大同マルタ会

大同マルタ会の方々が自由にこのブログに集い、会員の思いや写真などを思い存分に披露できる開かれた広場にしたい。

機械捺染の展覧会のお知らせ

2021年06月17日 | 文化

      機械捺染の展覧会 のお知らせ

 2013年に『大同コレクション』の展覧会を開催した 京都工芸繊維大学美術工芸資料館 の同じ場所で、同じ 青木美保子先生、上田 文 先生が企画された機械捺染の展覧会が6月21日から開催されます。

今回のテーマは『キモノからインテリアー住空間を彩った機械捺染』です。コロナの緊急事態宣言の影響で開催期日も1年以上遅れ、6/21~7/10日になり、期間も短縮されました。当初、私も出席予定していた「シンポジウム」もなくなりました。代わりに私の機械捺染の話は、先生との質疑応答のかたちで、先日ビデオにとり、他の出席者のビデオと共に会場で見られるようになっています。老人のたどたどしい話で、恥ずかしい老害ですが、まだ元気に頑張っています。

2008年大同が閉鎖してから随分たちますが、それにしても、こと捺染に関してはいまも学界で、大同の名が語り継がれていることは嬉しい限りです。

  東山十条91

 


アフリカを彩どったカンガ(中央公論)

2020年06月22日 | 文化

   アフリカを彩った日本製カンガ(中央公論)

 久しぶりに『大同コレクション』の話題を紹介します。今月発行された「中央公論-7月号」に、国立民族博物館の準教授鈴木英明先生が寄稿された『アフリカを彩った日本製カンガの旅』の中に大同が載っていました。

 「大同染工ノ20年」から大同の写真が 2枚掲載されています。カンガの紹介ではいつもすっかりおなじみの、塩田さんと並んだ大きいカンガロールの1枚と、もう1枚は、出来上がったカンガ・ワックスを女性たちの手作業でする仕立台の風景です。巻頭のカラー写真に大同染工製と記入されたカンガの写真もあります。

 本文の中身を一部転記します・・・関西には(カンガの)デザインをプリントする工場がいくつかあり、そのうちのひとつが京都の大同染工だった。最盛期の1960年代半ばにはカンガも含めアフリカ市場向けに月産200万メートルを製造。この頃が日本製カンガの全盛期で、現地消費量の90パーセントが日本製であった。・・・

 今も、アフリカの衣装について話が出る時、必ず大同染工の名前がでてきます。皆さんも気がつかれたら、ご一報下さい。

          東山十条90


大同コレクションその後の続き(Ⅴ)

2019年08月09日 | 文化

 

「大同コレクション」のその後の続き(

 ―「大同コレクション」が遂に学会誌に掲載されるー

 

 「大同コレクション」は現在、京都工芸繊維大学美術工芸資料館に保管されています。(整理番号AN-5680) 2年程前から、資料館染織関連資料調査会が「大同コレクション」の再調査をするこしになり、佐藤忠孝、萩原理一、吉岡 悠、等が毎週1回これに当たって、今年に入りほぼ終わりました。資料は展示会当時 《341点》だったものが、 その後、あちこちから寄付があり 《456点》に増えています。

ボランティァ活動のつもりで、のんびり楽しんで大学に通っていましたが、調査会担当先生から、レポート提出を求められた。あわてて3人で試行錯誤しながら手分けして、メインの『アフリカンプリントと大同コレクション』についてなんとかまとめました。

京都工芸繊維大学美術工芸資料館蔵・大同マルタ染織資料コレクション(AN.5680)から見たアフリカン・プリント                              佐藤忠孝、吉岡 悠、萩原理一、佐々木良子                  京都工芸繊維大学美術工芸資料館染織関連資料調査会

 これが、今月(7月)発行された「繊維機械学会誌『せんい』July,2019  Vol.72,No.7」 に私たちの論文が掲載されました。 

「大同コレクション」の本が青幻舎から発行されたのも驚きましたが、権威ある繊維業界の学会『繊維機械学会誌』に掲載された方がもっと驚きました。内容はいままでのものと変わりありませんが、体裁は整えてあります。

1.  はじめに .

