大同マルタ会

大同マルタ会の方々が自由にこのブログに集い、会員の思いや写真などを思い存分に披露できる開かれた広場にしたい。

オクターブ・ハーモニカ

2015年01月25日 | 感謝

小学校3年生の時、元海軍の生き残りの義兄さんからハーモニカを買ってもらいました。

ほかの友人のハーモニカとどうも音が違う。なんとなく音が籠っているような感じがしました。そのうえ吹いてみてもどうも上手くメロディが出ません。

学校に持って行って受け持ちの音楽の先生に聞いてみました。

「ショウちゃん、これはね、オクターブ・ハーモニカって言うのよ。1オクターブ低い音が一緒に付いていてとても良い音が奏でられるのよ。丁度ハモンドオルガンのようなのよ。

(ハモンドオルガンは当時ラジオ番組の「君の名は」でなんとなく知っていました。)

C(ハ)調なのでみんなと一緒に吹いても綺麗に音が合いますよ。良かったら先生一寸吹いて良いですか?」と言って、校歌と讃美歌を吹いてくれました。

僕はその音色を聴いて驚きました。まるで教会の中に居るようでした。荘厳でした。

これで勇気をもらってオクターブのハーモニカの練習をしました。

どうにかオクターブにも慣れて、他の人と合奏できるようになりました。

学芸会のハーモニカの演奏練習では、一緒の吹いている友人は「ショウちゃん、変な音出すなよ。」と初めのうちは文句を言っておりましたが、そのうち慣れたのか文句を言わなくなりました。

学芸会のハーモニカの演奏会に一丁前に出られました。

 

その想い出多いオクターブ・ハーモニカを大枚を叩いて60数年ぶりに買いました。

やはり初めて持った時と同じように、感が狂ってなかなか巧く奏でられません。

今は当時と違い、ハーモニカを大きく口に銜え、ベース伴奏を自然に入れようとしているからでしょう。

子供が奏でるように小さく自然に銜えゆっくりと奏でますと、綺麗なオクターブが戻ってきました。

荘厳な音の中に小学校のあの音楽の先生が戻ってきました。

当時日本人離れした、まるでベートーヴェンの様にウエーブの掛かった金髪を肩まで垂らした、当時のままの先生でした。

その音楽の先生はもうこの世にはいません。数年前に天国へ召されました。

 

今一所懸命C調オクターブ・ハーモニカの練習に励んでいます。

巧くなったら、近いうちにAm調を買い、日本の歌、外国の民謡や演歌調も練習しようと思っています。

 

僕にハーモニカを奏でるきっかけを与えてくれた方に感謝いたします。


お正月のある日

2015年01月10日 | 最近の話
その日は昨夜から湖南地方も20センチを超える大雪で

自転車ではリハビリには行かれませんでした。バスで行くべく守山駅に向かいました。

 

東口のエスカレーターを昇ったところで車椅子に乗った娘さんが

一所懸命車を動かそうと頑張っていました。

手も不自由と見えてなかなか動きませんでした。周りには誰もいないし、

東口にはこの時間乗り降りの乗客もほとんど通りません。

 

困っているんだと思い声を掛けました。

西口のタクシー乗り場まで行きたいということです。

私もそこまで行くので押して行ってあげましょう。

良いですよ一人で行けますから。まずは丁寧に断られました。

ご遠慮なさらずに私もそこまで行きますから。

 

そこから改札口の前を通って、タクシー乗り場の上のエレベーターの前に来た時、

私は点字ブロックに躓いたか滑ったかして、顔をコンクリートの床面に打ち付けました。

メガネが飛んだところまで覚えていました。

 

どうしました?大丈夫ですか?しっかりしてください。救急車呼びますか?

何人かの人たちが私の顔を覗き込んでいます。

脳しんとうを起こしたのか、何が起こったのか皆目分かりませんでした。

車いすの娘さんは?大丈夫ですか?私は咄嗟に彼女を守ってから倒れたようです。

 

ああ良かった。娘さんにお詫びをして、私はバスをやめてタクシーで市民病院へ。

CTを撮って診てもらいました。脳は大丈夫ですで、安心しました。

それから鏡を見ました。

顔の目の周りかまるでパンダかお岩さんの様になっており、

腫れが出て傷むので氷で冷やして寝ましたが、一向に治りません。

 

後日再び市民病院へ、そして又CT撮影。医者は大丈夫内出血していません。

脳も大丈夫。

何かあったら病院へ来なさい。お大事に!

 

余計なことをしたのかな?気を付けなければいけなかったのかな?

 

そんなものか、大変なお正月でした。

座敷童子