大同マルタ会

大同マルタ会の方々が自由にこのブログに集い、会員の思いや写真などを思い存分に披露できる開かれた広場にしたい。

リハビリテーション-31 リハビリ最後の日

2014年03月28日 | 感謝

6ヶ月にわたるリハビリが今日終わりました。週3回1.5時間ぴっちり励みました。

一日たりとも休まずに病院へ自転車で雪や雨の日にはバスで通い続けました。

 

初めのうちは名誉院長先生が勧めてくれたので仕方がないと正直思っていました。

セラピストの先生方の指導があまりに信じられないことだったので、

嫌気がさして来たこともあったのです。

セラピストの先生方はは本当に失礼だったと感じています。

親身になっていろいろ指導して下さいましたのに。

 

そのうちいろいろと僕の体や神経に変化が表れ始めました。

と言うより、忘れかけていた何かが呼び起されて来たのです。

自分の意識下に今までなかった神経や筋肉や骨が目を覚ましたのです。

僕の脳が恰も僕が命令したかのように健常な頃のように動き出したのです。

驚きでした。初めはぎこちない動きで、頼りなさを感じる動きでした。

そのうちに力強い動きに変わって行きました。

健常な部位の動きを見て麻痺した部位を動かそうと、自分の脳に自然に働き掛けました。

口で号令をかけ、時にはセラピストさんに手伝われ、慣れるまで、覚えるまでやりました。

病院でだけなく家に帰ってからも辛抱強く続けるようにしました。

 

病院での嚥下訓練は何度も何度も口の中に球体や立方体や三角錐の固形物を入れました。

そして口腔内での感覚を研ぎ澄ませました。

舌の動き、頬の動き歯茎の動き等が麻痺以前の動きに戻りつつありました。

その結果ある日突然、長かった失語症に近いと思われる口から流暢な言葉が出てきました。

 

その陰にはセラピストさんと僕との会話、心の会話が影響しているのではないでしょうか。

二人のセラピストさんは親身になって僕の世話をしてくれました。

僕の話もよく聞いてくれました。それに応えるように指導も必死でなされました。

そうやっているうちに、お互いのうちに相互信頼関係が出来たと思います。

そういう中での心の会話は、自然と僕の心と体を解きほぐしていったと思います。

 

病気してからの僕は他人の話を聞くときは、聞いた話を一度に理解することができません。

そのためゆっくりと脳の中で咀嚼してから自分の考えを述べておりました。

ところが、自分が口から言葉を発する前に相手から次の言葉が出てくると脳の中は混乱してしまいます。

僕はもう面倒だから話すのは止めようという気持ちになり、口を閉じてしまいます。

恰も失語症になったのと同じ現象です。決して失語症ではないのです。

そう見えるだけなのです。

このリハビリで二人のセラピストさんは話を僕のペースに合わして話して下さいました。

次第に僕の口の動きは滑らかになったのです。嚥下が上手くゆくのと同時期です。

 

リハビリを続けて行くに従って僕の体は健常人のように変わっていくのが分かりました。

こうなると僕自身欲が出てきました。セラピストさんと励めばどうにかなると。

歩行練習には随分苦労しましたが、長時間かけてやり遂げました。

歩くことは勿論、走ることも、サッカーの真似事のジグザグ走りも難なく出来ました。

 

リハビリの期限が来たので、水泳が出来るようになりませんかと無理を言ってみました。

ここのセラピストさんは水泳が出来なかったのですが、ビデオ撮影を駆使してやりました。

苦労の甲斐あってどうやら泳げるようになりました。

スイミングプールには安全に運転できるようになった自転車で通っています。

これからの人生益々楽しみが増えました。

 

このように二人のセラピストさんには本当にお世話になり、心から喜んでいます。

家内も僕の体と心が元気になって行くのを見て感激しております。

家の中も会話も増えて、明るくなりました。

一人で寝起き出来るようになり、介護ベッドを用意するのが早かったと冗談言っています。

 