2.   アフリカン・プリント各論.

 2.1 リアル・ワックス・プリント

 2.2 ジャワ・プリント

 2.3 ファンシィ・プリント

 2.4 イミテーション・ワックス・プリント

 2.5 グリーン地プリント

 2.6 カンガ

3.   大同マルタコレクションについて

 3.1 大同染工のアフリカ向け輸出状況

 3.2 大同コレクションの来歴

      東山十条89

   

   


「大同コレクション」のその後(Ⅳ)

2019年08月01日 | 文化

「大同コレクション」のその後の続き(Ⅳ)

 先にお知らせした「大同コレクション」の本が、本屋の店頭に並べられています。表題は『アフリカンプリント』となっていますが、お客が手にとってパラパラ見ていると嬉しくなります。一般の人が、2.500円もだして読んでくれるのかと思いましたが、結構興味をもっている人がいるみたいです。

以下、7月28日(日)付き 読売新聞の朝刊 文化欄に書評が載っていましたので、紹介します。   東山十条89 

7月28日 (日)付け 読売新聞の朝刊 文化欄 の書評

 並木誠士、上田文、青木美保子著

   「アフリカンプリント」

 アフリカンプリントとは、もともとヨーロッパ各国がアフリカ市場を意識して制作した綿布を指す。

風呂敷縫製を生業とする京都の家に育った私は、布に対して少なからず関心をもっているが、195060年代の京都でアフリカ輸出用生地が作られていたとは、初耳だった。

2008年、京都の大同マルタ染工株式会社が閉鎖された際、多くの資料が廃棄されたが、ある一群の段ボールが助け出された。本書では、そこに見つかった同社製作アフリカンプリントの断片、資料としての現地収集品、195773年の「生産技術部研究ノート」などが紹介される=写真=。 図版はもとより、プリント技法の解説、植民地支配と布の関係、第2次世界大戦後、GHQ復興推進策により輸出を伸ばした話など、歴史背景も興味深い。

今人気のアフリカンプリントを扱うショップ案内も嬉しい限り。

(青幻舎、2500) 評・通崎睦美

 

 


先ずは図書館へ

2019年06月10日 | 文化

先ずは図書館へ

セニアカーが来て運転の腕慣らしに、自動車の通らない道をゆっくりと近くの天神さんまで行って、これからの交通安全をお祈りに行きました。

これで自信をつけて、先ずは前々から行きたかった守山市立図書館に出かけました。

ここは最近、前の図書館を近代的な立派な建物に造り変えたばかりです。 

設計者は新国立競技場などのデザインを手がけた建築家の隈(くま)研吾氏で、滋賀県産の木材を多く使った開放的な作りが特徴で、

古くなり近隣の町よりも見劣りする守山市役所の建て替えを先延ばしにしてまで、図書館を多額のお金で造ったことは一部市民の反対もあったようですが、守山市民自慢の建物です。

利用は守山市民のみならず隣接の野洲市民・栗東市民も同じく貸出カードを作って利用できます。

全館バリアフリーで車いすのまま利用できますので障がい者にとっては利用が助かります。そのほかいろいろな工夫や設備があって利用者には好評なようです。


「大同コレクション」の本がでました

2019年05月25日 | 文化

 

「大同コレクション」 ― その後の 続き(

京都工芸繊維大学美術工芸資料館で展示会が開催されてから 5年たちました。

令和元年5月 「大同コレクション」の本がでました。

表題は、『アフリカンプリント 京都で生まれた布物語』 青幻舎の発行です。

迫力あるアフリカンプリントの写真がふんだんに掲載された、わかりやすい、見やすくて美しい本です。 大同マルタ染工のことが写真と共に詳しく載っています。当時のローラー捺染の様子や、日本一の輸出プリントの状況、アフリカンプリントの開発、 大同コレクション、なつかしい記事と写真が満載されています。

