベオグラード宣言 各国それぞれの社会主義を容認。
→ ソ連邦を構成する諸民族の自立・分離要求強まる。
→ j バルト三国 、グルジアなど分離要求強まる。
1988年 k アフガニスタン撤退 開始。 → 89年に撤退完了。
・1989年5月 中国訪問し、 中ソ関係正常化 。 → 56年以来の中ソ対立終わる。
同 年12月 l マルタ会談 でアメリカ大統領m ブッシュ と会談しn 冷戦終結 を声明。
背景:同年のo 東欧革命 による東欧社会主義圏の消滅。
→ ソ連邦を構成する諸民族の自立・分離要求強まる。
→ j バルト三国 、グルジアなど分離要求強まる。
1988年 k アフガニスタン撤退 開始。 → 89年に撤退完了。
・1989年5月 中国訪問し、 中ソ関係正常化 。 → 56年以来の中ソ対立終わる。
同 年12月 l マルタ会談 でアメリカ大統領m ブッシュ と会談しn 冷戦終結 を声明。
背景:同年のo 東欧革命 による東欧社会主義圏の消滅。
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D ソヴィエト連邦の崩壊
・1991年8月 ソ連のa 保守派クーデタ 失敗する。ゴルバチョフ、b ソ連共産党解散 を宣言。
・f エリツィン 政権下のロシア連邦
→ 急激な市場経済化により経済が混乱。1998年、ロシア経済危機に陥る。
同 年9月 c バルト三国 = エストニア・ラトヴィア・リトアニア、 ウクライナ、ベラルーシ、グルジア、アゼルバイジャン、アルメニアが 次々と独立宣言。中央アジア5ヵ国も独立宣言(後出)。 同 年12月 d ロシア・ウクライナ・ベラルーシ の三国首脳、ソ連邦解体を宣言、 e 独立国家共同体(CIS) ※を結成。旧ソ連の11ヵ国が加盟。 → ロシアはロシア連邦と改称し、大統領にf エリツィン が就任。(右図) ※1993年にグルジアが加盟し、12ヵ国となる。 意義:1922年以来のC ソ連の崩壊 。15の独立国家に分かれる。 同時に、g 社会主義を放棄し、資本主義(市場経済)に移行した。 レニングラードをh サンクトペテルブルク の名称に戻す。 |
![]() f エリツィン |
→ 急激な市場経済化により経済が混乱。1998年、ロシア経済危機に陥る。
Text p.364
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A ポーランド民主化
社会主義政権の食品値上げに対する抗議ストライキが広がる。
・1980年 a ワレサ を指導者とする労働者は、自主管理労組b 「連帯」 を組織。
1981年 ヤルゼルスキ 首相、戒厳令により、b 「連帯」 を非合法化。
1988年 政治活動の自由と賃上げを要求した炭鉱と港湾の労働者、スト突入。
・1980年 a ワレサ を指導者とする労働者は、自主管理労組b 「連帯」 を組織。
1981年 ヤルゼルスキ 首相、戒厳令により、b 「連帯」 を非合法化。
1988年 政治活動の自由と賃上げを要求した炭鉱と港湾の労働者、スト突入。
▼B ベルリンの壁 の開放
a 東ドイツ 社会主義経済の停滞、言論統制に対する不満が強まる。
・1989年夏、多くの東ドイツ市民がハンガリー経由で西側に逃れる。 → 9月 民主化の進んだがハンガリーがオーストリアとの国境を開放。 → 10月 西側への亡命者の急増。政府、統制とれなくなる。 → 社会主義統一党a ホネカー 書記長退陣。 同 年11月 政府、出国の自由を自由化発表、b 「ベルリンの壁」 開放。 → 市民の手によって壁が壊され、東西ドイツ間の自由な往来が可能となる。 ▼ |
![]() B ベルリンの壁 の開放 |
C 1989年 ▲a 東欧革命 の展開
・b ハンガリー 1月、複数政党承認など民主化始まる。9月、オーストリアとの国境を開放。
・c ポーランド 6月 東欧初の自由選挙でd 連帯 が圧勝。
9月 非共産党政権のマゾビエツキ内閣成立。 → 90年、e ワレサ 大統領就任。
・f チェコスロヴァキア 11月 共産党フサーク政権倒れ、 ハヴェル 大統領就任。
→ 93年 連邦制が解体 され、チェコとスロヴァキアに分離。
・g ブルガリア 共産党のジフコフ政権倒れ、民主化進む。
・h ルーマニア 12月 独裁者i チャウシェスク 政権、倒される。
まとめ:東欧諸国の革命で実現したこと
・j 社会主義体制にかわり市場経済、複数政党制による議会制度の導入などの民主化を実現させた 。
・k 社会主義圏が解体したことによって、東西冷戦が終わった 。
→ 1989年12月 米ソ首脳によるl マルタ会談 で、m 冷戦の終結 を宣言。(前出)
・c ポーランド 6月 東欧初の自由選挙でd 連帯 が圧勝。
9月 非共産党政権のマゾビエツキ内閣成立。 → 90年、e ワレサ 大統領就任。
・f チェコスロヴァキア 11月 共産党フサーク政権倒れ、 ハヴェル 大統領就任。
→ 93年 連邦制が解体 され、チェコとスロヴァキアに分離。
・g ブルガリア 共産党のジフコフ政権倒れ、民主化進む。
・h ルーマニア 12月 独裁者i チャウシェスク 政権、倒される。
まとめ:東欧諸国の革命で実現したこと
・j 社会主義体制にかわり市場経済、複数政党制による議会制度の導入などの民主化を実現させた 。
・k 社会主義圏が解体したことによって、東西冷戦が終わった 。