最後に守山市民病院の先生方やお世話して頂いた方々皆さんに心よりお礼申し上げます。


夫婦で交換日記ー2

2014年03月26日 | 日記

私は時たま彼に勤め先の不満をもろにぶっつけることがありました。

そんな時、彼はいつも私より数段大人です。どんな難題もするりと解いてくれます。

それで私は何度か勤め先で上司と意見のぶつかり合いを免れたことか。

彼は日記の上で私を説き伏せたり、

当たり前のことを、さも分かった様な書き方などをしません。

いわゆる上から目線的なぶつけ方は決してしません。穏やかなのです。

それでなんとなく彼になだめられて、翌日からまた勤務に入りました。

やはり彼は男であり、夫であることを身に沁みてわかります。

私が彼に代わって彼の悩みを解決できるのは何時か。

彼が私に悩みを相談して来ることがあるのでしょうか。

今のところは交換日記では私に相談して来ないようです。

相談することがないのかな、それとも心配掛けまいと我慢しているのかな。

ある人から聞いたことがありますが、愛(love)とは一時的なもので、

尊敬とは(respect)とは永劫なものであると。

私の彼に対する思いはloveからrespectに変わっていったのかな、

とさえ思えるのです。

交換日記に書かれている言葉一つ一つをとってみると、

何らたわいのなさそうな言葉であっても、

彼から発せられる言葉には大きな重みがあったのです。

それに比べると私はどうでしょうか。

彼を説得できる言葉を見つけることができないのではないのではないでしょうか。

それでいながら私は知らず知らずのうちに彼に逆らうのです。

別に意識して逆らっているのではありません。

口癖で彼の言ったことにすぐに、「だって」と出てしまうのです。

言ってしまってから、「ああ~また言っちゃった」とすぐ反省しているのに。

私は私に甘えているのか、彼に甘えているのかわかりません。

全面的に彼の大きな「揺り籠」でゆらゆらと揺られているのか知りません。

彼は私の愛する良人(respectable husband)です。

この世に一人しか居ません。

愛し愛されている貴方です。

やり取りしたこの交換日記を読めばわかります。

                          私の愛するあなたへ  m.m.


リハビリテーション-30 3回目のビデオ撮影を検証

2014年03月25日 | 文化

これが最後のビデオ検証です。

昨日インストラクターさんにしっかり撮って貰いました。僕も必死で泳ぎました。

今日そのビデオを持って行き、セラピストさんと二人で検証しました。

2回目のビデオより数段良くなっておりました。セラピストさんも驚いておりました。

もうブイを外しても自力で泳げますね。と、言ってくれました。

また何べんも何べんも二人でビデオを再生して画像を見ました。

欲を言えば、まだまだ直したい所がありましたが、脳の方が付いて来てくれるか分かりません。

あとは毎日の水泳を続けることで少しずつ慣らして行くことにしました。

セラピストさんは自分が泳げたように喜んでくれて興奮していました。

きっと近いうちに学会で論文を発表することになるでしょう。

彼は脳梗塞で半身不随になった僕を曲がりなりにもクロールで健常人のように泳がせたのです。

僕は彼の情熱に心打たれ、日に日に悪くなって行く麻痺を解こうと努力しました。

まさか水泳までできるとは6ヶ月前は考えもしませんでした。

せいぜい不自然な歩きをしないようになればと思うだけでした。

明日からはこの6ヶ月間のリハビリの総ざらいをやって行きます。


リハビリテーション-29 全身を使って泳げました

2014年03月20日 | 感謝

セラピストさんと2回目のビデオ撮影を見ました。

セラピストさんも僕も本当にびっくりしました。

足のブイ無しで25mを泳ぎ切って、折り返しも泳ぎ切ったことばかりではありません。

麻痺している右手も右足も想像していたよりはるかによく動いていたのです。

それまでは手と足はリズムが取れずバラバラでしたのに、リズミカルに動いていたのです。

何度も何度もビデオを再生して見ました。

泳いでいる間はこんなに上手くいっていると想像できませんでした。

陸の上の認知運動が効いたのでしょうか。それとも僕のやる気が効いたのでしょうか。

とにかく、ひらひらと泳げたことには間違いありません。

あとは不自然な動きを健常者のような動きに変えることです。

リハビリは来週4日だけしか残されていません。特別に4日間受けます。

今日、3回目のビデオ撮影を来週月曜日撮ろうと決めました。これが最後です。

来週で6ヶ月励んできたリハビリも終了します。来週頑張ろう。


夫婦で交換日記ー1

2014年03月19日 | 日記

自分の気に入った内容のブログがあったので投稿します。

下らないことをだらだらと書きますが、我慢できる人は読んでください。

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あなた交換日記しているの?

何時から?