おわりの方に、佐藤、吉岡、萩原3名による座談会もご愛嬌です。

2500円 で少し高いですが、お希望の方、青幻舎へ直接申し込むか、吉岡まで連絡下さい。少し遅くなりますが、吉岡がまとめて申し込めば2割割引になります。  +税金と送料がかかりますが、直接郵送してもらいます。

 


伝統工芸をデザインする

2016年10月30日 | 文化
  伝統工芸をデザインする
先日、京工繊大 美術工芸資料館で、久しぶりに青木先生にお会いしました。
先生は、NHKの金曜日夜8時の番組「歴史秘話ヒストリア」で、来年放映する『友禅』について大学に問い合わせがあり、その資料を集めておられました。
また、別の話になるが、京都女子大で「マドレー染め」の展覧会をやるから是非来てくださいと案内ポスターを預かりました。
「マドレー染め」は着色の「墨流しの」技法です。京都は染色の話題にことかきません。しかし、女子大は近くですが、ちょっと行きにくいなあ・・・・
                  東山十条86
 伝統を活かしたものづくりー100年後につなげるー 企画展
 『伝統工芸をデザインする ―まどれー染の新たな可能性』
企画:京都女子大学 家政学部 生活造形学科 准教授 青木美保子
日時 : 2016年11月22日(火)~11月29日(火)10時~16時
会場 : 京都女子学園建学記念館「錦華殿」地下展示室
  (京都市東山区今熊野北日吉町35)

 『赤』 と 『緑』

2016年08月30日 | 文化

   『 赤 』 と 『 緑 』 
  8月に入り、先週までオール 35℃ 以上の猛暑日が続き、頭も体も夏休みでした。その中で、“リオ五輪”は前評判に反し、素晴らしかった。 日本選手の活躍もさることながら、目についたのは、『赤』・『緑』・『黄』の原色です。
  各国の国旗がはためき、躍動する黒人、南国の意匠、実にカラフルである。 当方、ここ数年夢中で追っかけた 「大同コレクション」 の “アフリカンプリント”が重なりました。強烈な太陽のもとに、『赤』『緑』『黄』の原色が映える色彩に感動させられた。 
  京都工芸繊維大学の上田先生が 7月 カナダのアルバータ大学での講演で、「大同コレクション」を紹介され、京都から素晴らしい「アフリカンプリント」を大量に輸出していた と発表されると、驚きの声が上がったそうです。 日本の穏やかな気候風土、とりわけ雅やかな京都の意匠と アフリカへ向けて開発した原色の強烈な意匠とが、カナダのデザイン研究者には、結びつかなかったのが わかるような気がします。
 
 さて、先日 赤と緑 について、生物学者(福岡伸一)の面白い話が朝日新聞に載っていたので紹介します。
 赤と緑。正反対に見えるこの2色はきわめて近い色なのだ。化学構造で見るとそっくりである。 赤と緑の色素は、同じ構造を持つ分子(ポリフィリン環)の中心にある金属イオンが、「鉄」か「マグネシウム」かという点が違う。 だから物理学的にいうと、赤色から反射される光と緑色から反射される光は互いにきわめて似た光になる。
 霊長類以外の哺乳類、たとえば ネコ や イヌはこの光がどちらも同じように見える。つまり赤色と緑色を区別できない。そのかわり彼らは暗がりでも エサ を見つけたり、敵や味方を区別できたり、明暗の感度が高い眼を持っている。
 どうして霊長類は、わずかな光の差を見分け、そこに赤と緑という大きな色の違いを知覚できるようになったのか。 それは彼らがすみかとした森の環境と関係している。 折り重なる緑の枝葉の中から、赤い木の実や熟した果実を素早く見つけることが、生存の上で有利に働いた。あるいは個体間のコミュニケーションが発達するにつれ、顔色の微妙な変化を読めることが役立ったのかもしれない。
 
 かくして我々人間は、今日、カラフルな世界を享受し、芸術やファッションを楽しむことができるのである。・・・・・・・・・・・・
     東山十条 86

婦人倶楽部プリント

2016年07月01日 | 文化

 

