▲周敦頤
北宋の儒学者。道家(どうか)思想と仏教哲学(禅宗)を導入しながら、易経と中庸に基づく道徳論を宇宙哲学の立場から基礎付けた。
朱熹により宋学の祖と称された。著書に『太極(たいきょく)図説』がある。
●周敦頤
ベック式ゴロ合わせ暗記法!
僧(そう)が対局 周到(しゅうとう)に。
宋学 『太極図説』 周敦頤
▲周敦頤
北宋の儒学者。道家(どうか)思想と仏教哲学(禅宗)を導入しながら、易経と中庸に基づく道徳論を宇宙哲学の立場から基礎付けた。
朱熹により宋学の祖と称された。著書に『太極(たいきょく)図説』がある。
●周敦頤
ベック式ゴロ合わせ暗記法!
僧(そう)が対局 周到(しゅうとう)に。
宋学 『太極図説』 周敦頤
▲甘粛省の敦煌市の位置
中国甘粛(かんしゅく)省西端にあるオアシス都市。前漢の武帝が郡をおいてから西域への要衝となった。
4世紀以降に建造された莫高窟(ばっこうくつ)と呼ばれる石窟寺院は壁画や仏像で名高く、
五胡十六国時代には独立国家を形成したが、これ以後、漢民族と西域諸民族の間で争奪が繰り返された。
19世紀末には「敦煌文書」も発見された。
▼莫高窟
▼莫高窟の壁画「張騫の征西」
《敦煌の緯度》
敦煌の緯度は秋田市と同じ北緯40度である。
北緯40度の都市は他に中国の首都北京、スペインの首都マドリード、トルコの首都アンカラやイラン・中央アジアにおける最も重要な都市のひとつであったブハラなどがある。敦煌の位置を覚える際の参考に!
地図問題 ●m、n、o、pの遺跡名を答えよ。ちなみに●f は平城(現在の大同)、●gは洛陽である。 正解は図の下▼
解答 ●m. 雲崗、n. 竜門、o. 敦煌、p. 広開土王碑
問題2. 次の図A. B. C.の中「から敦煌石窟寺院の像を選べ。
A.
B.
C.
正解 A.
解説 Bは雲崗の C.は竜門の石窟寺院。中国風。
中国で石窟寺院と石仏が流行したのは、廃仏の際に木造建築のお寺や木彫の仏像だと焼かれてしまうことを避けたからである。
北魏の太武帝の時の廃仏の後、仏教は復興するが、文成帝の時には都の平城(大同)の郊外の雲崗、孝文帝の時には遷都した先の洛陽の郊外の竜門にそれぞれ石窟寺院がつくられ、石仏がまつられた。
なお敦煌は西域の入り口にあり、砂漠地帯なので最初から石窟寺院としてつくられたが、仏像は塑像(粘土作り)である。
また、雲崗の仏像はインドの影響が強く、竜門になると中国風の独自性が強くなることにも注目しよう。
イングランド王(在位1413~22)。テューダー朝の始祖。ランカスター家の血を引く。ヨーク朝のリチャード3世を破って王位に就き、ヨーク家のエドワード4世の娘と結婚して薔薇戦争を終らせた。また星室庁を設け、絶対王政の基礎を築いた。
●テューダー朝
こう暗記!
意志はGo!って 変な王。
1485年 テューダー朝
ヘンリ7世 絶対王政
テューダー朝の国王 テューダー朝の国王は
変な部屋エロ メアリエリ。
ヘンリ7世
ヘンリ8世
エドワード6世
メアリ1世
エリザベス1世
と覚えよう。
アメリカの第35代大統領(在職1961~63)。
1946年下院議員。52年上院議員となり、60年民主党より大統領に当選。
選挙で選ばれた最年少の大統領として43歳で就任、初のカトリックの大統領でもある。アメリカの威信回復のため、「ニューフロンティア精神」を提唱。
61年1月、キューバのカストロ首相の国交回復の呼びかけを拒否し、CIA(アメリカ中央情報局)の支援で反革命軍をキューバに上陸させたが失敗した。
またこの年、ベルリン問題の対立から東ドイツが東西ベルリンの境界に「ベルリンの壁」を構築し、これを契機に東西の核兵器開発競争が再開した。
62年10月に起ったキューバ危機の後、ソ連のフルシチョフ首相と交渉して東西の緊張緩和に転じ米英ソ3国の部分的核実験停止条約を締結した。
◆ニキータ=フルシチョフ首相
国内的には宇宙開発、黒人の差別待遇廃止などに意欲的であったが、63年11月にテキサス州のダラスを遊説中に狙撃されて死亡した。
暗殺者も暴漢に射殺されたため、事件の背後関係はわかっていない。
●キューバ危機
ベック式暗記法!