ロマンチックじゃない。

よく親しい友人からそう言われます。でももうやってないです。

子供が出来て実家に帰った時からなんとなくやめてしまったのです。それまでやっていたのです。

 

夫と日記を交換し出したのも何時かも忘れました。

別に夫婦間にいざこざや拘りがあったのではありませんでした。

世間にそんなことが流行っていたのでもありません。なんとなく始めたのが、数年続きました。

今思い出すととても懐かしい気持ちがします。

日記は普通の大学ノートに好きなように互い違いに順繰り書いていただけです。

 

でも交換日記を交わすことによって、意外と私たち夫婦の間ではとても良い夫婦関係が生まれて行ったのです。

うちの人はどこにでもいる普通のサラリーマンです。

真面目な本当に生真面目な人です。

私たち夫婦は共働きで家事も二人でなんとなく分担してやっています。

こんなところもそこら辺の一般家庭と変わりありません。

ちょっと変わっているといえば、うちの人に一寸きついことを言ったりすれば、何も言い返してはきません。

その辺が私にとっては物足りない感じがします。

 

私たちの出会いは友人の結婚式でした。

うちの人が私に惚れこんできてメアドを交換したのから始まりました。

私たちは遠距離恋愛の結婚でした。うちの人は新潟で私は三重県でした。

たまに会いたくなった時は大変です。電車では到底行けません。

小牧空港から新潟まで小型ジェットで飛ぶのです。

日本アルプスを小型ジェットで超えるのですから生きた心地がしませんでした。

新潟に着陸した時は彼に会う喜びより無事に着いた喜びのほうが大きいでした。

こんな怖い目に遭いながらもあなたに逢いに来ているのよと言うと、とても嬉しそうな態度を見せます。

そんな彼を見て私はまた休みを取って彼に逢いたくなるのです。

本当に私たち二人は幸せでした。

ひょっとしたらこの頃が人生で一番充実していた青春時代だったかも知れません。

 

そして私のほうから結婚にこぎ着け、ラブラブの生活を送ることになりました。

お互いの親元から離れ、京都に居を構えました。生活の主導権は私が取っておりました。

そのほうが彼には居心地が良かったようです。

もちろん私にとっても最高の旦那様で文句の付けようがありません。

そんな平和な生活を送っている中で交換日記を多分私の方から言い出したのでしょう。

忘れてしまいました。とにかく一日の出来事を書くことから始まったのです。

そのうち言い難いことも何でも書けるようになってきました。

うちの人は私の書いたことに何の反論もせず、ただうんうんと頷くような感じで返事が返って来ます。

あまり手ごたえもないので少し波風を立ててやろうかとさえ思ったほどでした。

しかしそんなこと出来る筈がありません

(今日はここまで 続きはまたの機会に)   M.M.


リハビリテーション-28 再度ビデオ撮影です

2014年03月17日 | 文化

陸の上で何度も右足の動きをセラピストさんと左足のように右足が動かすことができないか練習しました。

練習の結果分かったことは右足の大腿骨が自在に動いてないことでした。

また大腿骨から膝そしてつま先までの動きが鈍く、水を後ろに蹴っていないのではないか。

今日はその辺を見るためと、先日のビデオ結果を比べるためにスクールにカメラを持ち込みました。

トレーナーさんにビデオを回して貰い、陸の上の練習を思い出してしっかりと泳ぎました。

左足の動きを認知して、それを右足で再現するのは泳ぎの中で見えませんから困難です。

それでもブイ(浮き)なしで25mを往復しました。今回げ初めてでした。明らかに効果が出ています。

後日セラピスト先生と画面を見て検討します。どんな結果が検討されますか?

明日もスクールに通います。僕の脳を鍛えあげます。覚えなければ足は動きません。


リハビリテーション-27 少しはましかな

2014年03月13日 | 感謝

セラピストさんとビデオを見てからの2回目の水泳をします。

陸の上で右手・右腕の動かし方を左手の動きをイメージして、声に出して、

しっかり僕の脳に叩き込みました。とにかく肩甲骨をしっかり動かすことです。

リズムを合わせ、意識をしながら右の手腕を右の手に負けないようにきっちり動かしました。

いつもより時間をかけて手腕の練習を1時間余り必死で頑張りました。

フラフラになり今日の練習を終えました。

努力の成果を見るためにスクールの方に来週の月曜日ビデオ撮影を頼みました。

 