  婦人倶楽部プリント 

 先日の研究ワークショップ:「20世紀日本ファッション産業の仲介者たち」で、同席した 京都市立芸術大学の牧田先生から、1950年代前半の「内地プリント」についていろいろ質問された。先生の口からとびだしたのは、我々が昔聞いたことのある 『婦人倶楽部プリント』。 以下彼女の研究資料である。

 ---各紡績企業が国内市場に目を向け始めたのは1953~1954年頃で、例えば1953年、大手の鐘紡は堀留の生地問屋10社を対象に『鐘紡会』を作ってプリント分野に積極的に乗り出している。日本のプリント問屋は船場、堀留、室町を中心に発展してきたが、これら問屋の発展の殆どは、1955年以降大手紡績会社の意匠力、情報収集力、加工力、それに販売宣伝力に負うところが大きかった。

 ---また鐘紡と並んでプリント分野に意欲を持った呉羽紡績は1954年樹脂加工の新製品「クレビ・エバーグレーズ」を発売、ポスター、新聞広告、あるいは婦人雑誌『婦人倶楽部』と提携して、『婦人倶楽部プリント』を製作、呉羽紡績 ― 大同染工 ラインで生産加工し、丸紅が全国約50社の代理店を通じて、東京、大阪の百店で、展示即売会やファッションショーなど大々的に発表した。

---これは、東西一流デザイナーのデザインと、モデルに1953年ミス・ユニバース 3位になった《伊東絹子》などを起用して大評判をとった。恐らく繊維製品販促、PRの最初の試みと言われている。この企画は1957年ころまで続いた。特にこの2社が自らプリントを企画、生産、育成しその中で生地問屋の発展をもたらした --- 

「アフリカンプリント」だけでなく、当時の「大同の内地プリント」も研究している人たちがいることを知って、嬉しくなりました。 協力したいので、どんな図柄、誰の図案、加工法などなんでもよいから知っている方、コメントください。

東山十条86

 

 

 


アフリカンプリント生産の仲介者たち

2016年06月08日 | 文化

 

  アフリカンプリント生産の仲介者たち

 先週末、オランダで見つかった 大同プリントの話が詳しく聞けるというので、立命館大学アートリサーチセンターの「糸・布・衣 循環史研究会」に参加しました。法政大杉浦未樹教授、立命館大鈴木桂子教授、京工繊大青木美保子、上田文両先生、正路佐知子福岡市立美術館学芸員他、各地の大学教授・研究員20数名(男性は講師を入れて5名)が出席し、研究発表を聴いた。

 最初に、国士館大阿部武司教授の基調講演「日本繊維産業の構造変化」があり、その後、本題の「アフリカンプリント生産の仲介者をめぐって」4っの講演はいずれも『大同』の名前が出てきて、興味深く、嬉しかった。

 上田先生は「京都のアフリカンプリント生産と西澤(株)」のテーマで、大同マルタ染工とアフリカ輸出の時代背景、大同コレクションを紹介、西沢のアフリカ貿易の実際・デザイン創出の工夫など良いお話しだった。質疑応答はグリーンワックスに集中、「色はどうして出すのか」「なぜ捺染が難しいのか」「この色はなぜ他の染料で出ないのか」「なぜアフリカでグリーンが好まれるのか」など、皆さん興味深々で、質問がこちらにフラれるたびに補足説明した。

 大阪芸術大学上岡学正先生は「オランダから京都へ : アフリカンプリントの生産流通比較」というテーマだった。持参されたオランダの見本資料は大同コレクションの中に入れて下さいと工繊大に寄付された。

 杉浦先生は「オランダは日本のアフリカンプリント産業をどう見たか」のテーマでフリスコ(旧ブリシンゲン)社で見つけられた1960年の極秘日本調査報告書から、ライバル会社の視点で日本のアフリカンプリント生産・流通組織を解説。当時の日本とオランダの立つ位置、関連性と、日本の力量を注目していたと話された。(大同訪問の記録の部分を、翻訳して送ってくださるようお願いした)