人急務にて 懸念(けねん)フル。
1962年 キューバ危機 ケネディ フルシチョフ
イングランド王(在位1199~1216)。1199年、兄リチャード1世の戦死によりプランタジネット朝第3代の国王に即位。1204年王位継承権をめぐってカペー朝のフランス王フィリップ2世と争い、北フランスのノルマンディー地方などを失った。さらにカンタベリ司教の任命ををめぐり、教皇インノケンティウス3世と争って破門され、11年には王位も剥奪された。これに屈して国土をローマ教皇に献じ、あらためて封土として受けて臣従を誓わせられ、国威を損じた。国内でも重税を課して貴族・国民の反感を買い、1215年、マグナ‐カルタ(大憲章)の発布を余儀なくされた。
欠地王 父ヘンリ2世が末子のジョンに領土を与えなかったことから「欠地王(John the Lackland)」と呼ばれる。
●マグナ=カルタ
ベック式暗記法!
人に一言(いちごん) 意見しよ。
1215年 インノケンティウス3世
大憲章 ジョン
1世紀末頃、クメール人がメコン川下流域のデルタ地帯を支配し、稲作で栄えた。
インドの制度・文物を輸入し、インドや中国との海上貿易で繁栄、外港のオケオは交易の拠点として栄え、ローマ金貨などを出土した。
4世紀からインド化が進んだが、6世紀に北方に興った真臘(しんろう)の圧迫を受け、7世紀半ばに滅亡した。
●扶南
ベック式暗記法!
一抹(いちまつ)不安 組めるかな。
1世紀末 扶南 クメール人
メコン川下流
カンボジア
海上貿易
~7世紀
中央アジア、アム川上流のイラン系のクシャーナ族が建てた王朝。
45年頃、族長のクジュラ=カドフィセスは服属していた大月氏を滅ぼして独立。
中央アジアから西北インドまでを支配した。
130年頃、カニシカ王が出て西北インドを中心にガンジス川中流域から東トルキスタンに及ぶ領土を支配して首都をプルシャプラ(現在のペシャワール)に置き、この国の全盛期をつくった。
この王朝の下で大乗仏教とガンダーラ美術が形成された。3世紀西方にササン朝ペルシアが建国されると、これに圧迫され衰退した。
プルシャプラ カニシカ王によって置かれた都のプルシャプラはクシャーナ朝と〈シャ〉が共通していることを意識して覚えると効果的。ついでにクシャーナ朝を衰退させたササン朝の王も〈シャ〉のつくシャープール1世である。
●クシャーナ朝
ベック式暗記法!
横から大きな くしゃみする。
45年 大月氏から独立
クシャーナ朝
クジュラ=カドフィセス
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5世紀前半に活躍した古典サンスクリット文学爛熟期のインドの詩人。グプタ朝の最盛期チャンドラグプタ2世の宮廷詩人。優雅な文体で伝説・恋愛・冒険の詩や劇を書き、インドのシェークスピアと称される。代表作は『シャクンタラー』。
●カーリダーサ
ベック式暗記法!
三社(さんしゃ)組んだら 駆り出され。
サンスクリット文学
『シャクンタラー』
グプタ朝
カーリダーサ
ササン朝ペルシア第21代の王(位531~579)。
557年、トルコ民族の突厥と結んでエフタルを滅ぼし、ユスティニアヌス帝の東ローマ帝国との戦いも優勢にすすめて和平を結び、「アノーシールワーン(不死の魂を有する者)」と号してササン朝の全盛期を現出した。
しかしホスロー1世の死後、ササン朝は内乱と東ローマ帝国との抗争で衰退してゆく。
●エフタル、ササン朝と突厥の挟撃によって滅ぶ
ベック式暗記法!
ここならエフタル ホイさっと。
557年 エフタル ホスロー1世
ササン朝
突厥
ユーゴスラヴィアの政治家。
欧米からは独裁者と見られている。
セルビア北東部のポジャレヴァツで、セルビア正教会司祭の家に生まれる。
1959年にユーゴ共産主義者同盟に入党。ベオグラード大学法学部卒業後、ベオグラード銀行の頭取を務めた。80年にティトー大統領が死去したあと、コソヴォのアルバニア人問題が表面化するとセルビア人のナショナリズムを利用しつつ、共産主義者同盟内で勢力を拡大し、89年にはセルビア共和国幹部会議長に就任。90年の複数政党制による自由選挙では社会党を支持母体としてセルビア共和国大統領に当選。旧ユーゴスラヴィア解体後のユーゴスラヴィアでも共和国大統領に再選された。97年にはユーゴスラヴィア連邦共和国大統領に選出された。91年から始まるユーゴスラヴィア紛争の責任者として、99年にはハーグの旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷から反人道的行為の罪状で起訴された。2000年9月のユーゴ大統領選挙で敗北し、10月の「民衆革命」で政権の座を追われた。01年には不正蓄財と職権濫用の容疑で逮捕。戦犯としてハーグの国際法廷に引き渡され、02年に公判が開始したが、06年収監中に心臓発作で死亡した。
イギリスの経済学者。近代経済学(modern economics)の大成者。
1919年パリ講和会議に大蔵省首席代表者として出席し、ドイツに対する賠償案に反対したが容れられず、辞任。
36年、『雇用・利子および貨幣の一般理論(The General Theory of Employment, Interest and Money)』を発表して大恐慌後の不況の理論的解明を行い、自由放任主義経済の欠陥を指摘して修正資本主義への道を開き、アメリカのニューディール政策の指導的理論となった。
●ケインズ
ベック式暗記法!
