お正月の元日と2日はお雑煮をいただきました。
我が家のお餅は関西風で丸餅です。
オーブンで焼いた香ばしいものです。大き目のお椀に2個入っています。
鶏肉の入った醤油味の普通のお雑煮です。
一口で食べるにはちょっと多きかなと言う感じです。
歯で食いちぎり、二つか三つに分けて口に運びますが、
時には一度で食べることもあります。
そんな時、良い加減で飲み込んでしまうこともあります。
この時いつも思い出すのは、餅を喉につかえて命を落とす老人のことです。
餅一個をそのままお椀の中に入れる、
我が家のような老人宅ではいつ何時不幸が起きるかわかりません。
そう思い2日からは、家内に言って四つに切って焼いてもらいました。
口に入れる前にお餅の大きさをしっかりと目で確認し、それから食べ始めます。
こうしてお餅を口の中に入れると、
お餅の大きさ、形が口の中でどうなっているかもはっきりわかりました。
つまり食べる対象物をしっかりと認知し出したのです。
これによってお餅が喉につかえる心配がなく、安心してお餅が食べられました。
お節料理の数の子を戴きました。あの数の子を噛んでいる歯触りの心地よさ。
その歯触りを暫らく楽しみました。ところがその後が大変でした。
噛んで小さくなった数の子を呑み込もうとしましたが、上手く飲み込めません。
それどころか咳込んでどうにもならないのです。
数の子の粒粒は小さくなっても最後まで粒粒が硬いまま残るのでした。
それが嚥下作用に悪さを与えるのです。
それと同じことが緑茶を飲んだ時おこりました。
お茶を飲んで最後に湯呑の底に残された澱を飲んだ時です。
途端に咳込みました。塗炭の苦しみとはこんなことなのですね。
味噌汁の鹹めの(しょっぱい)澱を飲んだ時も同じでした。
つまり一寸した小さな物でも喉もしくは気管の付近に張り付くとそれを食道の方へ
嚥下力不足で送り込めないため、咳込み(喘息)が起こると考えました。
ここで僕はまた勉強しました。
物を食べるとき、飲むときはしっかりそれらのものを良く観察することと。
つまり対象物を良く認知して、脳に理解させて行動を起こすことです。