 正路佐知子福岡市立美術館学芸員は、フリスコ社アーカイブ調査から「日本製アフリカンプリント及びカンガのデザインと流通」というテーマで、オランダと日本の関係を、集められた見本資料を例に紹介された。

 学界の研究発表会の形式で、講演と質疑応答が半々、皆さん熱心で、ここでも、女性のすごいパワーを感じた。

 上田先生は、この研究会で、7月 カナダのアルバータ大学に行かれ、京都のアフリカンプリントについて英語で講演されます。『大同コレクション』もいよいよインターナショナルになってきました。

   東山十条86


京都新聞「読者の声」欄より

2016年05月03日 | 文化

 

430日の京都新聞 『読者の声』 欄(P5)より 

大同マルタ会の長老 彫刻の久世さんが、新聞に投稿された「声」を紹介します。430日の京都朝刊 『読者の声』 欄に掲載されています。我々の年代には忘れることのできない、心打たれる文章です。 

<以下、新聞記事をそのままコピーします>

『桜の季節 思い出す特攻』  宇治市・久世 光八 (無職 87

今年もまた桜が咲き誇りました。しかし美しい姿とは別に、私の心に刻み込まれているのは、70年以上前の敗色濃厚だったころの悪夢です。 空には米軍のB29の飛行機雲が白く尾を引き、地上では紅顔の神風特攻隊員が、基地に咲く満開の桜の花枝を切って胸に差していました。  「散る桜、残る桜も散る桜」「若鷲は南の空で果てるとも、、帰るねぐらは靖国のもり」などの辞世を残し、別れの杯を交わしてフィリピンのマバラカット、九州の知覧や鹿屋から出撃されました。多くの人に見送られ、日の丸の鉢巻きに敬礼する姿をニュース映画で見ましたが、今も忘れられず心に強烈に残っています。 今の平和な時代、こんな悲惨な時代があったことを、戦争を知らない方々に知ってほしいと願っています。そして特攻には至りませんでしたが、苦難を体験した私も含め、戦争はもうこりごりです。いつまでも平和な時代を祈念します。

東山十条85


オランダで見つかった大同プリント ― 続き ―

2016年04月22日 | 文化

 

 

 

                オランダで見つかった 大同プリント ー続きー 

  今、染色に関する学会は、「ローラー捺染」・「アフリカンプリント」のブームなのかと思うくらい、またまた愉快な情報が飛び込んできました。先に紹介した福岡市美術館の正路佐知子学芸員のオランダ・フリスコ社訪問のすぐ後、「糸・布・衣 循環史研究会」のリーダー 杉浦未樹 法政大学教授が、フリスコ社を訪問されています。

  杉浦先生は「オランダ側のアフリカンプリントについて」の資料調査のため、3月にフリスコ社を含めたオランダへ行く計画を立てられた。たまたま、先のブログの原稿が、京都工芸繊維大学の上田先生を通じて、出発前に杉浦先生へ届きました。情報はグッドタイミングでした。上田先生は『大同コレクション』のフリスコ社製と思われる寫眞を送り、確認をとってもらうことも出来ました。

  フリスコ社は大同のことをよく知っていた。1960年、社員と名のらずに大同を訪問し、寫眞彫刻技術を導入することも知っていたそうです。フリスコ社に残っていた報告書に「大同は日本のベストカンパニーである」とい文言もあり、高品質、生産性に注目していた。----

  詳しい話は 64日 立命館での 下記の講演会に発表されます。

 同時に上田先生、正路佐知子学芸員も講演されます。今から楽しみです。 

                           記

研究ワークショップ : 20世紀日本ファッション産業の仲介者たち

 主催 : 糸・布・衣 循環史研究会、立命館大学アート・リサーチセンター

 日時 : 201664日(土)1300分~

 会場 : 立命館大学アート・リサーチセンター (京都市北区等持院北町56-1)

