アレクサンドリアの司教アタナシウス(295~373)の説を信奉するキリスト教の一派。
父なる神と子なるキリストと聖霊の三位一体説を唱えて、キリストの人間性を主張するアリウス派と対立。
325年、ニケーア公会議で正統と認められ、テオドシウス帝の392年にこの派はローマの国教となり、以来、正統派教義の地位にあり、カトリックにつながる。
アタナシウス派とアリウス派
アタナシウス派の唱える三位一体説では神とキリストの立場に違いは「なし」とし、アリウス派は「あり」としたのである。
アレクサンドリアの司教アタナシウス(295~373)の説を信奉するキリスト教の一派。
父なる神と子なるキリストと聖霊の三位一体説を唱えて、キリストの人間性を主張するアリウス派と対立。
325年、ニケーア公会議で正統と認められ、テオドシウス帝の392年にこの派はローマの国教となり、以来、正統派教義の地位にあり、カトリックにつながる。
アタナシウス派とアリウス派
アタナシウス派の唱える三位一体説では神とキリストの立場に違いは「なし」とし、アリウス派は「あり」としたのである。
5~67
原始キリスト教時代の異邦人への大伝道者。
小アジアのタルソス生まれのユダヤ人で、初め熱心なパリサイ派(「パリサイ派」の〈パ〉を意識して「パウロ」と結びつける)のユダヤ教徒としてキリスト教の迫害者であったが、シリアのダマスカス付近で復活したイエス=キリストの声を聞いたと信じて回心し、以後、ローマ世界への福音の伝道につとめた。
「ロマ書」など彼の書簡は『新約聖書』の重要な部分を占めている。
ローマ皇帝ネロの迫害(64年)により、殉教したと伝えられている。
「信仰によってのみ義とされる」とするパウロ神学はアウグスティヌスやルターの思想にも大きな影響を与えた。
1533~1603
イギリステューダー朝最後の王(在位1558~1603)。
ヘンリ8世と国王離婚問題の当事者である第2妃アン=ブーリンとの間に生まれ、
●父ヘンリ8世と母アン=ブーリン
異母姉メアリ1世の治世には王位継承権を奪われるなど、苦難の日々を送ったが、姉の死後25歳で即位。
●メアリ1世
当時急速に成長しつつあったジェントリ(「郷神」と訳される地主層)を積極的に登用し、セシル卿ら賢臣の補佐で国勢の隆盛をもたらした。
父ヘンリ8世の発した首長法を復活し、1559年、。1549年に発布されていた統一法をふたたび制定してイギリス国教会(Church of England)の礼拝・祈祷を統一。
●統一法 ベック式暗記法!
以後国教徒(こっきょうと) 統一へ。
1559年 国教会体制を確立 統一法 エリザベス1世
イギリス
枢密院・星室庁の権限拡大、特設高等法院の設立などで旧教徒を抑圧し、旧教派と結んだメアリー・ステュアートを1587年に処刑した。
●メアリ=ステュアート
スペインのフェリペ2世はオランダ独立戦争を支援するイギリスを打倒するため、メアリ処刑を機に無敵艦隊を差し向けたが、ホーキンズ、ドレークらのイギリス艦隊の迎撃と暴風雨により撃滅し、これ以後オランダは事実上独立し、スペイン衰退の端緒となった(1588年、アルマダ戦争)。
●アルマダ戦争
●アルマダ戦争 ベック式暗記法!