期待経済 雇用・利子
近代経済学 ケインズ
『雇用・利子および貨幣の一般理論』
1世紀後半のローマ皇帝(第5代、在位54~68)。クラウディウス帝の養子。母のアグリッピナが夫である帝を毒殺した後即位。
セネカに学び、最初の5年間は善政を行ったが、次第に暴虐な性格を現し、母と妻を殺し、64年にはローマ大火の罪をキリスト教徒に帰してローマ最初のキリスト教徒大迫害を行った。
大火の復興のため属州に重税を課し反対派を粛清。師のセネカも陰謀に加担した罪で自殺を強要された。
芸術を愛好してギリシアに旅行、戦車競技に出場した。
ガリアの属州総督の反乱などが起こる中、元老院、近衛兵に見捨てられローマを脱出、自殺した。
●ネロ、キリスト教徒迫害
ベック式暗記法!
無情に刎(は)ねろ 切り捨てろ!
64年 ネロ キリスト教徒迫害
フランスの国王(在位1643~1715)。ルイ13世の子。ブルボン朝の絶対王制を極盛期にした君主で、太陽王と呼ばれた。
5歳で即位し、1648年から53年にかけて、宰相マザランによる集権化に対する高等法院・貴族の反乱であるフロンドの乱を体験して貴族抑圧の必要性をを痛感。
●ジュール=マザラン
●フロンドの乱
ベック式暗記法!
ヒロシはブロンド マザコンさ。
1648年 フロンドの乱 マザラン ~53年
1661年、マザランの死後親政を開始し、コルベールを財務総監として重商主義を進め、国富の増大をはかった。
また新旧の貴族勢力を巧みに操り、軍隊を強化して王権の徹底につとめた。
王権神授説を信奉して典型的絶対君主として君臨し、自ら「朕は国家なり」と称したとされる。
巨額の費用と労役をつぎ込んでヴェルサイユ宮殿を建て〈「ヴェルサイユ」の中に「ル」と「イ」〉、王宮をここに移した。
●ヴェルサイユ宮殿
この国力と武力を背景に王はフランドル戦争(1667~68)、ネーデルラント戦争(1672~78)、ファルツ戦争(1689~97)、スペイン継承戦争(1701~14)と度重なる侵略戦争を行った。
●スペイン継承戦争
ベック式暗記法!
非難王位は 不幸です。
1701年 フェリペ5世 スペイン継承戦争
その治世は古典文化の華をもたらし、ラシーヌ、コルネイユ、モリエールらの三大劇作家、哲学者のパスカルらが活躍したが、晩年には対外政策の挫折と国力の疲弊による破綻をきたし、王政への批判が高まった。
ナントの勅令廃止(1685)で商工業者の新教徒を亡命させ、産業の不振を招いた。
こうしてルイ14世の晩年には絶対主義の矛盾が表面化し、フランス革命の遠因となった。
古代ギリシア最大の哲学者。
ペロポネソス戦争のうちに成人し、師であったソクラテスの処刑(前399)に刺激され、哲学者が政治を執らなければ国家は救済できないという哲人政治の思想を抱いて『国家論』を著した。
アテネ郊外にアカデメイアという学園を創設し、師ソクラテスの問答による徳目の究明を継承しつつ、著書の『饗宴』で真の実在としてのイデア論を展開した。
●プラトン
ベック式暗記法!
明るい国家(こっか) 今日プラン。
アカデメイア 『国家論』 『饗宴』 プラトン
中国の北京北西郊にあった清代の離宮。
1709年、康熙帝が皇子に下賜した庭園が起源。
乾隆帝が修道士カスティリオーネらに設計させた、中国最初のバロック様式の宮殿建築と大噴水をもち、世界第一の名園といわれた。
1860年のアロー戦争の際、英仏連合軍が乱入して略奪放火し、廃虚となった。
●円明園
ベック式暗記法!
いかすってば~ 円明園。
イエズス会
カスティリオーネ
バロック様式 円明園