 基調講演

  阿部武司(国士舘大学)日本繊維産業の構造変化-綿業を中心に

第一部 アフリカンプリント生産の仲介をめぐって

 上田文(京都工芸繊維大学)京都の アフリカンプリント生産と西沢株式会社

 上岡学正(大阪芸術大学)オランダから京都へ:アフリカンプリントの生産流通比較

 杉浦未樹(法政大学)オランダは日本のアフリカンプリントをどう見たか     ~ブリシンゲン社の1960年の調査報告書から~ 

 正路佐知子(福岡市立美術館)カンガに見られるオランダと日本の関係 


大同マルタ染工が残したもの

2016年04月07日 | 文化

 

 1. 「大同」が残したもの

 大同染工(株)は 1942年7月、戦時中の「企業整備令」により、京都地区の主な捺染工場7社が統合し設立。1970年5月、京都晒染工業(株)と合併し社名を『大同マルタ染工(株)』と改称。2008年3月、工場閉鎖。わずか66年の歴史しかなかったが、戦後の日本経済を支えた繊維産業の輸出捺染工場として、すぐれた設備・技術・意匠力を備え、日本を代表する最大手の機械捺染工場であった。 

会社が ツブレ、大同の痕跡は 8年前何もかも無くなった。唯一、奇跡的に残ったのが『大同コレクション』ですが、これとて肝心の大同製品はほとんど無い。1960~70年代の輸出最盛期、アフリカへ輸出していたワックス・カンガは、沢山の柄をローラー捺染機で毎月百万米以上生産していた。同じ頃、バット染料を使い欧米豪州に輸出していた初期の素晴らしいスクリーンプリントは全く見つかっていない。 

当時、大同染工は短繊維日本一の捺染工場で、その輸出比率は 上場会社 1,094社中、日本の輸出ランキングトップに挙げられていた。(1964.5.経済雑誌「プレジデント」)。輸出するためにはそれだけ沢山の 柄 デザインが必要であった。そのため商社と共に世界中からプリント見本を集め、新柄をおこしていた。工場閉鎖時、なにもかも廃棄してしまった中で、この世界中から集めた見本の一部が見つかった。それら見本は、当時の貴重な世界中の意匠デザインが集約されていた。 オランダ製その他の リアルワックス、ジャワプリント、イミテーションワックス、カンガ、ファンシイプリント などのアフリカンプリントばかりでなく、バチック、サリー、イカット、タバ、モラ、アロハ、その他中南米の民族衣装など341点。 

 大同無くなってから3年経って、大同マルタ会がこの貴重な資料を調査・分類し、寫眞集を作り、学界に働きかけた。その結果、更に3年たって 京都工芸繊維大学 文化遺産教育研究センターでとりあげられ、『”京都からアフリカへ”大同コレクションに見る1960年代京都の捺染産業』と題する展示会が、京都工芸繊維大学 美術工芸資料館で開催された。『大同コレクション』は、更に個人から集めた生地見本、技術文書・ノート、大同染工会社資料・工場写真、大同捺染カレンダー(1984~1995)などを追加し、全部京都工芸繊維大学 美術工芸資料館 に寄付し、大学研究室で、機械捺染の研究に役立てて頂くことになった。 

「大同」の染色加工技術は業界で最も評価が高かつた。集めた見本も質の高いプリントが揃い、価値のある『コレクション』である。 

ここ50年 時代が急激に変り、反応染料が出てきて 染法は全部これに変わり、誰でも簡単に染色できるようになった。捺染は更に「インクジェット捺染」で即、コピーでプリントが可能になり、染色技術は大学で研究する対象ではなくなった。我々が学んだ色染学科はとっくに無くなっている。 しかし今、学界の美人の先生方が消えかけている「染色加工」を、加工技術面ではなく、デザインその他の面から、「機械捺染の歴史」などの研究をされている。大同で唯一残った『コレクション』が、今後の研究の役に立ち、これからも「大同」の存在に光が当たるよう、協力していきたい。