→ 1989年12月 米ソ首脳によるl マルタ会談 で、m 冷戦の終結 を宣言。(前出)
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D ドイツ統一
・東ドイツの自由選挙で、早期統一を主張する連合党派が勝利。
・1990年3月 東西ドイツ統一条約成立。 10月3日に正式に統一。
背景:西ドイツがアメリカ、イギリス、フランスの同意を得、ソ連も経済援助と引き替えに統一承認。
内容:a 西ドイツが東ドイツを吸収する形で統一された。
= 統一国家b ドイツ連邦共和国 となる。首都はベルリン。首相はコール(前出)。
・1990年3月 東西ドイツ統一条約成立。 10月3日に正式に統一。
背景:西ドイツがアメリカ、イギリス、フランスの同意を得、ソ連も経済援助と引き替えに統一承認。
内容:a 西ドイツが東ドイツを吸収する形で統一された。
= 統一国家b ドイツ連邦共和国 となる。首都はベルリン。首相はコール(前出)。
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E 社会主義圏の消滅
・▲a アルバニア 1990~91年 イタリアへの大量脱出。91年 新憲法で社会主義放棄。
・1991年 b ソヴィエト連邦 の崩壊(前述)
→ c コメコン とd ワルシャワ条約機構 いずれも解消される。
・1991年 b ソヴィエト連邦 の崩壊(前述)
→ c コメコン とd ワルシャワ条約機構 いずれも解消される。
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Text p.365
F ユーゴスラヴィアの解体
・1980年 a ティトー 大統領死去 → 経済不振と民族・宗教対立が表面化。
・1991年6月 b クロアチア ・c スロヴェニア 独立宣言、セルビア人がそれを認めず。
→ d ユーゴスラヴィア内戦 勃発。
9月 e マケドニア も分離独立。
・1992年 f ボスニア・ヘルツェゴヴィナ 独立宣言。
→ g セルビア ・h モンテネグロ は新ユーゴスラヴィア連邦を結成する。
→ i ボスニア内戦 に突入。セルビア軍によるムスリム人に対する 民族浄化 が行われ非難起こる。
・1995年 アメリカ軍主力のj NATO 軍、セルビア勢力を空爆。 → 和平成立。※補足:
・1991年6月 b クロアチア ・c スロヴェニア 独立宣言、セルビア人がそれを認めず。
→ d ユーゴスラヴィア内戦 勃発。
9月 e マケドニア も分離独立。
・1992年 f ボスニア・ヘルツェゴヴィナ 独立宣言。
→ g セルビア ・h モンテネグロ は新ユーゴスラヴィア連邦を結成する。
→ i ボスニア内戦 に突入。セルビア軍によるムスリム人に対する 民族浄化 が行われ非難起こる。
・1995年 アメリカ軍主力のj NATO 軍、セルビア勢力を空爆。 → 和平成立。※補足:
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G コソヴォ紛争
・1998年 アルバニア系住民の独立運動をa セルビア 共和国が抑圧。
1999年 アメリカ主体のb NATO 軍、人道的介入と称してベオグラードなどを空爆。
→ a セルビア 共和国のミロシェヴィッチ政権、選挙で倒れ、和平の機運進む。
1999年 アメリカ主体のb NATO 軍、人道的介入と称してベオグラードなどを空爆。
→ a セルビア 共和国のミロシェヴィッチ政権、選挙で倒れ、和平の機運進む。
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H 東欧の最近の動き
・a NATOの東方拡大 以下の諸国が加盟 → 全欧州の安全保障機構となる。
1999年 チェコ・ポーランド・ハンガリー
2004年 エストニア・ラトヴィア・リトアニア・スロヴァキア・スロヴェニア・ルーマニア・ブルガリア
2009年 クロアティア・アルバニア
・b ヨーロッパ連合(EU) の拡大 27カ国体制となる
2004年 c バルト三国とポーランド・チェコ・スロヴァキア・ハンガリー・スロヴェニア
2007年 d ルーマニア・ブルガリア
・▲新国家の誕生
2003年 新ユーゴスラヴィア連邦を解消して、セルビア=モンテネグロの二国連合国家となる。
2006年 e モンテネグロ が独立。ユーゴスラヴィア連邦、完全に消滅する。
2008年 f コソヴォ共和国 独立宣言。ロシア、セルビアは未承認。国連にも未加盟。
1999年 チェコ・ポーランド・ハンガリー
2004年 エストニア・ラトヴィア・リトアニア・スロヴァキア・スロヴェニア・ルーマニア・ブルガリア
2009年 クロアティア・アルバニア
・b ヨーロッパ連合(EU) の拡大 27カ国体制となる
2004年 c バルト三国とポーランド・チェコ・スロヴァキア・ハンガリー・スロヴェニア
2007年 d ルーマニア・ブルガリア
・▲新国家の誕生
2003年 新ユーゴスラヴィア連邦を解消して、セルビア=モンテネグロの二国連合国家となる。
2006年 e モンテネグロ が独立。ユーゴスラヴィア連邦、完全に消滅する。
2008年 f コソヴォ共和国 独立宣言。ロシア、セルビアは未承認。国連にも未加盟。
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