リハビリテーション-26 実際の泳ぎをビデオで撮りました

2014年03月12日 | 感謝

いよいよ本格的にリハビリも水泳の分野まで進みました。

これが上手くできれば画期的な出来事です。是が非でも成功させたいものです。

スイミング・スクールの許可を貰ってインストラクターにビデオ撮影をお願いしました。

撮影内容はセラピストさんと次のように決めました。

バタ足だけで推進力と左右の足の動きはどうか。

普通にクロールの動きで足・手・息継ぎ全体が上手くいっているか。

ブイ(浮き)を股に挟んでクロールで泳ぐ。全体のバランスはどうか。

進行方向前から見て、手と腕の動きはどうか。

その結果をビデオでインストラクターに見てもらい、

その後病院に帰ってからセラピストさん・水泳のエキスパートに見てもらいました。

その結果、足の動きは全然成ってない。大腿骨の動きが悪いとしか言いようがない。

右足首が伸びきっていない。従ってひらひらと言う感じがない。推進力ゼロ。

右手の動きは肩甲骨を大きく動かしていない。左手の様に思い切って動かせ。

僕は右手は左手以上に大きく動かしていると思ったのに、ショックでした。

僕の脳は右手を動かしていると思っていたのに、左手の様にはいかなかったのです。

セラピストさんと右手の訓練をやって右手に教え込みました。

病院の帰りにスイミング・スクールに寄って、病院の訓練のように右手を動かした。

どこまで左手に追いついたかは分からなかったが、脳に叩き込むことはできた積もり。

明日からは右足の訓練が待っています。

頑張ります。ブイ(浮き)なしで泳げるまで。


リハビリテーション-25 陸の上では水泳できないね

2014年03月06日 | 感謝

今日も水泳の特訓を陸の上でやっています。

ベッドの上で手を動かして左右の手足がリズムよく上手く動くかの練習と観察です。

クロールでゆっくり泳ぐ時、足の動きはバタバタとは決して動きません。

水中で揺ら揺らかヒラヒラと言った感じです。両手もその速度に合わせてゆっくり動かしました。

まるでお魚がゆっくりと海の中を泳いでいると言った感じに似ています。

確かに水族館に行ったとき見る風景です。

息継ぎも交えてベッドの上でやってみました。様子が少しおかしいぞ、セラピストが叫びました。

その場でビデオに撮ってよく見ると新しい発見がありました。

ビデオを見ると健常なはずの左の足が一瞬止まったり、または遅れたりしてリズムを乱しているのです。

セラピストも僕も初めは全く気付ききませんでした。

僕の脳は両手と両足を規則正しくリズミカルに動かす能力に欠けているとしか言いようがありません。

そこに息継ぎの動作が加わると更に困難になったに違いありません。

早速、来週にもスイミング・スクールに行って実際の水泳をしている場面の撮影をすることにしました。

そしてそれを検討することにしました。

病院の帰りスイミング・スクールに寄って許可をもらってきました。来週のブログはその様子です。


リハビリテーション-24 水泳には苦労しています

2014年03月05日 | 感謝

歩行練習は相変わらず続いています。足の裏の肉球を意識しての訓練です。

足の裏で平衡感覚も正確につかめるようになり、遂にはサッカーでのドリブルを想定したジグザグ走りもできました。

さて今度は最大の難関である自由形水泳に挑戦しました。

脳梗塞で倒れる前は一番好きな水泳です。毎日会社が引けてから1,500mほど泳いでいました。

ところが後遺症が残ってからは足のリズムと手の動きのリズムが合いません。

右足が全く体のリズムについてこないのです。仕方がないのでフロート(浮き)を両足で挟んで泳いでいました。

それを克服すればもう後遺症がすっかりなくなるぞと頑張って水泳リハビリに励んでいます。

その様子をこれからのブログに載せようとしています。

時間限られています。3月いっぱいです。週3回のリハビリです。セラピストの先生も必死です。


PCの突然の故障で長い間お休みしました。

2014年03月04日 | 最近の話

どんなことがPCでは起こるかわかりません。ある日突然スィッチを入れましたがPCは全く起動しませんでした。

買ったばかりでまだ2年しか経っていません。保証期間中だったので電気屋に修理を頼みました。

無料のはずが思い切り大枚をふんだくられました。まるで詐欺に引っかかったようです。

おまけにCPUがいかれてるだって。全部メモリが飛んでしまいました。ようやく外付HDDのメモリーだけ残って助かりました。

どんな時でもバックアップはしておくものだと思いました。

大切な記録のほとんどが消えてしまいました。メールアドレスと住所録はセーフでした。