以後阻(はば)む敵 エリザベス。
1588年 無敵艦隊 エリザベス1世
イギリス スペイン
エリザベス1世の時代、荘園制の解体、第一次囲い込み運動やフェリペ2世の商工業圧迫とオランダ独立戦争によりネーデルラントの毛織物市場が衰退したため、イギリスの毛織物貿易が大打撃をうけ、長期の不況に苦しんだ。
女王はグレシャムを登用して通貨改革を実施した。
●トマス=グレシャム
ときに軍法を普通法に代え、不法に人民を監禁し、議会は45年の治世に10回開いただけで人民を自由に支配し、絶対王政を伸張させた。
他方、重商主義を採用し、独占権賦与によって工業を育成、1600年には東インド会社を設立して喜望峰以東の独占権を得た。
また、その治世中、宮廷を中心にエリザベス朝文学と称されるイギリス=ルネサンスの黄金時代が現出。
劇作家のシェークスピア、哲学者のフランシス=ベーコンをはじめ多くの天才が活躍した。
●ウィリアム=シェークスピア
失業者の増加を受け、1601年に救貧法(Poor Laws)を制定した。
しかし、ピューリタン(清教徒)らの不満が高まり、市民革命の素地が作られつつあった。
◆ヴァージン・クィーン、エリザベス
エリザベスは「私はイングランドと結婚している」と言い、国際的な紛争に巻き込まれることに警戒し、スペイン国王フェリペ2世をはじめとする求婚者を拒んで生涯独身を通し、「処女王(Virgin Queen)」と呼ばれた。
ヴァージニア植民地とはエリザベスに捧げる植民地の意である。
1491~1547
イギリステューダー朝第2代の王(在位1509~47)。
ヘンリ7世の次子。1509年父の死によって即位。王妃カザリン(スペイン王の娘)を離婚し、アン=ブーリンと結婚しようとして教皇と対立、1534年首長法を制定してローマ教会と絶縁し、イギリス国教会を樹立した。
36年と39年に修道院解散法を発し、その財産を没収。41年アイルランド国王と称し、44年スコットランドを攻めた。
またイタリア戦争に介入し、カ―ル5世と結んでフランス王フランソワ1世と戦ったが、これらの対外政策のため、晩年の財政は乱れた。
結婚した妻6人のうち2人を処刑するなど残虐な君主であったが、有能な官僚の働きもあって絶対主義国家を発展させた。エリザベス1世の父。
トマス=モア
イギリスの人文主義者トマス=モアはヘンリ8世に重用されて大法官となったが、王の離婚と首長法に反対したため、大逆罪で処刑された。
●首長法
ベック式暗記法!
以後(いご)見よヘンリ 早や首長。
1534年 イギリス国教会
ヘンリ8世
首長法
85?~165? 2世紀ローマ時代のアレクサンドリアの天文学者・地理学者。古代の天文学を体系化し、天動説を確立。
その天動説は、コペルニクスによる地動説が現れるまで、中世の宇宙観を支配した。
※「天動説」を英語でthe Ptolemaic systemと表現するほどプトレマイオスは天動説の代名詞となっている。
レオナルド=ダ=ヴィンチ
1452~1519
イタリア盛期ルネサンスの画家・科学者。トスカーナの小村ヴィンチに生まれる。
フィレンツェのヴェロッキオの門下となり、画家としてミラノやフィレンツェで活躍した。
晩年はフランス国王フランソワ1世の招きで、フランスのアンボワーズに赴き、近郊のクルー城に住み、没した。
絵画の代表作には、劇的な表現とスフマートという明暗法によって名声を高めた「最後の晩餐」、神秘的な微笑みの美しさで知られる「モナ=リザ」などがあり、解剖学その他の自然科学、機械・兵器の設計技術などにも卓絶した才能を示し、鳥の飛翔を観察・記録して今日の飛行機の原理を発見している。
また、天文学・物理学・地理学・土木工学・造兵技術・機械学・植物学などに通じ、ルネサンスの理想である「万能の天才」は彼においてほぼ完全に近く実現されたといえる。
●レオナルド=ダ=ヴィンチ
ベック式暗記法!
晩餐ピンチ もうないさ。
「最後の晩餐」レオナルド=ダ=ヴィンチ
「万能の天才」 「モナ=リザ」
1475~1564
16世紀前半の画家・彫刻家・建築家。レオナルド=ダ=ヴィンチ、ラファエロとともにルネサンス三大芸術家のひとり。
フィレンツェ郊外で生まれ、一時ロレンツィォ=デ=メディチ邸で過ごした。
初期の代表作にヴァチカンの「ピエタ」、フィレンツェ政庁前に据えられた大理石像「ダヴィデ像」があり、彫刻家としての名声を確立した。
特に教皇ユリウス2世の命によるシスティナ礼拝堂の天井画「天地創造」は『旧約聖書』創世記の物語から構成され、盛期絵画の金字塔となる。
その様式は調和と均衡の古典主義的理想から逸脱し、ルネサンス様式を完成するとともに、バロック様式の萌芽(ほうが)を見出した。
代表作はほかにシスティナ礼拝堂の大祭壇画「最後の審判」がある。
●ミケランジェロ
ベック式暗記法!
見て!ランジェリー 最新だ。
ミケランジェロ 「最後の審判」
「ダヴィデ像」